
西ジャワ大周遊を楽しんだ翌日は、今回のジャカルタ鉄ヲタ訪問にあたって暖めていたもう一つのエクスカーションとして、スルポン線の先にあるバンテン州の一大商業都市・ランカスビトゥンへの往復を楽しんでみることにしました (州都はランカスの先にあるセランですが、ここまで行く列車は何故か極端に減ります)。
その動機としましては第一に、スルポン=バンテン線の当面の電化区間終点であるマジャまで、またはマジャから、約2時間の日本中古電車ロングランを楽しんでみたい……ということ。昨年もマジャに到達しましたが、その際にやって来たのはKFWであり、しかも昨年はマジャまで行く電車が一日5往復のみでしたので、次の電車がメトロで来るのを待つというリスクを冒すことは出来ませんでした。そこで、今回はそのリベンジを図ると同時に、片道は果たして何時無くなるかわからないスルポン=バンテン線客車鈍行を楽しもうと画策したのでありました。既に9月1日付記事でも記しました通り、スルポン=バンテン線の客車鈍行は、JR205系のさらなる増加に伴いまもなく運行区間を短縮され、パルンパンジャン乗換となる予定ですが、昨年マジャまで乗ってパルンパンジャン駅やティガラクサ駅の2面4線の偉容、そしてマジャまで続く堂々たる複線電化の進展を目にするにつけ、何となくそんな展開になるだろうなぁ~と見越しておりましたので、とにかくジャカルタ口で鈍行客車が頻繁(といっても30分~2時間間隔ですが)運転されている間に、如何にも昔の常磐線上野口を彷彿とさせる鈍行に改めて乗っておこうと思った次第です。
また別の目的としまして、3年前にメラクまで往復した際に車内から眺めたランカスビトゥン駅の雰囲気が、如何にも古き良きインドネシアの田舎主要駅という雰囲気であり、またGoogle Mapで眺めるにつけ観光地らしさゼロで全く飾らない小都会ぶりに心惹かれることから、ランカスビトゥンという場所そのものを見てみようと思ったのでした。そして、ジャカルタ到着翌日に落花生。様とご一緒した際、ランカスの西に廃線跡がある云々……という話を伺っておりましたので、ついでに一丁そんなスポットを探険してやろうじゃないか!という気分になったのでした (笑)。
これらの読みと目論見は悉くビンゴ!となったのみならず、その終幕にはとてつもなくビッグで嬉しい展開もありましたので、例によってつらつらと、生々しい記憶が薄れないうちに駄文を綴っておきたいと思います。

この日は先ず、前日の朝5時15分ガンビール発→20時ジャヤカルタ帰還という超ハードな活動も何のその、NHK衛星放送のニュースが始まる直前の朝4時45分にはアザーンとともに目覚め、6時過ぎにジャヤカルタから203系マト52編成に乗ってブカシ線のお気に入り撮影地に「出勤」(笑)。その後マンガライ経由でドゥリに向かい少々撮影、11時過ぎにドゥリを発車するアンケ始発ランカスビトゥン行鈍行の客となったのでした。
そこで、とりあえずテキトーにホームで待っていると……自分の目の前に停車したのはあろうことか、両端デッキのくせにオールロングシート化されたオハ41のようなシロモノ (滝汗)。それでも、既にバンテン線客車鈍行のうち、DC改造客車ではなく元から両端デッキの客車として製造された車両は全車小型家庭用クーラーで簡易冷房化されていますので、オハ41臭い車両にそのまま乗っても不愉快ということはありません。昨年の今頃は全車非冷房であったことを考えますと、とにかく猛烈なスピードで冷房改造したことが分かります……。とはいえ、車外の風景をも楽しむのであれば、これは何とも宜しくないわけで、隣のプラスチック2+2椅子の車両に速攻で移動! まぁこのプラ椅子車両の座り心地も、お世辞にも褒められたものではありませんが、今はなきエコノミー電車が晩年に整備される前の超!板張り椅子と同じチョロい椅子でしかない「オハ41」に2時間半揺られたくはありませんので……。なお、10両ほどの編成に2両ほど、長距離急行と同じクッションが効いた2+3ボックスシートの客車が連結されていましたが、この車両は既にアンケを発車した時点で満席 (笑)。やっぱ普段利用しているインドネシア人沿線民も、少しでも座り心地の良い車両に乗りたいに決まっているよなぁ……(^^;
というわけで、アメ罐らしい短調なホイッスルとともに走り始めたランカス行き鈍行、タナアバンを通過!したあとは、今をときめくジャカルタ南西部ニュータウンの高層マンション群を眺めながら(こういうところの住人は、間違ってもこんな、政府補助金充当によりランカスまでの全区間乗っても2,000ルピア[20円]しかしないような貧乏人列車には乗らないはず)、一路バンテン州の緑の大地を目指します。やがてスディマラを過ぎると緑が濃くなり、ニュータウンの趣が増すスルポンを発車すると、チサダネ川を渡っていよいよ起伏豊かな農村ゾーンへ! 単線時代のチサダネ川鉄橋は完全にレールと枕木が剥がされて鋼体と橋脚のみが残っている状態ですが、何度見ても高度感はスゴいの一言 (その後間もなく解体工事開始……)。ここを歩いて渡られたYopie様(かつてジャカルタ御駐在時代に名サイト『JABOTABEK Railnews』を運営され、現在は『Tokyo Railway Labyrince』を運営)のタフな心臓には誠に頭が下がります……! そして、数年前にやはりYopie様によって「掘っ立て小屋のような駅舎と僅かな駅前集落があるのみの、まともなホームが無く辺り一面水たまりだらけの超ド田舎駅に、メトロ7000系が到着しますの図」が紹介されて凄絶な衝撃が走った (笑) チチャユル駅も、今やすっかり駅前にパークアンドライドが整備されるなどしてKCJの駅の見本のような雰囲気になっています。田園都市線が開通した当初もこんな感じだったのだろうなぁ……と。
そんなこんなでパルンパンジャンに到着し、車内の5分の2ほどの客が入れ替わったあとは、いよいよ麗しのバンテンの核心区間へ! チレジット駅手前の大カーブは、何度通っても最高の気分です……。さらにダル、テンジョーと進んで行きますと……ぬわわ何と!すれ違う電車は究極の神出鬼没かつ衝撃的存在……!! そこで「しまった!マンガライからドゥリに向かって暢気に撮り鉄せず、タナアバンで降りてスルポン線の電車を待っていれば、すぐにこれがマジャ行としてやって来て、白昼マジャまで約2時間の旅を激しく満喫出来たのではないか……」という強烈な煩悶に襲われたのですが、速攻で目の前のそれに飛び乗るわけにも行かず、お互い僅かな停車時間でテンジョーを発車……。嗚呼……行っちゃった。
しかし、最早それは後の祭り、仕方がありませんので、多少冷静さを取り戻してパクアン急行様から頂いた運用表をチェックしたところ……何と!運用表通りに回れば、この編成はタナアバンまで戻った後スルポンまで1往復し、改めてマジャ行になる!! 時間的には、17時13分にパルンパンジャンに来るため、それまではランカスまで往復してエクスカーションを楽しみ、ランカス3時半の列車でパルンパンジャンまで戻って来るとOKだ……と速攻でプランニング!! ボゴール線はダイヤが乱れると運用もメチャメチャになりがちですが、スルポン線はブキッドゥリに入庫しない限り運用が孤立しているため、多少時刻が狂っても多分運用表通りと思われるわけで……♪ そこで、ルンルン♪という気分でティガラクサ→チコヤ(昨年の訪問時はホームのない超!ド田舎駅でしたが、ここも既に相対式の立派なホームが完成)→マジャと進み、ここから約30分間、チテラス駅を挟んだちょっとした非電化区間峠越えを楽しんだのち、ついに13時30分過ぎ、少々定時よりも遅れて終点・ランカスビトゥンに到着したのでした。
それにしても、マジャからランカスまで、僅か2駅とはいえメチャクチャ遠い……。鈍行ですとマジャ~チテラス、チテラス~ランカスのいずれも約15分ほどかかります。交換出来る駅は勿論チテラスしかありませんので、こりゃ~列車を平均30分間隔よりも短く詰めるのは無理か……。周囲に比べて乾いた高原状の風景で人口密度も極めて少なく、やはり今後も単線非電化のままダイヤ設定上のボトルネックであり続けるのでしょうか? それともランカスまで電化されるのは果たして何時のことやら? ……な~んてことを乗車中考えていたのですが、何と!実はこの区間も複線電化工事が始まっていたという……! 往復いずれも北側の車窓風景を眺めていたので全く気づかなかったのですが、南側で結構線路脇の拡幅・整地が進んでいることが、パクアン急行様のブログにもしばしば美しい撮り鉄画像で登場されるAdam様のブログで明らかとなりました。やっぱそりゃぁ~、ランカスビトゥンまでKCJ・ICカードチケットの範囲とするならば、何時までも単線非電化のまま放っておくはずがないということで……。