江戸時代、北信濃の多くの寺社は越後から来た宮大工によって建設されました。市振大工(いちぶり:現在の糸魚川市)、名立大工(現在の糸魚川市)、出雲崎大工、間瀬(まぜ)大工が挙げられます。
間瀬地区は弥彦神社で有名な弥彦山の海側に面した小さな集落です。旧岩室村に属し、現在は新潟市西蒲区となっております。この地から北信濃だけでなく、福島や北海道まで活動の場を広げました。
・伝・石塚甚助の羅漢像
●間瀬について
間瀬大工兼彫工の 石塚甚助ら出稼ぎでは信州野沢温泉村の健命寺本堂も建造しています。
地元の方が中心となって、間瀬の宮大工であった篠原、石塚、赤川家から大工道具、下図や設計図を後世に伝えるために収集し資料館(越後間瀬宮大工資料館、新潟県西蒲区新谷地区)を開設しています。
-管理者の方が高齢になり、こちらの資料館の展示をどうしていくかで、閉鎖の可能性があります。
・越後間瀬宮大工資料館(新潟県西蒲区新谷)-海沿いの間瀬に作ると海の塩で道具が駄目になるとのことで、間瀬の弥彦山をはさんだ内陸の新谷地区に開設されました。
・資料館の道をはさんで反対には農産物直売所「にしかん」があり、2階は米百俵誕生の地資料館となっております。こちらも一緒に見学をどうぞ。
以下ー間瀬宮大工保存会の方が保存している資料を了解を得て紹介させて頂きます。
・冒頭に紹介した伝・石塚甚助の羅漢像(高さ22㎝、幅25㎝)(石塚家蔵)
・羅漢像の背面
・獅子の木鼻のミニチュア版 幅11㎝
・同 獅子の木鼻のミニチュア版
・同獅子の木鼻のホゾの面 「東都住」と墨書があることから、石塚甚助の彫物師匠であった後藤流の後藤正綱作と推定。
・振り面獅子のミニチュア版 幅16㎝ー裏にホゾがあり。
・間瀬大工の衣装
・間瀬大工が使用した弁当箱 2食分 高さ20㎝、幅28㎝。-大きいです。
大工道具を紹介します。-これだけのまとまった道具資料はなかなかないと思います。
・大工道具ケース①の1
・大工道具ケース①の2
・大工道具ケース①の3
・大工道具ケース①の4
・大工道具ケース②全体像
・大工道具ケース②の1
・大工道具ケース②の2
・大工道具ケース②の3
・大工道具ケース②の4ー壁にかけられた鋸
・大工道具ケース②の5
以下は設計図です。
・寺院設計図① 石塚正規(甚助)
・寺院設計図② 制作者不明
設計図②の拡大―向拝部の彫刻が詳細に描かれています。
・寺院設計図③ 屋根内部
・札幌医務所の設計図
・近代建築の設計図
間瀬大工と信濃の国
間瀬大工が関わった寺社は、野沢温泉の健命寺本堂(棟梁は石塚甚助)、佐久市の蕃松院本堂(彫工に石塚甚助)、木島平村の稲泉寺(棟梁は篠原要助)、長野市の寛慶寺本堂(初期の棟梁は篠原勝蔵、建築中に没)、須坂の柴宮の諏訪社(本殿は篠原要助、拝殿は篠原勝蔵)、飯綱町の證念寺本堂(棟梁は篠原要助)、中野市の常楽寺本堂(棟梁は本間氏)、真宗寺本堂(棟梁は篠原重房)が挙げられます。間瀬大工の棟梁家として篠原、石塚、田中、宝輪、宝輪、柏原、幸村家他あります。
間瀬大工は残念ながら、最後の赤川惣太郎で絶えてしまいましたが、間瀬大工の建造した素晴らしい建造物は現在でも残されています。
*本投稿は、間瀬大工の偉業を少しでも認知してもらいたいとの間瀬宮大工保存会の井田さんから了解を得て作成しました。
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