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あれこれ備忘録

色々と関心のある記事をメモ。
元記事がすぐに削除されるケースも多いですからね。

八戸みなと漁協がドック運営へ

2005年06月30日 17時19分30秒 | 漁業[Good News]
 八戸みなと漁協(八戸市、熊谷拓治組合長)は二十九日、八戸水産会館で二〇〇五年度通常総会を開催。事業基盤強化の一定要件を満たし、国庫補助事業の優先的な採択を受ける「認定漁協」として、県からこのほど認められたことを報告した。同漁協はこれを機に、国や県などの支援を活用し、新たに漁船ドックを運営する方針で「できるだけ早い時期に始めたい」としている。

 新たにドックを整備するのは同市新湊三丁目の船揚場約四千三百平方メートル。県が管理しているが、現在の施設は老朽化している。新ドックに必要な機材の設置には国の補助などを活用。小型イカ釣り船など三〇トン未満の漁船を対象とする考えだ。

 一方、県の三八地方漁港漁場整備事務所は、〇六年度から三年がかりで船揚場の傾斜を緩く改良する土木工事などを行う方針。水産庁と協議入りする準備を進めており、早ければ〇七年度に区画の一部を供用できるのではないかとみている。

東奥日報2005年6月30日

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青い海になびく白い帆/ホッカイエビ漁始まる

2005年06月29日 23時50分40秒 | 漁業[Good News]
 北海道別海町の野付湾で、夏のホッカイエビ漁が最盛期を迎え、打瀬船(うたせぶね)が29日、真っ青な海に白い帆をなびかせた。

 早朝の日差しが照り付ける中、打瀬船が尾岱沼港から出港。沖合で次々に三角の白い帆を広げた。

 野付湾はエビが生息する海草が豊富にある。打瀬船はスクリューで海草を傷つけないよう、風の力で網を引く伝統的な漁法。

 ホッカイエビ漁は夏と秋の年2回行われる。夏は7月29日まで。野付漁協によると、昨年より1・7トン多い、21・7トンの水揚げを見込んでいるという。

四国新聞2005年6月29日

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トラフグ稚魚に「標識」

2005年06月29日 23時48分42秒 | 漁業[Good News]
 放流するトラフグの追跡調査のため稚魚に印をつける作業がいま、新居港で行われている。遠州灘の天然トラフグは、漁獲量が毎年大きく違うことから県水産試験場浜名湖分場では、適切な放流方法を探るため放流した稚魚がどれくらい水揚げされるかを調べている。
29日は6センチの大きさの稚魚およそ2万匹にマークを入れる作業が行われた。マークはフグの皮の下にシリコン樹脂を注入するもので、試験場の職員だけではなく地元漁業関係者も協力し、1匹づつ手作業で行われた。去年のトラフグの漁獲量は平年の4割程度の23トンほど。
今回の調査では初めてサイズの違う稚魚を同時期に放流し、より細かいデータの収集を狙う。先週すでに3センチの稚魚5万匹を放流していて、6センチの稚魚は来月1日に放流する。稚魚は秋ごろまで浜名湖内で育ちその後、外海へでて1年半後には体長およそ40センチほどに成長する。

静岡新聞2005年6月29日

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サワラ:帰っておいで 中間育成の稚魚、1万9000匹を放流--五色町漁協 /兵庫

2005年06月29日 23時47分33秒 | 漁業[Good News]
 ◇秋には30~40センチに--漁獲激減のサワラ

 漁獲量が激減しているサワラを増やそうと、五色町漁協(鯛中守組合長、116人)は27日、都志漁港と鳥飼漁港内のいけすで中間育成したサワラの稚魚約1万9000匹を、同町沖の播磨灘に放流した。秋には体長30~40センチのサゴシに成長する。

 同町では、古くからサワラ漁が盛んだが、乱獲や海の環境悪化などで年々、漁獲量が減少している。瀬戸内海沿岸の自治体では、サワラ資源の回復作戦の一環として、サワラの受精卵放流や中間育成などに力を入れている。

 中間育成は一昨年に続いて2回目。香川県から人工ふ化した体長3・5~4センチの稚魚約2万4000匹を運び、都志漁港と鳥飼漁港に設置したいけすでイカナゴを与えながら育成。2週間で約3倍の8~12・5センチに成長した。

 この日は、県洲本農林水産振興事務所や町農林水産課の職員らも立ち会う中で作業。漁協組合員がいけすを漁船で引っ張って沖に出し、いけすでの歩留まりをチェックしたあと、いけすのロープを解いて稚魚を海に放流した。

 町農林水産課によると、都志漁港で中間育成した分については、歩留まり率が65・5%、鳥飼漁港の分は86・4%だった。

毎日新聞 2005年6月28日

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工場完工式行う マリンテック釜石

2005年06月29日 23時45分18秒 | 漁業[Good News]
 かまいしエコタウンプランの中核となる水産加工廃棄物リサイクル事業に取り組む協同組合マリンテック釜石(佐々木伝十郎理事長)は28日、釜石市平田に新設したリサイクル工場で完工式を行った。

 式典には小沢和夫釜石市長、佐々木茂釜石地方振興局長ら約100人が出席。佐々木理事長は「本県の水産加工廃棄物の有効利用が可能となり、地域産業振興に寄与できることをうれしく思う」とあいさつした。

 工場は鉄骨造り平屋で延べ面積約1000平方メートル。サンロック西側の敷地約2900平方メートルに整備した。総事業費は約2億6000万円で、エコタウンプランのハード事業として国と県、市から合計7000万円の補助を受けている。

 市内の漁業集落から回収したワカメやコンブの廃棄物、加工廃液などを、国内初の酵素・微生物分解方式で処理。濃縮・脱塩などをして、機能性アミノ酸など特定保健用食品原料などを製造する。

 22日に操業開始しており、初年度は年間1300トンを処理、約1億7000万円の売り上げを見込む。従業員は現在6人で新規に4人を募集している。本格稼働後、さらに11人雇用する予定。

岩手日報2005年6月29日

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8年ぶりに黒字決算 下灘漁協

2005年06月29日 23時38分50秒 | 漁業[Good News]
 国内有数の真珠と真珠貝の生産漁協である北宇和郡津島町の下灘漁協は28日、同漁協で通常総会を開催。再建計画1年目となる2004年度決算で、予定通り約1億45万円の剰余金を計上し、累積赤字を約4億5841万円に減らした。
 同漁協は昨年度の通常総会で、累積赤字を5年間で解消し、組合員に転貸して返済が滞っている借入金を10年間で完済する計画を可決。04年度は、採苗場などリスクの高い部門の切り離し▽職員削減▽延滞債権の回収▽組合員の漁場行使料、販売手数料などの大幅値上げ―などを実行。
 真珠の販売額は9億6057万円(前年度比70・9%増)、真珠貝の販売額は4億7992万円(同2・2%増)と、販売事業も前年度と比べて好調。04年度は8年ぶりに黒字決算となった。

愛媛新聞2005年6月29日

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サワラ292㌧に急増

2005年06月27日 18時08分35秒 | 漁業[Good News]
 年間漁獲量が一時は18トンまで落ち込むなど激減していた県内のサワラ漁獲量が、04年は292トンにまで急増した。前年比3倍以上の伸びで、200トン超は95年以来。「豊漁」は、栽培漁業などの効果に加え、大量の「天然物」が一時的に漁獲量を押し上げたためと見られている。さぬき市小田の県大規模中間育成施設では、さらなる資源回復を目指して稚魚の放流があった。

 21日には、5月中旬に採卵し、人工授精をへて孵化(ふ・か)した後、約9センチにまで育った稚魚を用意。さぬき市立の小田、鴨部両幼稚園の園児らが「サワラくん、バイバーイ」のかけ声とともに次々とバケツで海に放った。22日にかけて施設の水門を開放するなどして約5万4千匹の稚魚を放流した。
 サワラの放流は資源回復策の一環で、一時は1075トンもあった漁獲量が18トンにまで落ち込んだ98年度に始まった。県や漁業者が協力して、栽培漁業のほか、秋の休漁期の設定、漁網の目の拡大などの対策を講じており、99年以降、漁獲量は年々増加傾向が続いてきた。03年時点で85トンにまで盛り返していたが、04年は一気に292トンにまで増えた。
 今回の「豊漁」について、県水産課は従来の資源回復策の効果に加え、大量の「天然物」が一時的に漁獲量を増やしたことが要因と見ている。栽培漁業で放流した稚魚につける標識の有無などから、02年に天然の稚魚が大量に発生したことが分かっており、04年にかけてこれらの天然稚魚が成魚になって戻ってきたらしい。岡山県でも03年より53トン多い72トンを記録した。
 ただし、03、04年は天然稚魚の数が02年に比べ少ないと見られることなどから、同課の担当者は「05年の漁獲高は昨年に比べ少なくなるかもしれない」との慎重な見方を示す一方、「資源の回復は着実に成果を見せている。今回の大漁を励みに今後も名物の復活に取り組んでいきたい」としている。
 県さわら流しさし網協議会の森朝征会長は「昨年の漁は多かったと言われるが最盛期に比べればまだまだ。サワラは香川になくてはならない名物。『幻の魚』にしないためにも、漁業者の意識を高め、もっと大事にしていきたい」と話した。

朝日新聞2005年6月27日

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帆かけサバニ、荒波切る 伝統漁船でレース

2005年06月27日 16時55分39秒 | 漁業[Good News]
 沖縄の海人(漁師)伝統の帆かけ漁船でタイムを競い合う「サバニ帆漕レース」が26日、沖縄県座間味村で開催され、参加した39艇が勇壮な櫂(かい)さばきを見せた。
 約7メートルのサバニ(木製小舟)に5人ほどのクルーが乗り込み、青く透明な海を波を切って進む。「帆かけサバニ保存会」が主催し、今年で6回目。例年は沖縄本島西の座間味島から、約36キロ離れた那覇までのコースで行われるが、今年は波が高かったため、座間味島近海を周回する約10キロコースに変更された。
 女性限定チームや座間味村の中学生チームも参加。村民の声援に後押しされ、色とりどりの帆を広げたサバニが一斉に同村古座間味ビーチからスタートした。

河北新報2005年6月26日

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<ぎふ国境物語>

2005年06月27日 16時52分55秒 | 漁業[Good News]
信州の味“飛騨ブリ”

 飛騨や信州では、正月にブリを食べる風習があるという。「年取り魚」と呼ぶそうだ。

 輸送手段がつたない時代。日本海で捕れ、浜塩されたブリは、牛馬で三日かけて高山に運ばれ、さらに峠越えで一週間余かけ、松本や伊那、木曽地方へと届けられた。

 この地域の誰もがブリを食べていたのかと思いきや、高山市七日町の民俗学研究家桐谷忠夫さん(73)に「ブリを食べられたのは上流社会の一部の人たち。戦前の飛騨高山の庶民の年取り魚は、『煮イカ』か『イワシの頭付き』だった」とくぎを刺された。

 高山市史によると、「旅人逗留(とうりゅう)日限留帳」に、江戸時代末期、一八六六(慶応二)年、信州商人がブリ買い入れのために高山に泊まった記録が残る。旧暦の十二月初旬に来て買い付け、中旬に出発している。

 古い町並みに近い同市上二之町に、「町年寄 川上氏宅跡」と記された小さな石柱があった。時の城主金森氏のお墨付きを得て、富山から入ってくる魚のすべてを扱った魚問屋「川上」があった場所だ。この地から先、「越中ブリ」は「飛騨ブリ」と呼び名を変え、信州へと向かった。

 大変だったのは、飛騨と信州を隔てる峠越え。旧高根村史によると、同村上ケ洞に荷物問屋があり、松本、伊那、木曽行きと分けられた。積雪一メートルまでは牛で運ばれたが、それ以上雪深くなると、近くの農民による「百姓歩荷(ぼっか)」が荷を運んだ。

 野麦集落の人にとって歩荷は、冬場の大切な収入源だった。背負子(しょいこ)に荷を結わえて背負い、四十-五十人が列を成す。「男は三十貫(約百十キロ)、女は十七、八貫(約六十キロ)が普通であった」と同村史は記す。

 高山市高根町野麦の下野国蔵さん(86)は「両親とも歩荷をやっとったが、子どものころブリを食べた記憶はない」という。雪の中、命がけで運ばれた飛騨ブリ。「ブリ一本、米一俵」というほど高価な魚だったのだ。

 信州の松本平や南信地方には、今もブリにまつわる風習が残る。飛騨ブリに詳しい長野県穂高町柏原の元県立上田高校長細川修さん(65)によると、塩ブリは丸ごと一本買い、大みそかの午後、一家の主人がさばく。切り落とした尾は白木のはしに刺して、神棚の恵比須様に供えるのだ。一年間供え古くなった尾は、暮れのすす払いにお札と一緒に焼くという。

 「子ども時分は、大みそかから正月を挟み、小正月のころまでブリざんまい。ゆでたり、焼いたり、雑煮にしたり。骨も皮も食べたものです」。

 夫婦二人暮らしの細川さん方では、今は切り身で買うため、尾だけ知り合いの魚屋に分けてもらい、飾っている。なるほど。Y字型の幅十五センチ、長さ二十センチもの立派な尾が神棚に鎮座していた。

 「成人の日のころに食べた、発酵が進んだピリッと舌を刺す味が懐かしい」と細川さん。木曽生まれの島崎藤村も著書「をさなものがたり」の中で、「お年取りの膳(ぜん)についた塩ブリの味などは忘れられない」と書いている。

 そうと聞くと、なおさら食べてみたい。天然塩ブリよ。年末、お目にかかろう。

 ■ブリ(鰤) アジ科の魚で、全長1メートル以上になる。日本各地の沿岸や朝鮮半島東岸などを回遊。成長するにつれ呼び名が変わり「出世魚」と呼ばれる。地域ごとに呼び名が異なり、関東ではワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ。関西ではツバス→ハマチ→メジロ→ブリ。11-12月に日本海側で捕れる「寒ブリ」は、脂が乗って肉も厚く味がよいとされる。

中日新聞2005年6月27日

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魚つかみに悪戦苦闘

2005年06月27日 16時51分40秒 | 漁業[Good News]
守山で野洲川リバーフェスタ

 水の大切さについて考える「やすがわリバーフェスタ」が26日、滋賀県守山市小島町の野洲川ふれあい広場で開かれ、家族連れらが魚を手づかみしたり、気球に乗ったりして楽しい1日を過ごした。

 県内各地区の青年会議所でつくる日本青年会議所近畿地区滋賀ブロック協議会の主催。2003年3月に京都、滋賀、大阪で開催された「世界水フォーラム」の精神を忘れず、地域の人に水について考えてもらおうと、昨年から始めた。

 広場の水路に放したアユやイワナを手づかみするコーナーでは、子どもたちが、なかなか魚を捕まえられず、悪戦苦闘していた。ヨシ笛づくり教室や気球に乗って野洲川の植物を見渡すイベントもあり、暑さを忘れて自然に親しんでいた。

 両親と参加した市内の斎藤陸くん(4つ)は「お父さんに魚をとってもらった。楽しかった」と話していた。

京都新聞2005年6月27日

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