北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

県社 健御名方富命彦神別神社(長野市城山)

2017年10月27日 | ▲善光寺平の歴史

長野市城山(善光寺の東隣)にある県社を紹介します。宮彫はほとんどありませんが、善光寺と深い関係がある神社です。今回、明治24年の長野大火前後の境内図を紹介します。

まず、昔の参詣のしおり-昭和期

 

●明治の大火で焼失後の再建境内図(現在の社殿)

明治41年印刷。現在の境内と同じです。

 

 

拝殿と本殿

 

現在の拝殿

 

拝殿社額

 

現在の本殿:木鼻に彫刻あり。

本殿の西隣の木匠祖神社:明治期に近隣の有力宮大工らによって建立

木匠祖神社(現社殿は建替え) 後部に石碑が建てられている

 

善光寺大本願棟梁 坂口森右衛門。坂口家は、善光寺本堂、山門、経蔵の建築に関わってきた。

 

●明治大火前の境内図(明治13年):現在よりも規模が大きく、大火で焼失したことは残念です。彫物も沢山あった可能性があり。

拝殿の東側には(図の右)、明治天皇の行幸所がある。この図を見ながら、境内を歩くとイメージが湧くと思います。

 

拝殿と本殿の拡大図

-以下、境内の拡大図

県社の宮司の斉藤家からデータを頂きました。

別の機会に、善光寺の年神堂との関係も紹介したいと思います。


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