甚六ぶらぶら日記

岩手の穀潰し主婦・甚六の覚書

啄木新婚の家

2008-02-14 15:55:08 | 盛岡散歩

 寒い寒い寒~い岩手です。朝晩の道路は磨かれた鏡のよう。つるっつるにすべります。路肩に突っ込んでいる車や180度スピンしてしまった車、坂道を上れなくてタイヤでますます路面を磨いてしまっている車など恐ろしい光景があちこちでくりひろげられています。
 そんなバレンタインデー、我が家では灯油を切らしてしまいました。買いに行くのが億劫な本当に寒い午後です。


 ・啄木新婚の家  中央通三丁目

 啄木夫妻と啄木の父母・妹がこの家に住んだのは明治38年(1905)6月4日~25日というごく短い期間です。啄木が住んでいたからこそ保存されているのかもしれませんが、むしろ藩政時代末期の武家屋敷として保存し見学する価値がある建物だと思います。屋根はかやぶき、防火のためトタンで覆っています。市指定有形文化財です。
 啄木夫妻が四畳半に暮らしていたということから、すごく狭い家なのかと思っていましたが、実際は大小9部屋もある家だったのですね。他の部屋はどんな使い方をしていたのでしょう。3週間しか住んでいなかったので、他の部屋を使うこともなかったのかもしれません。


 玄関を入ってすぐ。古い柱時計や、さまざまな展示があります。六畳間をはさんで一番奥に啄木夫妻の四畳半の部屋があります。


 啄木夫妻の部屋。随筆「我が四畳半」に書いたのはこの部屋のこと。天井や鴨居が低いです。多分鴨居は170cmくらい。当時の人の身長はどれくらいだったのでしょう。


 啄木の父母と妹の部屋。
 啄木と節子の結婚式はこの部屋で行なわれました。ただし啄木は出席せず「花婿のいない結婚式」だったのですが。しかも何度も式を延期をした上での強行です。
 ではその頃啄木は何をしていたかというと、東京から盛岡へ向かう汽車を仙台で途中下車して10日も滞在しています。そして友達と会ってビールなんか飲んだりしているわけです。やっと汽車に乗って北へ向かったかと思えば、盛岡を通り越して渋民に行ったりしています。私が節子なら即刻実家に帰らせていただくところです。
 この部屋には今節子愛用の琴が展示されています。

 開館時間  9時~16時(冬季)
 休館日   火曜日
 入館料   無料