北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

■06X 忠魂碑の鷲(富山県朝日町小丸山公園) 平坂芳文(喜代松弟子)

2016年10月01日 | 06 北村喜代松(正信)
大正4年。平坂芳文(八十吉)作。ブロンズ彫刻。 朝日町の小丸山公園の片隅に忠魂碑がそびえ立っています。その碑の上部には鷲のブロンズ彫刻がついています。平坂芳文の作で、その木彫の原型が町に残されているそうです(魚津章夫「明治の謎の彫刻家-平坂芳文(11)」より)。前述しましたが平坂芳文は宮彫師(彫工)でスタートした人間です。   忠魂碑の上部の鷲のブロンズ像。眼光するどい鷲。 . . . 本文を読む

■06I 大久保組の祭り屋台(飯山市静間)

2016年09月21日 | 06 北村喜代松(正信)
明治22年。彫工:北村喜代松、平坂八十吉(芳文)、北村直次郎(四海)。 飯山市の祭屋台と云いますと秋津地区の5台の屋台があります。その内訳は、  静間地区     3台:大久保組、中町組、北畑組・・・・静間神社  蓮(はちす)地区  2台:上若連、北若連    ・・・・・信国豊濃神社 今回、静間の大久保組の屋台を紹介します。 前方の舞台天井部 『丸龍』。   長野市のな . . . 本文を読む

■06 平坂芳文(平坂八十吉)とは

2016年09月20日 | 06 北村喜代松(正信)
文久3年(1862)~大正8年(1919) 北村喜代松の弟子。 文久3年に富山県下新川郡泊町(現 朝日町)平柳の大工 柳下平左衛門の二男として出生(本名 弥三)。 写真:平坂芳文(魚津章夫氏「明治の謎の彫刻家 平坂芳文(6)」より引用) 明治9(1877)-12年の頃に朝日村に来た北村喜代松の仕事を手伝うようになる。その後、喜代松について宮大工の仕事をして、明治22年に平松文左衛門の養 . . . 本文を読む

■06 北村喜代松(正信)と鬼無里神社の祭り屋台

2016年09月20日 | 06 北村喜代松(正信)
天保元(1830)-明治39(1906)年 越後国市振(現新潟県糸魚川市市振)の宮大工の建部喜兵衛の長男として天保元年に生まれる。弘化の地震(弘化4年、1847年)後の善光寺等の再建工事を機縁に長野にきて彫工として働いた。長野市鬼無里には22歳の時、嘉永4(1851)年から約10年間滞在し宮彫師として祭り屋台と神楽の彫物を製作した。文久年間(1861-64)に桜小路町(現 長野市桜枝町)の北村家 . . . 本文を読む

■06 北村喜代松 とは

2016年06月04日 | 06 北村喜代松(正信)
北村喜代松(三代正信) 天保元(1830)~明治39(1906)  越後市振村(現糸魚川市)の宮大工 建部家に生まれた喜代松は、善光寺再建工事を機縁に文久年間(1861〜4)長野村(現長野市桜枝町付近)の北村ふさ(鬼無里生まれ、父は北村民右衛門で熱心な日蓮信者)の婿となり、建部姓から北村姓となる。建部家の世襲名正信(三代)はその後も名乗る。その後15年経て故郷から新築寺 . . . 本文を読む