北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

■ 北信濃(長野市、小川村)の神楽屋台―彫工の鑑別

2016年11月29日 | ●全般

 来年の市誌・研究 ながの(24号)に投稿したものですが、エッセンスをブログにアップします。この画像をみて彫工の新たな神楽が見つかればと思っております。白黒で投稿したのでそのままにしてあります。特に地元の方にみていただき、地元の神楽におなじ特徴があれば可能性はあります。大事に保存していっていただければと願う次第です。

●神楽屋台とは

 獅子舞奉納の際に使われる神楽屋台(以下、神楽)は、一般的には箱型の長持(ながもち)の上に木の棒(貫)を通して、その上に高さ1.5mに満たない社殿形の祠を載せ後部に太鼓を取り付けた形態である。幕末以降、地域の象徴として神楽の装飾性も高まり、神楽に龍、獅子、七福神、古事記等の様々な伝承の彫物が付けられるようになった。神楽の装飾を担当したのが彫工といわれる宮彫師であり、北信地方では北村喜代松、山嵜儀作が知られている。当地方にはかなりの数の神楽が存在し、現在は蔵に保管されたままで披露されていないものもあり正確な数は把握出来ていない。その中には装飾性の高いものがあるが、製作者は不明なことが多い。神楽の彫物の製作者(彫工)を明らかにするために、彫工がわかっている神楽の作風を検討し、北信で活躍した彫工らの作風の特徴を見いだした。

 

 

・神楽の左前からの写真 (明治27年の山嵜儀作の西長野・加茂神社の神楽屋台)

①は、向拝の正面で横に木が渡されていることが多く、この横木(梁:はり)を虹梁(こうりょう)と呼ぶ。向拝正面の虹梁を特別に水引(みずひき)虹梁と呼ぶ。虹梁と屋根の庇との間の空間で組み物の間で縦方向の荷重を支えている構造を中備(なかぞなえ)と呼んでいる。ここには龍、記紀伝説などの彫物が付けられる。また、蟇股(かえるまた)とも呼ばれる。

②は木鼻(きばな)といい木端の意である。横木の端や、柱から出たように見せた装飾彫刻の事で。握り拳のような形(拳鼻:こぶしばな)や、獅子、象、獏、龍の題材を用いている。③は向拝を支える柱であるが、龍が巻き付いている場合がある。④は脇障子といい母屋後方の左右につけられる。

写真にはないが、屋根に唐破風がついている場合(上平地区、土倉地区の神楽)に、その下につく懸魚(げぎょ)を特に兎毛通(うのけどおし)という。

 

・神楽の左側面の写真 (山嵜儀作、西長野加茂神社)

⑤は手挟み(たばさみ)といい、向拝屋根と下の構造の間の三角形の空間で、ここに装飾が加えられるようになった。⑥は海老虹梁といいS状にまがった虹梁で、母屋と向拝を連結する。⑦鬼板は屋根の鬼瓦の代わりとして取り付ける木製の棟飾りをさす。⑧懸魚(げぎょ)は屋根の切妻部分(三角形をなす頂点)から垂れている装飾性の板のことである。⑨妻の部分には中央の垂直方向の柱を大瓶束(⑬:たいへいづか)と呼んで神楽では力神などの装飾になったものがある。大瓶束の両脇の飾りを笈形(⑭:おいがた)とよぶ。⑩も中備という(前述)。⑪は欄間といい、一般の住居の欄間のイメージからは離れているが四角のスペースと理解するとわかりやすい。⑫は縁下といい、縁の下部のことで神楽によっては装飾が施される。

 下の絵は、山嵜儀作の下絵(社殿)を転用。

 

 

 

●代表的な宮彫師四人―北村喜代松、北村直次郎(四海)、山嵜儀作、池田文四郎の神楽彫物の作風の比較検討

 神楽に銘がある場合、または契約書類が残されていれば製作者を特定できるが、多くのケースではそのような物証は残されていない。特に北村喜代松、直次郎は彫工(宮彫師)専門で、神楽本体の製作をしなかったため、本体の製作者(宮大工)に遠慮して銘を入れにくい状況であったと推測される。北信地方には彫物が充実した神楽が多く存在するが製作者が不明なことが多い。そこで、製作者を特定するために、製作者がわかっている神楽の彫物の構図や作風を比較検討した。寺社彫刻と神楽では、彫物の作風は製作者ごとに似るが、題材によっては寺社と神楽で異なる印象がある。北村喜代松と直次郎の神楽を見つけるために、さらに同時期に活躍した山嵜儀作(石川流)、池田文四郎(立川流)らの彫物の特徴を題材(パーツ)別に検討した。四者の実際の彫物パーツを示して違いを述べたい。また、比較に用いた四者の神楽は以下のものである。括弧内の語句は比較に用いた神楽の所属先の略

・北村喜代松の神楽:鬼無里白髭神社(白髭)、鬼無里加茂神社(加茂)

          小川村久木地区(久木)、安茂里差出組(差出)

・北村直次郎の神楽:旧豊野町南郷地区(南郷)

・山嵜儀作の神楽:西長野の加茂神社(西長野加茂)、安茂里小西組(小西)

・池田文四郎の神楽:小川村菅沼地区(菅沼)

 

鑑別点①―力神

 力神は、上半身裸の仁王のような風貌で主に神楽の側面の妻部上方に配されることが多い。喜代松の力神(白髭)は、短髪、楕円形の顔でつぶらな眼を持ち腹部が円形の太鼓腹のように突出して目立つ(a)。直次郎のもの(南郷)は、長髪で髭をはやし日本人離れした顔で、体型は喜代松に似て下腹部が突出する傾向である(b)。山嵜儀作のもの(西長野加茂)は、顔は喜代松よりも幅があり、下腹部の突出はあるものの、相対的には喜代松ほど目立たない(c)。池田文四郎のもの(菅沼)は全体にむっちりしている(d)。特に顔に注目すると直次郎の力神は長髪で欧米風な顔立ちで他の三者と大きく違う印象を持つ。体幹部の胸‐腹のバランスは喜代松と直次郎は似ている。

 

鑑別点②―獅子の木鼻

 木鼻は神楽正面の向拝の左右につけられ、さらに母屋の側面につけられることもある。題材には獅子が主として用いられ、他に象、獏がある。獅子の木鼻は彫工の個性が出やすく、獅子がついていない神楽はないので作風の比較には有用な題材である。

喜代松の獅子の特徴は、『顔の幅が眼のレベルで細い』ことである(文献4)。模式図で示すが、頭部(顔)の幅の最大径Aに比べ眼のレベルの顔の幅Bが狭い(B/A値が小さくなる)。実物の写真を示すが、喜代松の獅子の木鼻(久木)は、目のレベルで狭いことがわかる(a)。この傾向は喜代松の寺社彫刻でも見られる。直次郎のもの(南郷)は、目のレベルの幅は広く、眉毛が逆ハの字で毛がしっかり彫り込んであり、目つきは厳しい(b)。山嵜儀作のもの(西長野加茂)は全体に幅広で目は優しい印象である(c)。池田文四郎のもの(菅沼)は幅広で眉毛、顎部が突出している(d)。

 

  (模式図)喜代松の獅子の木鼻の特徴

 

鑑別点③―虎

 虎は神楽の側面の欄間や階段の側面に配していることがある。この時期に実際の虎をみた彫工は少なく、個々のイメージで製作され作風の個人差が出やすい。

喜代松の虎(久木)は、顔が長方形で体型もゴツゴツしている(a)。山嵜儀作の虎(小西)は顔、体部も丸く首がない(c)。直次郎の虎(南郷)は、その中間になる印象である(b)。池田文四郎の神楽の虎は確認できなかった。

 

 

鑑別点④―人物の顔の表情

 人物は、神楽の脇障子、欄間などに、高砂の爺婆、七福神、仙人が彫られていることが多い。人物の顔は彫工の個性が出やすい。喜代松の人物(加茂)の顔は、力神に似てつぶらな眼で、頬はふくよかで重力で少し落ち気味な印象である(a)。直次郎の人物(南郷)は、小顔で目は切れ目の線のみ彫られ瞳は確認できないことが多い(b)。山嵜儀作の人物(西長野加茂)はたれ目の細目であるが瞳が確認できることが多く他者と鑑別しやすい(c)。池田文四郎の人物(菅沼)は、力神と同じように全体に彫りが浅い印象はある(d)。

 

 

 

この鑑別点で、各彫工の神楽が結構見つかってきています。

投稿にはその詳細を書きましたが、その後も新たにみつかったりしております。社殿彫刻よりは小さいので目を凝らして見ないと良さがわからないのですが、明治の超絶技巧がわかります。

 

 

 

 


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