新古今和歌集の部屋

新古今和歌集の西行歌の撰歌2

3 撰歌材料

西行の家集には、山家集、異本山家集、聞書集、残集、山家心中集など、自歌合の御裳濯河歌合、宮河歌合がある。

山家集は、西行家集の代表的家集で、凡そ1550首ある。この写本は、(1)陽明文庫本系、(2)細川幽斎本系、(3)松屋本系、板本も寛文版などがある。新編国歌大観は、この(1)を底本としており、これにより歌数を数えた。

異本山家集は、東京帝国大学教授藤岡作太郎博士所蔵で、博士死後、石川県立図書館に寄贈され、李花亭文庫として保管されている。他の流布されている山家集と異なっているので、西行法師家集(国歌大観名)や西行上人集(表紙外題)、藤岡山家集と呼ばれている。歌数は787首。国歌大観により歌数を数えた。

聞書集は、藤原定家筆で伊達家に伝わり、天理図書館が所蔵している。巻頭に「きゝつけむにしたがひてかくべし」とあり、「西行に親しく接した者が、その歌を忠実に書き留めたものと思われる」(糸賀きみ江 国歌大観解題)となっており、山家集と一致する歌は無いが、源平騒乱の折りの歌などを含み、263首である。8首は新古今に、86首は夫木抄に入撰している。佐佐木信綱は、「しかして、伊勢に關する記事が多いから、西行が伊勢に在つたほど、その敎を受けた西公談抄の編者蓮阿(家田滿良)が西行の歌を聞書した集の稿本であつて、後に定家が新古今集を編纂する際、資料としたものではないだろうか」(岩波文庫 後記)と推察している。同じく国歌大観。

残集は、聞書残集とも呼ばれ、「この集は、西行の没後、知己の間で晩年の遺稿をまとめたものと思われる」(糸賀 同上)。同じく国歌大観。

補遺は、佐佐木信綱が岩波文庫において、伊藤嘉夫が集めたものより抜抄したもの。岩波文庫 山家集より数を数えた。

山家心中集は、異本山家集の抄出本で、372首で最後に俊成との歌の遣り取り歌2首が掲載されており、千載集の撰歌材料として本人自薦の歌を送ったのでは無いかと思われる。近藤潤一は「それを『原千載集』撰集時とみれば、成立は承安末年、西行五十代後半から六十代前半のあるとき、と想定される」(新編体系)としている。新編日本古典文学体系本より歌数を数えた。

御裳濯河歌合、宮河歌合は、西行自身が自撰した72首づつを歌合形式として、藤原俊成と定家の親子に判を依頼した。俊成は、ちょうど千載集を編纂中で、勅撰集の完成まで歌合の判を行わないと言う神契を立て、当初断ったが、西行に押し切られて判を行い、文治三年(1187年)頃成立した。当時、定家は大歌人西行の判を行うのが嫌で、再三再四の催促でやっと文治五年(1189年)頃仕上げた。古今著聞集によれば清書は慈円が行い、伊勢の内宮、外宮に納められた。また同じく、原稿は藤原家隆が貰って、娘が引き継いだとある。この経緯から、当代一の歌人俊成には、自身の歌の評価を、定家には自分の後の歌の道を引き継いで欲しい。又、慈円、家隆にも同じ考えだったのでは?と思う。これも国歌大観により歌数を数えた。

これらを新古今和歌集に掲載された歌事にまとめると表2の通りとなる。

表2 新古今和歌集に撰歌した西行家集

      家集歌数  撰歌数

山家集    1552   43

異本山家集  787    92

聞書集    263     8

残集     32    1

補遺     119    3

御裳濯河   72   24

宮河     72   16

山家心中集  372   24

出典不明         1

(注)

1新編国歌大観、新編日本古典文学体系本より。

2 切出歌1首を含む。西行歌数には他者の歌も含む。

これを見ると、撰者達は、異本山家集を読み撰歌したのではないかと思われ、山家集はあまり参考にしたとは考えられない。異本山家集の抄出である山家心中集は全歌数の割には新古今和歌集撰歌数は多いが、全撰歌の30%程度しか材料とされていない。

異本以外の単独家集は、補遺の「有明はおもひ出あれや横雲の」と「月のゆく山に心を送り入れて」の2首で、共に雅経が撰歌している。

撰歌資料不明は、定家が撰歌した「思ひ置く人の心にしたはれて」である。

 

写真は、掛川市小夜の中山

参考文献

新編国歌大観 巻第三 角川書店

新日本古典文学体系 中世和歌集 鎌倉編 岩波書店

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