前回で『マタイによる福音書』の紹介が終わった。
聖書では、マタイの後にマルコ、ルカ、ヨハネと福音書が続く。
聖書の主人公ともいえるイエスについての記録が
聖書に四種類収録されているのには、何か人知を超えた深い意味があるのだろう。
今日から『マルコによる福音書』の紹介に入るが、取り上げるエピソードが
『マタイ』のときと重複する場合もあるかもしれない。
しかし、紹介する言葉は『マルコ』のものであり、
『マタイ』とは微妙に違っていたりするので、
新鮮な気持ちでお読みいただければ幸いである。
ヘブライ人への手紙4章12節には「神の言葉は生きている」とある。
聖書はまさに生きた本であり、その時の読み手の状態によって
学び取る内容も千差万別だ。
このブログも読者のニーズに合うであろう言葉を
その日、その時のインスピレーションによって感じたままに紹介しているので、
やはり、たとえエピソードが同じであったとしても
前回とは異なった切り口となることだろう。
『マルコ』を探求しながら、新たな発見を数多く体験したい。
では、さっそく『マルコによる福音書』の冒頭部分を読んでみよう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
神の子イエス・キリストの福音の初め。
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、
ヨルダン川で彼から、洗礼を受けた。
ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野密を食べていた。
彼はこう宣べ伝えた。
「わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打もない。
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、
その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
マタイによる福音書1:1-8
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスが宣教活動を始める前にユダヤではヨハネという人物が活躍していた。
洗礼者ヨハネの登場は以前から神によって計画されていた。
その約七百年前、預言者イザヤは神の言葉を託されてこう予告した。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」
この「使者」に当たるのが洗礼者ヨハネである。
彼は計画通り、イエスの道を「準備」したのだ。
成功のためには、ぬかりのない準備が必要なのである。
いきあたりばったりでは勝利はおぼつかない。
ヨハネの活動の盛り上がりは、短期的にしか物事を見られない人々に
ヨハネこそ救世主であると誤解させるのに十分であった。
だが、ヨハネは群衆の熱狂に流されず、神の計画の流れを冷静に把握していた。
「わたしよりも優れた方が、後から来られる」
彼は今がどの時なのか、自分の役割は何なのかを的確に認識していたのだ。
洗礼者ヨハネが人々の心を事前に“地ならし”してくれたおかげで、
その後のイエスの宣教がスムーズに運んだと言ってもいいだろう。
ヨハネはまさに福音宣教の影の功労者とも言える存在なのである。
よく考えてみよう
あなたは自分の事業を長い目で捉え、今がどの時か把握しているだろうか?
自分の役割が明確になっているだろうか?
勝利のための準備は万全だろうか?
聖書では、マタイの後にマルコ、ルカ、ヨハネと福音書が続く。
聖書の主人公ともいえるイエスについての記録が
聖書に四種類収録されているのには、何か人知を超えた深い意味があるのだろう。
今日から『マルコによる福音書』の紹介に入るが、取り上げるエピソードが
『マタイ』のときと重複する場合もあるかもしれない。
しかし、紹介する言葉は『マルコ』のものであり、
『マタイ』とは微妙に違っていたりするので、
新鮮な気持ちでお読みいただければ幸いである。
ヘブライ人への手紙4章12節には「神の言葉は生きている」とある。
聖書はまさに生きた本であり、その時の読み手の状態によって
学び取る内容も千差万別だ。
このブログも読者のニーズに合うであろう言葉を
その日、その時のインスピレーションによって感じたままに紹介しているので、
やはり、たとえエピソードが同じであったとしても
前回とは異なった切り口となることだろう。
『マルコ』を探求しながら、新たな発見を数多く体験したい。
では、さっそく『マルコによる福音書』の冒頭部分を読んでみよう。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
神の子イエス・キリストの福音の初め。
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、
ヨルダン川で彼から、洗礼を受けた。
ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野密を食べていた。
彼はこう宣べ伝えた。
「わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打もない。
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、
その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
マタイによる福音書1:1-8
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスが宣教活動を始める前にユダヤではヨハネという人物が活躍していた。
洗礼者ヨハネの登場は以前から神によって計画されていた。
その約七百年前、預言者イザヤは神の言葉を託されてこう予告した。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」
この「使者」に当たるのが洗礼者ヨハネである。
彼は計画通り、イエスの道を「準備」したのだ。
成功のためには、ぬかりのない準備が必要なのである。
いきあたりばったりでは勝利はおぼつかない。
ヨハネの活動の盛り上がりは、短期的にしか物事を見られない人々に
ヨハネこそ救世主であると誤解させるのに十分であった。
だが、ヨハネは群衆の熱狂に流されず、神の計画の流れを冷静に把握していた。
「わたしよりも優れた方が、後から来られる」
彼は今がどの時なのか、自分の役割は何なのかを的確に認識していたのだ。
洗礼者ヨハネが人々の心を事前に“地ならし”してくれたおかげで、
その後のイエスの宣教がスムーズに運んだと言ってもいいだろう。
ヨハネはまさに福音宣教の影の功労者とも言える存在なのである。
よく考えてみよう
あなたは自分の事業を長い目で捉え、今がどの時か把握しているだろうか?
自分の役割が明確になっているだろうか?
勝利のための準備は万全だろうか?