北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

▲A 善光寺-境内の変遷

2018年11月11日 | ▲善光寺平の歴史
 善光寺の境内は、江戸後期から大正期にかけて大きく変わってきました。元禄期の火災で善光寺は焼失し、本堂は現在の元善町(元の善光寺の意味)から300m北方の現在の場所に移動し、宝永4年に再建されました。本坊の一つである大本願は、元禄期までは(前の)善光寺本堂のすぐ前にあったのですが、宝永期の再建で大本願はそのままの位置に再建され、結果的に大勧進が本堂の近くに位置する様になりました。2つの本坊と善光寺 . . . 本文を読む

『封じられた寺 聖徳太子の善光寺』矢島忠亨著

2018年11月08日 | ▲善光寺平の歴史
知人の矢島忠亨(ただゆき)氏が、謎の多い善光寺の創建について調査し、大胆な仮説を立てて著述し、2018年10月に自費出版で発刊されました。   私と矢島氏ですが、私の寺社彫刻の調査の延長で善光寺を調べていた縁で、交誼を結んできました。 善光寺大本願の初代上人が、聖徳太子の妻の刀自古郎女(とじこのいらつめ)であり(大本願HP「現お上人様の紹介」の頁 参照)、善光寺の創建、本尊の絶 . . . 本文を読む