花輪の有力彫工であった関口文治郎が、彫工として関わった長野県の唯一の建造物で、重要文化財になっています。宝暦12年11月上棟。
「なぜ、花輪の彫工が南信地方で?」と疑問が生じます。これは、妻沼聖天山本殿の棟梁を務めた武州妻沼の宮大工(平内大隅流)の林家と、関口文治郎の関係からわかります。熱田神社本殿の大工棟梁であった池上善八は、長谷村出身の大工で、妻沼の林兵庫の門弟でした(文書に、「大工棟梁 . . . 本文を読む
千曲市稲荷山出身。正式名は小林佐太郎藤原茂高(号 五藤)。
推定であるが1790頃に出生し、安政5(1852)に亡くなっている。
稲荷山中町で小林佐左衛門の長男として出生。通称は佐太郎。
京都吉田家より風折烏帽子、狩衣の着用を許される。後に官職を受けて「杢正」と名乗る。文政年間から安政年間に活躍。しばしば上洛して京都御所の造営にも奉仕。
後藤流の流れをくむ。天保6(1835)吉田家からの裁 . . . 本文を読む
竹内八十吉は、文化12年(1815)生まれで、山嵜儀作の16歳年長になる。
太郎山神社本殿 正面
八十吉は明治6年に上田市太郎山神社(太郎山の頂上付近)の彫工として参加した。
棟札によると彫工の最初に竹内八十吉、善光寺妻科村彫工 山崎儀三久、花岡 巽、 彫工 後藤辰蔵とある。
山崎儀三久は山嵜儀作のことで、花岡巽、後藤辰蔵(後藤流の流れ?)の2 . . . 本文を読む
戸隠神社宝光社 社殿―文久元年(1861)
彫工:不明(彫工は、北村喜代松とされていたが、作風からそうとは言えず、喜代松の関与を示す資料はなく、彫工不明としました。)
しかし、戸隠の近くの長野市浅川北郷にある浅川原神社拝殿の彫物と酷似しています。浅川原神社拝殿は、長野市問御所の下條久米蔵棟梁(ルーツは越後の苅羽郡と推定)をはじめ苅羽郡大工の名が棟札にあり、この大工集団が宝光社にも関わったと思わ . . . 本文を読む