明治27年、山嵜儀作。
現在、加茂神社には3台の神楽がある。そのうち二台が現在も秋季例大祭で使用されているが、儀作の神楽屋台は境内の倉に保管されたまま人目に触れてこなかった。平成28年から氏子の方々の発案で、儀作の神楽屋台を拝殿内に移し、秋季例大祭(9月16日)では参拝者が神楽屋台を見学できるようになった。
神楽屋台の制作時期であるが毘沙門天の右手にもつ杯の上面には「明治二十七年」と刻まれている。神楽の制作者を示す墨書、刻銘は確認できないが、加茂神社本殿は慶応四年(一六八六)、拝殿の向拝部の増築は明治十八年(1885)に山嵜儀作によって施工された。作風も山嵜儀作のものと考えられた。
一間社流造、総ケヤキ製で、総高は154cm、正面柱間55㎝、母屋側面幅48㎝。正面虹梁は「飛龍」、母屋上部欄間には「天の岩戸伝説」、両側面の妻部の力神と欄間の七福神がつき、小西組、新諏訪町と共通する。脇障子は「高砂の尉と姥」。
正面 水引虹梁「飛龍」、木鼻「龍」
左側面
左妻部 「力神」
右側面
毘沙門天に鬼がお酌している構図は、和本「花鳥山水細画」に収載されています。
脇障子「高砂」
神楽屋台は「太神楽」(単に「神楽」)と呼ばれ、箱型の長持に貫を通して、その上に社殿形の祠を載せ、後部に太鼓が取り付けられた形態である。以前は担いで移動したが、近年はリヤカーに載せて移動している。この神楽屋台は、水内地方以外では確認できず、当地方で独自に発展してきた文化といえる。神楽屋台の装飾彫刻を担当したのが彫工、彫物師と呼ばれる技術者になる。寺社彫刻のミニチュア版の彫物は精巧につくられ、この水内地方の文化の独自性と高さを示す芸術品でもある。
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