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阿部薫を知っていますか

2023-02-09 10:17:23 | JAZZ
 阿部薫というミュージシャンがいたことをご存じでしょうか?

 阿部薫は1949年に生まれ1978年に29歳の若さで亡くなった天才と呼ばれた伝説のフリージャズ・ミュージシャンです。メインはアルトサックスですが、ハーモニカ、エレキギター、ドラムス、シンセサイザーなど様々な楽器を演奏しました。生前より亡くなった後の方が評価されるようになり、今でも時々話題に上ります。

 私が彼に会った(演奏を聞いた)のは、1973年頃で福島市にあった喫茶店カフェ・パスタンででした。当時パスタンは普通の喫茶店でメゾン・ド・ミヌールというビルの張り出した2階にあり、そこで演奏会が行われました。

 阿部薫は小柄で色白、坊ちゃん然とした風貌で少し上目遣いでぼそぼそと話す、そんな印象でした。しかし、一旦演奏を始めると、どこにこんなエネルギーが潜んでいるのだろうと思えるような音を奏でました。時にやさしく、時に激しく。

 パスタンのママ松坂敏子さん(以後ママと書きます。)は、彼のことを「きれいな音の人」と言っていました。

 パスタンはその後隣の昔花屋さんがあった1戸建てに移って本格的なジャズ喫茶として営業を始めました。そこでは、たくさんのミュージシャンがライブ演奏を行いました。阿部薫もたくさん演奏をしています。その演奏も1,2度聞いています。私は既に仕事で福島市を離れ、パスタンを訪れる機会は少なくなりました。パスタンでの演奏をYouTubeで見ることができます。こちら

 パスタンでは自由に演奏してそれをママの息子の亨(すすむ)くんがTEACの2トラ38を回して録音しました。その音源でいずれレコードを出しましょうというのが阿部薫、ママ、亨くん、3人の約束だったそうです。

 1978年、ママから電話がありました。
 「阿部さん 死んじゃった ・・・・」

 それから20年以上経ったころ、出張の帰りにパスタンに寄ると、ママが一生懸命CDを作っていました。阿部薫がパスタンでレコーディングした演奏のCDです。CDRに一枚一枚手作りをしていたのです。その時に買ったCDが今手元にあります。録音された時期は、1974年から1977年です。制作は1999年9月です。

これは10枚組のボックス。

他に3枚。

 たぶんその後だったと思いますが、市販の阿部薫のCD「暗い日曜日」も買いました。



 朝ドラ「あまちゃん」の音楽を担当した有名な大友良英さんは、高校時代にパスタンで阿部薫の演奏を聴き、衝撃を受けたと書いています。記事はこちら。ひょっとすると同じ時間、同じ空間に私もいたかも知れませんね。

 阿部薫のCDを聞くことはほとんどありません。でも彼の演奏は記憶の中にしっかりと残っています。命を削って演奏したミュージシャン。もう少し長く生きてほしかったなー。

NHK オールデイ・ジャズ・リクエスト

2022-03-21 14:02:55 | JAZZ
 NHK FMのジャズ番組「オールデイ・ジャズ・リクエスト」をエアチェックしたカセットテープが出てきました。

 この番組は、1992年から始まり10年以上続いた、一日中ジャズのリクエストを放送する番組でした。当時は録音はまだアナログで、このようにテープに録音するのが一般的でした。

 10時間以上の番組ですから、カセットテープはC120を使い、5本から6本になります。録音にはラジカセを使い、片面の録音が終わるとひっくり返すという操作を繰り返します。うーん、暇だったんですね。これらのテープ、録音から20年以上経ちましたが、今でも十分聞くことができます。


 この日は、一日中(10時間30分以上)ジャズを楽しめるジャズファンにとっては極楽のような一日でした。

 私は1回だけリクエストをして採用されたことがありました。懐かしい思い出です。

 因みに、録音した日付とデータです。

 第6回オールデイ・ジャズ・リクエスト
 1997年10月10日(金)12:15~22:45
 司会 立子山博恒アナウンサー 中川ヨウ

 第8回オールデイ・ジャズ・リクエスト
 1999年10月11日(月)12:15~22:45
 司会 浜中博久アナウンサー 齋藤陽子

 第9回オールデイ・ジャズ・リクエスト
 2000年10月9日(月)12:00~22:45
 司会 浜中博久アナウンサー 小川もこ

 第10回オールデイ・ジャズ・リクエスト
 2001年10月28日(日)14:00~25:00
 司会 浜中博久アナウンサー 小川もこ

 この番組、2003年までは続いたことが確認できましたが、いつ終わったかは分かりませんでした。

オーネット・コールマン クロイドンコンサート

2022-02-15 13:26:17 | JAZZ
 1970年頃、NHK FMのジャズ番組で、オーネットコールマンのクロイドンコンサートを聞きました。
 2曲目、「サッドネス」を聞いたとき、背筋がゾクゾクッとする感動を覚えました。それまでの人生で初めてのことでした。

 高校生の頃からジャズを聴き始め、スウィング感のあるジャズばかり聞いてきた私には、衝撃的なことでした。こういうジャズもあるんだ。私がジャズの様々な演奏を聴き始めるきっかけになった演奏でした。

 その後、自分でレコードを購入しました。ジャケットには演奏するオーネット・コールマンの姿。2枚組のレコードです。
表面
裏面

 オーネット・コールマンはフリージャズの創始者と言われます。
 リズムやメロディの制約を極力なくして、自由に表現するジャズ。
「スウィングしなけりゃジャズじゃない」と良く言われますが、そうでないジャズがあっても良い。
 では、ジャズとは何?
 いろいろ定義するする人はいるのですが、演奏する人がジャズだと思い、聞く人がジャズだと思えば、ジャズ。非常にあいまいなのですが、それくらい幅のある音楽だと思うのです。

 なお、オーネット・コールマンについてのうんちくを書く気はありません。
オーネットのレコード1枚、CDを5枚持っていますが、そんなに詳しくは知っているわけではありません。
 手元に「ジャズ批評 No.98」オーネット・コールマン大全集(1999年刊 ジャズ批評社)がありました。表紙は、故和田誠氏の味のあるイラストです。

 詳しく知りたい方には、ぜひご一読願いたいと思います。

ジャズ批評とジャズ喫茶について

2022-01-14 20:21:34 | JAZZ
 私の手元にある「ジャズ批評」の最も古いもので、1969年の第6号です。

 この冊子、実はジャズ批評の発行人であった松坂比呂さん(故人)からいただいたものです。

 いただいたのは、確か1971年頃だったと思います。当時私は福島市に住み、地元の大学に通っていました。大学3年生の夏休み、友人のTに誘われて大学近くの喫茶店でアルバイトをしました。

 その喫茶店が、カフェ・パスタン。当時は普通の喫茶店で、コーヒーの淹れ方や簡単なカクテルなどの作り方を教えていただいてボーイをしました。オーナーは、ジャズ界では知る人ぞ知る松坂敏子さん(故人)でした。(以後ママと言います)

 ある日、「畠さん ジャズが好きなんですってね。こんど何かジャズのレコード聞かせて」と言われて、持参したのがチャールスミンガスの「直立猿人」ともう一枚のLP(もう一枚の方は忘れてしまいました)です。



 ママは自分のビル、メゾン・ド・ミヌールの4階でオーダー専門の「あゆみ」という洋装店も経営されていて、そこにあった古いステレオで持参したレコードをかけました。

 その後、ママの義妹が以前銀座でジャズ喫茶オレオを経営されていたこと、今はジャズ批評というジャズ雑誌を発行しいることなど知ることになりました。松坂比呂さんが福島市においでになった時にジャズ批評のバックナンバーを何冊かいただき、その中の一冊が写真のものです。

 アルバイトを終えた後は、今度は客としてパスタンに通うようになりました。そんなある日、「福島ではジャズの生演奏がなかなか聞けないんだよね」と愚痴をこぼしたことがありました。しばらくして、ママから「渡辺貞夫のコンサートやるよ」と言われ、びっくり。たぶん松坂比呂さんのお世話もあって実現できた話だと思いますが、当時個人がジャズのコンサートを開くということは画期的なことだったと思います。

 パスタンに集まっていたジャズ好きの客(当然私も)が協力して、福島県文化センターの小ホールで渡辺貞夫のコンサートを開かれました。昭和48年(1973年)のことだったと思います。ステージの袖で聞いた生演奏を今でも思い出します。パーソネルは、アルトサックス渡辺貞夫、トロンボーン向井滋春、ギター増尾好秋、ドラムスつのだひろ、ピアノ板橋文夫、ベースは忘れてしまいした。
 
 その後、パスタン主催のジャズコンサートが次々に行われ、山下洋輔トリオなど当時のそうそうたるジャズマンが福島市にやってきて演奏しました。

 昭和50年(1975年)、私は仕事の関係で福島市を離れることになました。そのころパスタンは、メゾン・ド・ミヌールのすぐそばの一戸建ての建物に移ることになり、ママからどんなオーディオ装置をいれたらよいかと相談を受けました。当時の私は真空管アンプを自作するなどオーディオマニアだったからです。

 ジャズ喫茶としての開店ですから、スピーカーは何といってもJBLです。3wayスピーカーとして、
ウーハーは、2220+ショーホーン4560
スコーカーは、ドライバ2440+ホーン2350+2328
ツイーターは、2405
という提案をしました。

 しばらくして、ジャズ喫茶パスタンが開店しました。店内は黒く塗られ落ち着いた大人の雰囲気でした。そして正面には私が提案したスピーカーシステムが鎮座していました。

 スピーカー以外の装置は、当時福島市にあったオーディオ専門店のアドバイスで購入されたようです。カートリッジはオルトフォン、アンプはパイオニア製で、プリアンプがC3メインアンプがM3でした。このシステムで出てきた音は、クリアでボーカルもしっとりしているオールラウンドという感じでした。
ボリュームを上げるとしっかりと迫力のある音がしていたと思います。

 ジャズ喫茶と言えば、オーディオが命。全国のジャズ喫茶が当時どんなオーディオシステムを使っていたかは、ジャズ批評別冊の1976年発行「ジャズ日本列島」51年版に掲載されています。今となれば貴重な資料です。


 当時、私が良く行った福島市のジャズ喫茶(ここではジャズをかけている喫茶店という意味で)は、駅前の「ほっとはうす」、国道4号沿いの「パスタン」、文化通りの「ジェスパ」、競馬場近くの「不思議の国のアリス」など。そう言えば郡山市のA&Sにも時々行ったな・・・とにかく全国津々浦々にジャズ喫茶ありでした。


 ジャズ喫茶は、日本固有の文化と言われいます。あれから半世紀を経ていろいろなものが移り変わっていく中、まだしぶとく生き残っているところがあるようです。その中でジャズ喫茶の聖地とも言われるのが岩手県一関市の「ベイシー」。コロナ禍の現在休業中のようですが、一昨年ベイシーのドキュメンタリー映画が公開されています。(私は見ていませんが)。ジャズ喫茶、残ってほしい文化ですね。

 そして、「ジャズ批評」も生き残っていますね。スイングジャーナルなど多くのジャズ雑誌が廃刊になる中、しぶとく生き残っていることに拍手を送りたいと思います。


坂道のアポロン

2022-01-11 12:28:42 | JAZZ
 最近、テレビが面白くないので、YouTube動画を見ることが多くなりました。

 様々なジャンルの動画を見るのですが、YouTubeでは一度見たジャンルの動画を次から次へとリストアップしてきます。その中でJAZZの動画を見ることも多いです。過去の演奏、最近のアーティストなどなど。

 その中でJAZZをテーマにした「坂道のアポロン」というアニメを見ました。このアニメの舞台は1960年代の長崎県佐世保市。物語はJAZZを縦糸として、二人の男子高校生と一人の女子高校生の友情と恋愛と家族関係を横糸に展開していきます。流れてくるJAZZは60年代のモダンジャズ。まさに私の青春時代のジャズでした。

 ビートルズの音楽やグループサウンズ全盛の時代、「やっぱりオレはジャズだな」などと粋がる高校生の姿は、まるで自分を見ているようでした。そして、甘酸っぱくもほろ苦い青春の思い出と葛藤。

 あれから50年。あっという間の時間。このアニメと同じ時代を経験をした方々がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。そんな方にはぜひ見ていただきたいアニメです。青春プレイバック。