そんな僕が好き

アディクションとかその他日常の事

怒るということ

2008-01-10 13:16:10 | アディクション
実はこの投稿は、別のところで公開済みのものなんですが、読み返したら結構いい感じにかけているので、ブログにものっけときます。

怒るという事

自分が殴られた・自分が酷い扱いを受けた等の、直接的な被害に対して怒りを感じるのは当然の事です。

しかし、自分に直接関係のない事に、人は怒りを憶えることがしばしばあります。
沢尻エリカさんや亀田一家のバッシングを見ていて、直接的な関係のない事に対する怒りはなぜ生じるのかを考えさせられてしまいました。

昔自分が若かった頃、「俺は機能不全家庭の犠牲者だ」と色んな人に話した事があります。その時の反応は大体次の3つに別れました。

「大変だったね、よくわかるよ」
「そうなんだ。私にはわからないけど大変だったんだね」
「何て情けないやつだ」

最初の反応をする人は自分の状態を認知しているお仲間、次の反応は健康な人、最後の反応は自分の状態を否認しているお仲間、という風に分類していました。
この分類を新たな知識で書き直すと、
最初の反応をする人は同じように甘えている人、次の反応は甘えが満たされている人、最後の反応は甘えたいのに甘えられない人という風に分類出来るでしょうか。

甘えたいのに甘えられないと次第に、スネて僻んで不貞腐れて自暴自棄になるという経過を辿ります。そうそう、甘えるというのにはマイナスイメージが付随する言葉ですのですが、ここではそれを取っ払って、出来れば甘えというものを中立的に捕らえて下さい。

まず、自分が機能不全家庭の犠牲者だと表明することはある種の甘えです。
「大変だったね、よくわかるよ」は、自分も同じように甘えているからこそ出てくる言葉です。
「そうなんだ。私にはわからないけど大変だったんだね」は、自分は同じようには甘えていないけど、他の方法で甘えが満たされているため僻みが生じていないので、相手の言葉を素直に受け止めている状態です。
「何て情けないやつだ」は、本当は自分も同じように甘えたいんだけど、甘えられないので、甘えているやつに僻みが生じている状態です。

普通の人で、沢尻エリカさんに直接被害を蒙る状況を考えると、例えば、ずっと彼女のファンだったのにこんな人だとは思わなかった、とか、公開される映画がとても楽しみだったのに泥を塗られた気持ちになったなどの人は辛うじて該当するのではないでしょうか。
そして亀田一家に直接被害を蒙る状況は、自分が大好きな神聖なボクシングが汚されたとか、亀田大毅のファンだったのにあんな酷い反則をするなんて、とかいう場合でしょうか。

おそらくバッシングしているほとんどの人は、上のような直接被害の状況にはないのでしょうし、私もそうです。沢尻さんには興味がないので特に何も感じないのですが、亀田一家には前から怒り心頭でした。それはやっぱり私の心の中に「あんなに酷い態度を取って、マスコミにちやほやされて、おまけに大金もらって成功しやがって」という亀田一家の甘えっぷりに対する嫉妬がベースになっているのを認めざるを得ませんでした。

無関係のものに対する巨大な怒りが生じた時は、注意が必要だと痛感しました。ただ、ヒール(悪役)の役割は、こういう僻みをガス抜きする事であるのかもしれません。

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2 コメント

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Unknown (うんころりんぐ)
2008-10-09 01:02:11
過去記事にコメントでごめんなさい。

怒りについてはよく考えさせられます。河合隼雄も何かの本で言っていました。

自分の内面の何かが見通せていないとき。

大雑把な言い方ですが、否認したい内面でもあるかもしれませんし、自分にはできない事に対する僻みかもしれません。

常に無意識にあるワダカマリが刺激されるみたいな事を言っていました。

悪者ってそうですよね。。。憎まれる事で役に立っているんですね。いい勉強になりました。
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Unknown (次郎)
2008-10-10 10:32:05
>過去記事にコメントでごめんなさい。

いえいえ、大歓迎です。

怒りというのは必要で正当な感情ですが、本当に怒るべき対象に対してではなく、容易にすりかえる事が出来るので厄介なんですよね。
個人的には怒りで頭が一杯になっているのに気が付いたとき、「それは本当に自分が怒りを向ける対象か?」と問いただすようにしてますが、なかなか本当かどうかを判断するのは難しいです。
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