7月8日は和田啓十郎先生の命日になります(大正五年、享年45)。雨の中、恒例にしていました命日の墓参をしてきました。
現在、医者にかかって、西洋薬の他に漢方薬が処方される状況も、和田先生の尽力が大きいと思います。
・和田啓十郎先生の肖像(明治44年、39歳)『和田啓十郎遺稿集』(和田正系著)より引用
・故郷・長野市松代町牧島の墓所 正面には「和田啓十郎墓」、下の石段には「治本堂」と刻まれ . . . 本文を読む
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13. 坂井衡平の業績
(1)著書・論文
表1に衡平が著述したものを示した。『善光寺史』以外は、衡平の生前に刊行されたもので、郷土史関連が四冊、それ以外が九冊(一部重複あり)となっている。校正は衡平と甥の喜夫が行った。本の主題は、それぞれ郷土史(善光寺や更級郡関連)、国文学、日本人の国民性であり、一見関連がなさそうに思え . . . 本文を読む
*他紙(市誌研究ながの26号)に投稿したものですが、坂井衡平の業績をネットで検索できるようにブログにあげました。字数制限により抜粋になります。
坂井衡平は、善光寺研究における最高レベルの学術書『善光寺史』の著者として知られる。その研究は著者の存命中には刊行されず、没後も長い間、信濃教育会資料室に保管された清書原稿が一部の研究者に閲覧されただけで、光が当たることはなかった。衡平が亡くなって33年 . . . 本文を読む
善光寺の境内は、江戸後期から大正期にかけて大きく変わってきました。元禄期の火災で善光寺は焼失し、本堂は現在の元善町(元の善光寺の意味)から300m北方の現在の場所に移動し、宝永4年に再建されました。本坊の一つである大本願は、元禄期までは(前の)善光寺本堂のすぐ前にあったのですが、宝永期の再建で大本願はそのままの位置に再建され、結果的に大勧進が本堂の近くに位置する様になりました。2つの本坊と善光寺 . . . 本文を読む
知人の矢島忠亨(ただゆき)氏が、謎の多い善光寺の創建について調査し、大胆な仮説を立てて著述し、2018年10月に自費出版で発刊されました。
私と矢島氏ですが、私の寺社彫刻の調査の延長で善光寺を調べていた縁で、交誼を結んできました。
善光寺大本願の初代上人が、聖徳太子の妻の刀自古郎女(とじこのいらつめ)であり(大本願HP「現お上人様の紹介」の頁 参照)、善光寺の創建、本尊の絶 . . . 本文を読む
長野市城山(善光寺の東隣)にある県社を紹介します。宮彫はほとんどありませんが、善光寺と深い関係がある神社です。今回、明治24年の長野大火前後の境内図を紹介します。
まず、昔の参詣のしおり-昭和期
●明治の大火で焼失後の再建境内図(現在の社殿)
明治41年印刷。現在の境内と同じです。
拝殿と本殿
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今回は、趣向が異なります(宮彫中心というよりも郷土史)。前回紹介した小林五藤は本業の宮大工の他に、典厩寺の菩薩像を作る仏師のような仕事も手掛けています。さらに、善光寺地震で被災した彼自身が被害状況をわかりやすくまとめた地図を、地震後早い時期に制作・発行し、マルチな才能を発揮している。―宮彫師は明治になってからは、根付制作(立川啄斎、後藤正義)、大理石彫刻(北村四海)など生きていくために他分野にチ . . . 本文を読む
昭和11年に作られた長野駅駅舎です。
善光寺の門前にふさわしい仏閣型で、私は小学校の長野見学で松本から電車に乗って姨捨を越え、この駅舎に降り立ったのですが、「駅なのにお寺か」と思った記憶があります。
この駅舎は、長野オリンピックの前年の1997年(平成9年)に取り壊されて駅舎を一新しまして、さらに北陸新幹線開業にあわせて昨年(平成27年)に駅舎を新しくしています。
仏閣型 . . . 本文を読む