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Blog☆HiloⅡ

調布飛行場で起きた墜落事故:飛行場を中心にした地域の活性化

調布飛行場といえば、2015年の墜落事故が記憶に新しいところです。
事故後加害者の特定に時間がかかり、被害にあわれた方に対する補償が行われず、大きな社会問題になりました。
さらに、飛行場の管理者である東京都が認めていない遊覧飛行を行っていたことも問題を大きくしました。
被害者が起こした民事訴訟において先月の東京地裁の判決は、墜落機を管理していたエアロテック社に7500万円の賠償を命じました。
しかし、東京都に対する請求は棄却されました。

この飛行場は1941年に開設されました。
戦時中は本土防空戦ではここから飛燕が飛び立ちました。
飛行第244戦隊がB29爆撃機を160機撃破したという記録が残っています。
実際に使われていた掩体壕です。

そのお話はこちら
戦後は米軍に接収されましたが、昭和48年に日本に全面返還され、昭和54年から国の管理のもと新中央航空が伊豆の島しょ間の運航を開始しました。
この間大きな事故は一度だけでしたから、そこに慢心があったのかもしれません。
事故後しばらくは空港を閉鎖しましたが、現在は島しょ間の定期便他民間の測量をはじめとする航空機が飛んでいます。


今後の管理運営については東京都が発表しています。東京都のHP
これを読んだだけでは納得できる内容とは言えませんね。

安全対策をしっかり行い、都が責任をもって管理していくのであれば、ボクは飛行場は存続していくべきだと思います。
住宅地の中に飛行場があることを問題とする意見もありますが、それを言ったら6月に運航が始まった羽田の新ルートのほうが大きな問題です。
都心のど真ん中をジェット機が低空で飛ぶのですから。
新ルート直下の住民などから集団訴訟も起きています。
そもそも羽田に国際便を乗り入れたことが間違いです。
成田空港建設の際の闘争を思い出してください。
羽田と成田を使い分けるという国の説明があったはずです。
そうしたことを反故にしています。
すでに新ルートを廃止するような議論もあるようですが、小池さんは都民の安全を考えてほしい。
COVID-19を契機として新ルートを廃止して、成田と羽田の関係も見直すべきです。

今日ボクが書こうと思ったことは、事故を忘れることなく調布飛行場を活用して地域おこしができないだろうかということだったのですが、長くなってしまったので続きは次回に書きます。
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