明治20年頃、山嵜儀作(彫工)。
於佐加神社は、長野市を流れる犀川(千曲川と合流の手前)の南岸の旧・丹波島宿の神社です。
丹波島宿は善光寺街道(塩尻洗馬~善光寺)の重要な宿場で、犀川(さいがわ)が増水した時には善光寺に向かう旅人がこの宿場で足止めをくいました。現在も宿場の面影があり、宿場の最西端に於佐加神社があります。
於佐加神社拝殿 向拝部。
拝殿 . . . 本文を読む
明治23年、山嵜儀作。
シンプルな鳥居額で龍等の彫物はありません。しかし、素材は欅(けやき)の玉杢(たまもく)を使用しており、周囲の枠も取り付けたものではなく、1本の木材を彫り込んだ手の込んだものです。『良い玉杢は彫物に勝る』です。
玉杢は、ケヤキの場合、樹齢の高い木で出てくるもので現在でも高値で取り扱われています。
今井神社の鳥居額。木目に玉の紋様がみえ玉杢であることが . . . 本文を読む
(注意)2016年(平成28年)のもので終了しております。
幕末から明治に活躍した宮彫師 山嵜儀作 展
~天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名工がいた~
◆共催
・「北信濃寺社彫刻と宮彫師」管理人
・「須坂市福島町」
◆協力
・西後町の皆さま
・武井神社さま
◆開催日時・場所
期間:8月30日(火曜)~9月4日(日曜)
場所:ギャラリ . . . 本文を読む
彫工:山嵜儀作、 明治23年完成(着手は不明)。今回は「近江八景 後編」を紹介します。
前編と同じように人々の生活が風景に融合しています。
欄間「近江八景」の8枚の配置です。④『石山の秋月』、⑤『潮田の夕照』、⑥『粟津の青風』、⑦『矢橋の帰帆』
⑧『三井の晩鐘』、⑨『唐崎の夜雨』、⑩『堅田の落雁』、⑪『比良の暮雪』、今回は後半の⑧~⑪を紹介します。
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彫工:山嵜儀作、 明治23年完成(着手は不明)。
前回の蕃松院欄間 その1に引き続き、今回は「近江八景 前編」として紹介します。
本堂内の15枚の欄間の配置です。(再掲)
本堂内平面図。内陣奥の欄間④~⑪の8枚は琵琶湖の湖畔の名刹を表した近江八景を題材にしています。明治6年にながの祇園祭の問御所の祭り屋台の腰巻に「近江八景」の題材を儀作は使っています。屋台製作後に八景のイ . . . 本文を読む
明治23年(1890)頃か、山嵜儀作(59歳)
蕃松院の欄間は山嵜儀作の作った欄間の中で最高傑作に入ると思います。ケヤキ材。
通玄仙人の欄間の拡大部分。
蕃松院本堂内部に欄間が15枚あります。15枚全て山嵜儀作が携わっています。
本堂平面図。前面大縁に接して3枚の欄間(①~③)があります。
①通玄仙人、②鳳凰、③がま仙人と鉄拐仙人。
内陣奥に近江 . . . 本文を読む
前回(2016年8月14日)に投稿しました「長野市安茂里小西組の神楽屋台」について山嵜儀作の古文書から製作裏話を紹介します。
小西組の神楽の正面です。(前回のブログに神楽の他の写真あり。)
山嵜家に神楽屋台の製作に関連した資料(入用日記)が残されています。
まず表紙ですが、「明治29年4月 安茂里村(現 長野市安茂里)小西組大神楽入用日記覚 山崎義作」
と書いており . . . 本文を読む
西後町屋台 (西後町(ごちょう)は旧後町小学校の周辺)
彫工:山崎儀作(正式には山嵜儀作)、明治6年(1873年) 儀作42歳。
【西後町屋台の基本構造】以前ご紹介した東町屋台と同じ、一層二輪形式で前方に踊る場所(舞台方)、後方が御簾で囲まれた囃子(はやし)方になります。坂道の多い長野市内に適したものです。東町屋台と異なり本体構造には漆塗りはされていません。
屋台全景。一 . . . 本文を読む
明治28年、山嵜儀作(山﨑儀作)、ヒノキ材
長野県は平地が少ないため、大きなお祭り舞台(山車、舞台、長野では屋台といいます)は限られた地区にしか作られませんでした。代わりに神楽屋台といって約1.2m高の一間社流れ造り形式のものが作られ、後部には太鼓をとりつけて獅子舞(神楽)を神社に奉納しました。神楽屋台は現在はリヤカーに付けられていますが、以前は長押しに載せて人力で担いで移動していました。神楽屋 . . . 本文を読む
その4で宮彫師の活躍を紹介させていただきます。明治13年。彫工:山嵜儀作、2代武田常蔵(ときぞう)。
幟は2本(南北)あり。メインの彫物は南のぼりの『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』と北のぼりの『鍾馗の鬼退治』になります。前回のブログ 「福島町大幟 その3 幟の枠」で述べましたように主柱とのぼり竿を固定する貫にとり付けます。今回の彫物の一部を8月30日ギャラリー82で行います「山嵜儀作展」に実物を . . . 本文を読む