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あれこれ備忘録

色々と関心のある記事をメモ。
元記事がすぐに削除されるケースも多いですからね。

「元気バイ」どんたく開幕 玄界島漁師がパレード参加

2005年06月20日 19時18分00秒 | 福岡西方沖地震
 初夏の福岡の街を思い思いの衣装をまとった市民が彩る第44回博多どんたく港まつりが3日、始まった。福岡県西方沖地震で被害が大きかった玄界島(福岡市西区)の漁師が大漁旗を手にパレードに参加、復興をアピールした。
 市街地の地震被害はほとんど復旧されているが、観光産業などへの風評被害が懸念されることから、福岡市などは「元気バイ!!ふくおか」のキャンペーンを展開。どんたくを機に街の活気を全国に伝えようと、九州一の歓楽街・中洲周辺などに「元気バイ」と書かれた約5メートルの飛行船型風船約60個を飾った。
 玄界島の漁師約50人は大漁旗を手に照れくさそうに行進。沿道から拍手とともに「がんばれよ」などと声が飛ぶと手を振って応えた。
 好天に恵まれ、主催者発表では昨年を上回る約110万人が訪れた。4日は飛び入り自由の「総おどり」が行われ、2日間で約210万人の人出を見込んでいる。

(共同通信) - 5月3日17時51分更新

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漁船110隻がパレード 玄界島の復興アピール

2005年06月20日 19時15分40秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震で大きな被害を受けた玄界島(福岡市西区)の漁師らが3日、「博多どんたく港まつり」のイベントの一環として、約110隻の船団を組み、博多湾を海上パレードした。島の復興をアピールするのが狙いで、玄界島の漁協から約50隻、市内の他の漁協から約60隻が参加した。
 午前7時半すぎ、好天の中、地震で壊れた屋根を覆う青いシートがまだ目立つ玄界島を出発。「大漁」などと書かれた色とりどりの旗やこいのぼりを掲げた漁船が3列、約1キロに連なって約1時間半、博多港まで航行した。
 船団の先頭で航海した玄界島の漁船「祐幸丸」の船長は「全国から支援をいただいたが、私たちができる恩返しは元気な姿を見せることだ」と話した。

(共同通信) - 5月3日11時7分更新

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感謝込めてハマチ配る 玄界島の漁師が8百匹

2005年06月20日 19時12分33秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震で被害を受けた福岡市の玄界島の漁師が2日午前、同市中央区の「かもめ広場」で、世話なったボランティアらに感謝を込めてハマチ約800匹やワカメをプレゼントした。
 福岡市漁協玄界島支所の久保田--削除--さんは「住宅など大きな被害を受けたが、幸いにも漁船は無事で漁を再開することができた。多くの支援に感謝したい」とあいさつ。
 避難所だった九電記念体育館でボランティア活動をした人や義援物資を提供した企業関係者らに次々と魚を手渡し、約20分間でほとんどなくなった。
 かもめ広場には仮設住宅もあり、魚は仮設住宅で暮らす玄界島住民にも配られた。受け取った伊藤--削除--さんは「島の魚はスーパーで売っている魚と味が全然違う。刺し身か酢の物がおいしい」と喜んでいた。

(共同通信) - 5月2日12時46分更新

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玄界島の漁師に笑顔 地震以来40日ぶり漁再開

2005年06月20日 19時09分52秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震で大きな被害を受けた玄界島(福岡市西区)の漁師らが30日、地震発生以来休止していた漁を約40日ぶりに再開した。
 空の色が明るみ始めた午前5時、港には久しぶりに船のエンジン音が響き、約50隻が玄界灘に向け一斉に出発。近海で生き餌として使うイカナゴを捕った後、約20キロ離れた海域で、ハマチの1本釣りなどをした。
 垂らした釣り糸をたぐるたびに40-50センチクラスの獲物を次々に釣り上げた。好天にも恵まれ、久しぶりの感触を楽しんだ漁師らは笑顔が絶えなかった。
 3月の地震では漁港にも地割れなどの被害があったが、福岡県が応急工事し漁再開を迎えた。

(共同通信) - 4月30日12時11分更新

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どんたくで海上パレード 玄界島の漁船が復興強調

2005年06月20日 19時08分48秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震で被災した玄界島(福岡市西区)の漁船が来月3日、博多湾で海上パレードを実施する。島の復興を印象づけようと福岡市が企画、同日から市中心部で開かれる恒例の「博多どんたく港まつり」のイベントに組み込む。
 計画では、参加する漁船は玄界島をはじめ市内の漁協に所属する約100隻。3日午前8時すぎに島を出て、ヤフードーム沖などを通って博多埠頭(ふとう)へ向かう。午後1時から行われる博多どんたくのパレードには、漁業者約50人が大漁旗を持って加わる。
 島の漁業者は、早ければ今月30日にも漁を再開する予定。水揚げされた魚は海上パレードの後、島民を支援してきた警察や消防など行政関係者に贈られる。

(共同通信) - 4月27日17時7分更新

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島の仮設住宅に入居 福岡の玄界島住民

2005年06月20日 19時07分21秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震に伴い避難生活を送っていた玄界島(福岡市西区)の住民約120人が26日午前、同島の仮設住宅への入居を始めた。午後には約250人が帰島する予定。島内の郵便局も営業を再開し、住民は地震発生から1カ月余りを経て、本格的な復興に向けて活動を始めた。
 用意された仮住まいは仮設住宅100戸と市営住宅や教員住宅計32戸。住民らは市営渡船で港に着くと、慣れ親しんだ海沿いの道を踏みしめるように仮設住宅へ。避難先の九電記念体育館(福岡市中央区)から運び出された荷物を受け取ると、さっそく部屋に運び込んだ。
 仮設住宅の間取りは2DKで、広さは約30平方メートル。住民らは段ボール箱から衣類や身の回りの品を取り出し、生活の準備に追われた。

(共同通信) - 4月26日13時21分更新

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仮設住宅へ入居開始 福岡の玄界島住民

2005年06月20日 19時06分33秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震で被災した玄界島住民の仮設住宅への入居が25日、始まった。この日は、約250人が福岡市中央区の漁港近くの「かもめ広場」に建てられた住宅に入居。26日は約370人が玄界島内の仮設住宅や市営住宅などに入り、一部は被害を受けなかった自宅へ帰る。
 今後、島の復興に向けた動きが始まるが、体育館での避難所暮らしが終わり、避難生活も一区切りとなる。
 多くの住民が玄界島への帰島を希望したが、島ではスペースが足りず、福岡市中心部に近い「かもめ広場」にも100戸の仮設住宅がつくられた。
 住民は避難先だった体育館からバスに分乗し午前10時前に到着。福岡県と福岡市の関係者が拍手で出迎えた。
 住宅は2DKの約30平方メートル。家族5人で入居する梅田--削除--さんは住宅の中を眺めながら「子どもが3人いるのでやや狭いけど、ぜいたくは言えない。この辺は交通量も多いので子どもの通学に気を付けなければ」と話した。

(共同通信) - 4月25日12時29分更新

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避難所でも強い結束力 25日から仮設住宅入居

2005年06月20日 19時03分16秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震で被災した玄界島の住民が25日から順次仮設住宅への入居を始める。福岡市中央区の九電記念体育館では1カ月以上にわたる避難所暮らし。自主的に食事の配膳(はいぜん)や掃除当番など生活のルールを決め、強い結束力で避難生活を乗り切ってきた。
 24日夕には、福岡市の担当者や自衛隊、ボランティアも集まり体育館前で感謝の集い。住民を代表して伊藤和義さん(64)が「数々の支援や励ましの言葉で支えてもらい身に余る思い。これからが正念場。島民一同団結して復興していきたい」と話すと、大きな拍手が起きた。

(共同通信) - 4月24日20時26分更新

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海保が震源域海底を初調査 福岡県西方沖地震

2005年06月20日 19時01分40秒 | 福岡西方沖地震
 海上保安庁は23日午前、福岡県西方沖地震の震源海域で、測量船「明洋」(550トン)による海底調査を実施した。地形や断層の変化を調べ、地震発生の原因を探る。海保の調査は地震後初めて。
 調査の範囲は、被害が最も大きかった玄界島(福岡市西区)の北西約10キロに位置する縦13キロ、横20キロの海域。
 低音波を海底に発射し、海底からの反射音波で地層をとらえる地層探査機を船尾からえい航し、海底の地下構造を探査。地震の原因とされている横ずれ断層の有無や位置、断層面の方向を確かめる。
 調査は同日から29日にかけて数回実施する予定。集めたデータは地震調査委員会や地震予知連絡会に提出し、活用される。

(共同通信) - 4月23日11時56分更新

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仮設住宅の入居者を抽選 玄界島に戻れぬ島民も

2005年06月20日 19時00分44秒 | 福岡西方沖地震
 福岡県西方沖地震で被災し避難生活を送る玄界島(福岡市西区)の住民が入る仮設住宅の抽選が22日行われ、約240世帯が博多港近くのかもめ広場と玄界島に分かれて入居することが決まった。抽選に漏れて島に戻れない人もおり、住民の表情は複雑だ。
 仮設住宅は、かもめ広場と玄界島に100戸ずつ建設され、島にある市営住宅と教員住宅も仮住まいに充てられる。島の住宅は希望する人が多かったため、漁業に従事する世帯を優先して入居させ、残りを抽選した。

(共同通信) - 4月22日18時49分更新

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