そんな僕が好き

アディクションとかその他日常の事

アルコール依存症は不治の病?その6と7の間:自己紹介

2006-04-27 16:16:35 | アルコール依存症
理論ばっかり書いてると読むほうも飽きてくるでしょう(つーか、書くほうは飽きた)。そんな意味で一休み、理論以外のことを書いてみます。

あんまし今まで自分の事は書いてませんが、私が書いている文章の真偽というか価値というかそういったものを計る指標になるんじゃないかと思ったので、自分のことについてちょっと書きます。

まず、私自身は実はアル中じゃありません。でも親がアル中ですので分類(笑)的にはACとすることも可能です。自分のアディクションの種類に関しては書きません。ここでは自分はACであるという立場で色々と発言させていただきたいと考えています。

今までの治療歴のようなものを書くと、何の因果か10年以上前に斎藤学関係のカウンセリング施設に行くことになり、その後自助グループにお世話になりながら今日まで来ました。
もう何年も前からカウンセリングはやっておらず、主に自助グループで苦闘しています。

自助グループで活動する中で常に疑問がありました。
1:なぜアディクションは治らないのか(酒なら正常飲酒出来るようにならないのか)
2:なぜアディクションを満足に説明できるような理論がないのか
3:なぜ回復する人としない人にわかれるのか(そしてどうも、米国より日本の方が回復率が悪いような気がするが、それは何故か)。

まあ、疑問だったのですが結局南極、自分自身の回復のための作業が第一ですからそんな疑問は専門家にまかせるという事で放置していました。
転機が訪れたのは又吉正治氏の理論に出会った時です。氏の理論を利用すると、今まであやふやだったりよく分からなかったりした事が、「もしかして、説明できるんじゃないか」という手ごたえを感じました。そして学んでいくにつれて、それは次第に確信へと近づいて行きました。

私は又吉氏の理論については、 「マジで連続飲酒に陥ったアル中を、氏の理論どおりに指導したら、適正飲酒が出来る状態になっているのを目の当たりにした」 ので、相当評価してます。なんたって現実目の前で起こったことなので。
なお、氏の方法は「配偶者(質問があったので追記:基本的に妻)または母親の協力が得られる状態」が必要であり、回復率は30%程度というのが現状のようです。

実はこのブログの目的は、氏の理論を専門家やアディクションの当事者に紹介して、さまざまな角度からその正誤や効果や問題点などについて検討してもらえるようにするというのが目的です。

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アルコール依存症は不治の病?その6の補足

2006-04-26 13:42:19 | アルコール依存症

その6の説明がちょっとわかりにくかったかもしれません。もう少しアルコール依存症のメカニズムの説明を補足します。

●アルコール依存症になるメカニズム
1:安全欲求に基づく甘えが充足されていない
2:対人関係において甘えることへの不安があるため緊張が生じる
3:飲酒により緊張がほぐれる
4:酔いから醒めると飲酒に対する罪悪感のため緊張が生じる
5:さらにもともとある対人関係における不安がそれにプラスされる
6:3(飲酒)に戻る

この過程をみると、3-6を繰り返せば繰り返すほど、まるでデフレスパイラルのように「緊張」が増加し、「緊張」の増加と比例して「酒量」が増えていくのは火をみるより明らかでしょう。
この悪循環の中で、精神的緊張という現象に罪悪感が随伴していくため、適度な飲酒の結果として「緊張」がほぐれても、罪悪感という不快感からの開放を求めて、適量を越えた飲酒、要は深酒をするようになります。 この深酒が進行すると「連続飲酒」という状態になります。

アルコール依存症が治らないというのは、この罪悪感が付随するために、ひとたび飲んだら罪悪感にとらわれて上記の3-6の循環に陥ってしまうためだと考えられます。
私も専門家ではないので正確なところはわからないのですが、日本と米国でのアルコール依存症の数をネットざっと調べてみたところ、日本230万人、米国は1700万人というような数字を発見しました。米国の人口は日本の2倍位ですので、人口一人当たりの発生率は2-3倍程度になります。
もともと米国は禁酒法などという法律を作ったり、野外での飲酒は禁止とか、公共の場で酩酊することを禁止していたりとか、ともかく酒を飲むことに関して否定的な意識が強い国ですから、罪悪感がアルコール依存症の鍵だとすると、当然患者数は日本より多くなると考えられます。

ここまで読んだら、勘のいい人なら「摂食障害」にこの理論が使えそうだとうのがわかるでしょう。摂食障害の患者(特に拒食や過食嘔吐)は食べることに対する罪悪感があり、それが拒食や過食嘔吐のサイクルを支えているわけです。

ちなみにアルコール依存症の後は、AC、摂食障害、共依存、DVという風に個別に解説して行きたいと考えていますが、いつの事になりますやら....

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アルコール依存症は不治の病?その6:アル中になるメカニズム

2006-04-25 12:58:41 | アルコール依存症
さて、これからはいよいよアルコール依存症の原因について語りたいと思います。

アルコール依存症になる人は
1:基本的欲求に欠損がある(主に安全欲求)
2:越行している(主に承認欲求)
の二つの条件を満たしている必要があります。ただ、普通の人でも完全に安全欲求が満たされているということはありえないので、多かれ少なかれ人は上のような状態にあるのですが、アルコール依存症になる人はその度合いが高いと考えてください。

アルコール依存症になる人が、酒を常用するきっかけとなるのは次のような事がおこるためです。
「安全欲求が満たされていない→対人関係で常に緊張を強いられる→飲酒を行うと緊張が取れる(ほっとする、安全感を感じる)」

ただ、これは健康な人が飲酒して経験することと同じです。お酒はそういう作用をするからこそ、長い歴史の中で愛用されてきたのですから。

ここに罪悪感をプラスするとアルコール依存症が出来上がります。
「安全欲求が満たされていない→対人関係で常に緊張を強いられる→飲酒を行うと緊張が取れる→酔いがさめる→飲酒に対する罪悪感→罪悪感を忘れるためにさらに飲む」
という形になります。
説明を補足すると「実は酒(飲酒)を嫌悪しているため、そういった酒の力を借りて緊張を解きほぐす事も耐え難い屈辱である、しかし結局酒以外に緊張緩和の術がない、屈辱感を忘れるために(プラス緊張緩和のためにも)酒を飲む」という状況になるわけです。実はアルコール依存症者は酒が嫌いなんです。

上記の説明が正しいとすると、アルコール依存症者の「飲酒に対する罪悪感」を取り除けば正常飲酒が出来るようになると考えられます。

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アルコール依存症は不治の病?その5の補足

2006-04-24 12:05:51 | アルコール依存症
その5で紹介した「ここにもう一つ説明を付け加えると、基本的欲求を満たすのは「甘え」であるということです。」の補足記事です。

ここにもう一つ説明を付け加えると、基本的欲求に基づく甘え を充足させることが大切であるということです。
例えば「生理的欲求」は少なくとも今生きている人は物理的に は満たされているはずです(食べないと餓死してますから)。 物理的に満たすという行為は甘えがなくても(厳密には違うが ここでは割愛)可能です。親のいない家で、レンジでチンして カレーを食べれば済むわけですから。そうではなく、「ママー 、おなかすいた・・・僕カレーが食べたい!」「そう?ちょっ と待ってね」といいながらママがチンしたカレーを子供が食べ る場合は、物理的な面だけでなく、生理的欲求に基づくと甘え も同時に充足されることになります。 このように生理的欲求に基づく甘えをキチンと充足させると、 次の安全欲求が正常に現れ、逆に充足されないと、安全欲求や 承認欲求が「越行」として現れるようになります。

また、生理的欲求は生涯あるわけですが、生理的欲求に基づく 甘えが必要なだけ満たされていると我慢強くなります。甘えが充足されている人とそうでない人の違いは「我慢強さ」「うたれづよさ」に如実に表れます。
身近な例では、たとえば夫が帰宅したときに妻が、「あら、ごめんなさい、後30分位準備に時間がかかるわぁ」となった時に、「そう?じゃあ、待ってるよ!」と言えるか、「なんだと?帰ってくるのはわかっているのに、何で準備しとらんのだ?ヴォけ!」となってしまうかの違いとして現れます。

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アルコール依存症は不治の病?その5:基本的欲求と甘え

2006-04-20 13:04:43 | アルコール依存症
今までの説明はご理解いただけましたでしょうか?簡単にまとめると、
1:人間には基本的欲求があり、それは段階的に現れ下位の欲求が満たされると上位の欲求が発生する
2:その欲求は、「生理的欲求」「安全欲求」「所属・愛情欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の順番で現れる。
3:本来の欲求が充足されないと、代理欲求として下位(退行)または上位(越行)の欲求が現れる。
4:越行の忍耐期間は約10年
となります 。

ここにもう一つ説明を付け加えると、基本的欲求を満たすのは「甘え」であるということです。
注:斜体の部分は間違い(説明が足りないの)が公開後に判明しました。この後の説明(その6)で改めて説明しなおします。

甘えというのは「自分で出来ることをあえて他人にやってもらう事」と定義されていますが、「子供が母親に甘える」の「甘える」と同義と思ってもらえれば結構です。おいおい説明しますが、アルコール依存症あるいは他の様々なアディクションの原因もすべて「甘え」と関わっています。実はここが精神医学が今までアディクションの原因を明確に説明できなかった原因と考えられます。現在の精神医学は西洋の心理学を基にしているため、西洋人が認識できない(というよりも、無意識的に忌避している)「甘え」という概念がないためです。



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アルコール依存症は不治の病?その4:越行の受容限度

2006-04-17 13:08:58 | アルコール依存症

退行と越行に関しては理解していただけましたでしょうか?

簡単にまとめると、本来の欲求が充足されない場合、その代理欲求が本来よりも下位の欲求の場合を退行、上位の欲求の場合を越行と呼びます。

さて、代理欲求が退行として現れている場合は「この人には問題がある」のは周りからみて明らかです。第二子が産まれたことで第一子が赤ちゃん帰りした場合、どの母親でも第一子に何か問題が起きている事を察知するでしょう。

しかし代理欲求が越行として現れている場合はどうでしょう。たとえば第二子が産まれたことで第一子が大人びた行動を取るようになった場合、普通親は「お兄ちゃんやお姉ちゃんの自覚が出てきたのね」と思ってむしろ成長したとしてさらにこの子は放置される結果になるでしょう。

これが越行によって起こっている場合、実は第一子は方向が違うだけで、赤ちゃん帰りしているのと同じような状況にあります。余談ですが、実はAC(アダルト・チャイルド/チュルドレン)の問題はここにあると言っても過言ではないでしょう。よくACは「過剰適応」とか、「いい子の病気」とか言われますが、それは越行によって起こっていると考えられます(ACに関してはまたこのシリーズとは別途記述する予定)。

さて、越行も退行も代理欲求であり、本来の欲求を満たすことではありません。たとえるなら空腹の人間が空腹を紛らわすために水を飲むようなものです。水を飲めば一時は空腹が紛れますが、結局は食事をしない限り空腹は根本的には収まりません。水を飲むことで紛らわせるのは限界があります。同様に越行にも受容限度があり、又吉氏の観察ではおおよそ10年位が限度の目安であるようです。
たとえば3歳位で越行をはじめた場合、13歳前後が我慢の限度で、この頃から問題行動を起こすようになるようです。ちなみに又吉氏によると、順調に各種欲求が充足されていった場合、自己実現欲求が現れるのは15歳位のようです。


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アルコール依存症は不治の病?その3:退行と越行

2006-04-14 17:15:52 | アルコール依存症
前回はマズローの欲求段階説と、それが現在否定されている事を説明しました。

この否定された説に「越行と退行」という概念を導入した又吉正治という心理学者がいます。

基本的欲求が充足されない場合、人間は模倣能力を使って他の段階の基本的欲求を求めるようになります。 これが一番よく観察できるのが、第二子が産まれた後に第一子が見せる退行現象です。
二人目の子供を生んで育てたことのある人なら、第一子が赤ちゃん帰りを するのを見たことがあるでしょう。

又吉氏はこの現象を、本来の欲求が満たされないために第二子の模倣をすることで、本来の欲求のかわりに下位の欲求をもっ て充足を図ろうとする「退行」現象であると説明しています。

また、退行の逆で「越行」というのもあります。これは本来の欲求のかわりに上位の欲求をもって充足を図ろうとする行為で、「ませる・大人びる」という形で 現れます。 なお、「越行」は又吉氏の造語です。


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アルコール依存症は不治の病?その2:マズロー理論

2006-04-13 11:34:10 | アルコール依存症
4/11のブログの続きです。

アルコール依存症が治るメカニズムを理解するためには、マズローの欲求段階説を知っておく必要があります。

http://www.dango.ne.jp/sri/maslow.htm から引用。
--ここから引用開始--
 アブラハム・マズロー(1908年~1970年 A.H.Maslow アメリカの心理学者)は,彼が唱えた欲求段階説の中で,人間の欲求は,5段階のピラミッドのようになっていて,底辺から始まって,1段階目の欲求が満たさ れると,1段階上の欲求を志すというものです。
 人間の欲求の段階は,生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求です。生理的欲求と安全の欲求は,人間が生きる上での衣食住等の 根源的な欲求,親和の欲求とは,他人と関りたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求で,自我の欲求とは,自分が集団から価値ある存在と認めら れ,尊敬されることを求める認知欲求のこと,そして,自己実現の欲求とは,自分の能力,可能性を発揮し,創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求のこ とです。
--引用はここまで--

とまあ、こんな感じです。理論としては単純なので読めばすぐにわかるでしょう。
各段階の欲求は今後の説明のために以下のように統一します。
生理的欲求 安全欲求 所属・愛情欲求(親和の欲求) 承認欲求(自我の欲求) 自己実現欲求
実はマズローは自己実現の次に「自己超越欲求」というのを設定しているのですが、説明では自己実現まであれば十分なので、それは省きます。

さて、下位の欲求が満たされると一つ上位の欲求が発生するというのがマズローの理論ですが、実はこれ、現在の心理学では否定されています。理由はこの順番 どおりに欲求が発生しないことが観察されているためです。

ここで押さえておいてもらいたいのは、
1:マズローの理論では人間の欲求は段階的に発生し、下位の欲求が満たされると一つ上位の欲求が発生する
2:しかし臨床的にはそうでない欲求の発生がみられる の2点です。


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アルコール依存症は不治の病?その1:アル中の常識

2006-04-11 12:55:13 | アルコール依存症
ああ、ようやくアルコール依存症(以下アル症と略す)の話だ!!

かつてアル症は「死ぬか一生精神病院に閉じ込めるか」しかない病気と言われていたが、第二次世界大戦中頃のアメリカである二人のアル症者が始めた自助グループ(AA、アルコホリクス・アノニマス)によって、はじめて回復(断酒の継続)の道が示された。

アル症っていうのは「飲酒をコントロール出来ない」病気で、進行性があり、治らない病である。治らないというのは「二度と飲酒をコントロールできない」という意味であり、アル症になったら生き残る道は「断酒」以外にはない。 以上が常識である。

でもどうやら、この常識は覆される可能性が出てきた。 今後、このブログでそのことについて少しずつ書いていきたい。


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追記:最初に書いたときはアル中という言葉を使っていたのですが、無神経ではないかというお叱りを受け、アルコール依存症者(アル症)に修正しました。もちろんアルコール依存症者を侮蔑する意図はなかったのですが、ご指摘通り無神経でした。