諏訪大隅流:柴宮長左衛門。 寛政元年。
以前、柴宮長左衛門の紹介の項で少しご紹介しました(カテゴリー「大隅流」参照)。
特に両脇障子の上部の龍が、他にはない形態で素晴らしいと思います。
右脇障子の上部の『上り龍』。また、波も非常に躍動的です。
右からの本殿。
右縁下前面の 『蘇鉄(そてつ)と兎』。
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今回は、趣向が異なります(宮彫中心というよりも郷土史)。前回紹介した小林五藤は本業の宮大工の他に、典厩寺の菩薩像を作る仏師のような仕事も手掛けています。さらに、善光寺地震で被災した彼自身が被害状況をわかりやすくまとめた地図を、地震後早い時期に制作・発行し、マルチな才能を発揮している。―宮彫師は明治になってからは、根付制作(立川啄斎、後藤正義)、大理石彫刻(北村四海)など生きていくために他分野にチ . . . 本文を読む
千曲市稲荷山出身。正式名は小林佐太郎藤原茂高(号 五藤)。
推定であるが1790頃に出生し、安政5(1852)に亡くなっている。
稲荷山中町で小林佐左衛門の長男として出生。通称は佐太郎。
京都吉田家より風折烏帽子、狩衣の着用を許される。後に官職を受けて「杢正」と名乗る。文政年間から安政年間に活躍。しばしば上洛して京都御所の造営にも奉仕。
後藤流の流れをくむ。天保6(1835)吉田家からの裁 . . . 本文を読む
竹内八十吉は、文化12年(1815)生まれで、山嵜儀作の16歳年長になる。
太郎山神社本殿 正面
八十吉は明治6年に上田市太郎山神社(太郎山の頂上付近)の彫工として参加した。
棟札によると彫工の最初に竹内八十吉、善光寺妻科村彫工 山崎儀三久、花岡 巽、 彫工 後藤辰蔵とある。
山崎儀三久は山嵜儀作のことで、花岡巽、後藤辰蔵(後藤流の流れ?)の2 . . . 本文を読む