昨日のエントリーの終わりなき戦いだけど、結局南極相手が甘えまくっていて、俺が甘えられないというのが怒ってた原因です。
「何もしないやつが批判ばっかりしやがって」=「俺は甘えられないのに、お前ばっかり甘えやがって」なわけです。
実はお医者さんがやってるブログに妙に共感します。それは今現実となりつつある医療崩壊関係のブログで、今までなら「先生本当にありがとうございました」などの強い感謝や、特に僻地医療などでは「来ていただいているだけでありがたい」といった承認欲求が豊富に充足できる状況があったわけで、それが医師が過酷な労働環境下でも何とか耐え抜く原動力になっていたのです。
しかし「何でもかんでも起訴と損害賠償」という風潮と「これが認められたら誰も医療が出来なくなる」というような賠償が認められている実態の中、心が折れて(甘えが充足されなくてエネルギー切れして)しまった医師たちの叫びが、妙に自分と重なるんです。
どうも私は、自助グループでの充足が出来なくなりつつあるようです。あるいは自分が必要とする欲求が変化して、それは自助グループでは供給できない種類の欲求なのかもしれません。
欲求の充足が出来ないにも関わらず、そこで運営等の労力を提供することに、徐々に疲れ始めているみたいです。
そんなわけで、「文句言うならお前らがやれ」とか「嫌なら来なくて結構」といった怒りがむらむらわいてくるのであります。
しかしこの怒り果たして不当な怒りなんでしょうか?と考えると、それは不当じゃなく、出す場所が不適切って事なんじゃないでしょうかね。
「何もしないやつが批判ばっかりしやがって」=「俺は甘えられないのに、お前ばっかり甘えやがって」なわけです。
実はお医者さんがやってるブログに妙に共感します。それは今現実となりつつある医療崩壊関係のブログで、今までなら「先生本当にありがとうございました」などの強い感謝や、特に僻地医療などでは「来ていただいているだけでありがたい」といった承認欲求が豊富に充足できる状況があったわけで、それが医師が過酷な労働環境下でも何とか耐え抜く原動力になっていたのです。
しかし「何でもかんでも起訴と損害賠償」という風潮と「これが認められたら誰も医療が出来なくなる」というような賠償が認められている実態の中、心が折れて(甘えが充足されなくてエネルギー切れして)しまった医師たちの叫びが、妙に自分と重なるんです。
どうも私は、自助グループでの充足が出来なくなりつつあるようです。あるいは自分が必要とする欲求が変化して、それは自助グループでは供給できない種類の欲求なのかもしれません。
欲求の充足が出来ないにも関わらず、そこで運営等の労力を提供することに、徐々に疲れ始めているみたいです。
そんなわけで、「文句言うならお前らがやれ」とか「嫌なら来なくて結構」といった怒りがむらむらわいてくるのであります。
しかしこの怒り果たして不当な怒りなんでしょうか?と考えると、それは不当じゃなく、出す場所が不適切って事なんじゃないでしょうかね。