北信濃寺社彫刻と宮彫師

―天賦の才でケヤキに命を吹き込んだ名人がいた―

▲A 昔の長野駅 (仏閣型)

2016年09月27日 | ▲善光寺平の歴史

昭和11年に作られた長野駅駅舎です。

善光寺の門前にふさわしい仏閣型で、私は小学校の長野見学で松本から電車に乗って姨捨を越え、この駅舎に降り立ったのですが、「駅なのにお寺か」と思った記憶があります。

この駅舎は、長野オリンピックの前年の1997年(平成9年)に取り壊されて駅舎を一新しまして、さらに北陸新幹線開業にあわせて昨年(平成27年)に駅舎を新しくしています。

 

仏閣型の長野駅 駅舎。昭和11年当時(御開帳にあわせて建造されました)。絵葉書より。

これぞ、長野市にきたという思いになります。現在も残っていればと個人的に悔やまれます。

 

現在の長野駅。入口の木材は信州産の杉を使用しているそうです。

残念ながら、他の地方都市の駅舎とそう変わりはなく、没個性と思っております。

東京からきたお客さんは、昔の「仏閣型の駅舎」から降り立った方が善光寺にきたという気持ちの高ぶりがあるのではないかと思います。長野市は「ミニ東京」を目指すのではなく、長野独自の文化・個性を前面に出して地域の文化財を保護・PRしていっていただけたらと思う次第です。

ちなみに、現在NHKで「真田丸」を放送しておりますが、郷土史を調べていくと、松代初代藩主・真田信之(幸村の兄)、8代藩主である真田幸貫(ゆきつら:松平定信の二男で老中を努めている)の業績に驚くと共に尊敬の念が湧きます。

小説では、池波正太郎の直木賞受賞作『錯乱』が、真田信之が松代藩を幕府の改易から必死に守った逸話を紹介しています。「錯乱」は新潮文庫版の「真田騒動」に収載されています。

父、弟が注目されますが、真田信之は93歳まで生き抜いて3代徳川家光の世では「信濃の獅子」と呼ばれました。また、領民を非常に大事にして、27万両といわれる上田から松代に移った時のお金を川中島他、自身の領地の整備にも使いました。

2年前に松代の長国寺(真田家菩提寺で信之の霊屋がある)を調査した際に、境内で一人の20代女性(歴女?)に会ったのですが、自称「お兄ちゃん(信之)ファン」と話しており、県外から松代に来たそうです。地元の人間よりも信之を知っているようでした。

また、真田幸貫は、父の松平定信とともに諏訪立川流をバックアップしました。

 


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