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Compass of my heart

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ア…アイーンができるよ(涙目)

2014年06月12日 | 移住しました
「アイーン」それは、
あの伝説の…
いや、もったいぶってもしょうがないんでさっさと言いますが、
あの志村けんさんの持ちネタですな。

下あごを上あごより前に突き出して、
あごに手を添えてアイーン!って言うだけなんですが、
この顔が、震災後できなくなっていました。

首の右後側がなんだか痛いなぁと気付いたのが、
震災後ひと月ほど経った頃だったと思います。
肩こりから来るのかなんなのかよくわからないままに、
少しずつ痛みがひどくなり慢性化していて、
昨年秋頃は、もう「アイーン」の顔をしようとすると、
痛くて苦しくて、まったくできなくなっていたんです。

今はほぼその原因は予測できているのですが、
解決策がありませんでした。

「アイーン」なんかできなくたっていいだろう、
と思われるかもしれませんが、
問題はそこじゃないですよね。
正しく身体が機能できていない、ということです。

まぁ、その「アイーン」を今日久しぶりに試してみたら、
もう首の後は痛くない!
右あごの付け根に少し違和感が残っているけど、ほぼ痛くないー!

これ、遡って言いますと、
昨年秋に宮城を出てから、少しずつ回復していたんです。
そう、時々思い出したように「アイーン」してたんです。

もうわかりますよね。
原因は放射能だと思われます。
いったい、放射能の何がどこにどう影響すると、
アイーンができなくなるんだ?と思いますよね。
医学の知識などほとんどないクリキンディですので、
ちゃんと解説はできませんが、
右側に症状が強く出る場合、
肝臓や胆嚢あたりに負担がかかっていることが多いようです。

逆に左側に症状が出ている人の場合は、
心臓や脾臓に大きな負担がかかっているケースが多いらしいです。


もちろんこれだけじゃないと思います。
膵臓に来ている人もいるでしょうし、
胃腸や肺が不調な人も多いと思います。

どんな核種にさらされたのか、食べ物なのか、空気なのか、
もともとどんな体質だったのか、
どんなものを普段食べているのか、
どんな環境に普段いることが多いのか、
精神状態はどうなのか、
などなどそれぞれの状況によっても違いますよね。

まったく問題ない人もいれば、
毎日鼻血が出る人もいる。

なにか不調を感じている人は、
どんな時にひどくなって、どんな時に軽くなったのか、
記録しておくといいかもしれません。
原因がわかれば解決策も見えてくるはず。


ああ、アイーンできるのがこんなにうれしいと思う日が来るなんて、
ほんと、想像もできなかったなぁ。





移住しました その22「パラレルワールドと勇者とアセンションと」

2014年06月07日 | 移住しました
2013年暮れ、長かった宮城の生活を終え、ついに九州へ移住しました。
はじめはもちろん仕事もほとんどなく、
貯金を食いつぶしてなんとか暮らしている感じでしたが、
半年経って、家族も移住、少しずついろんなことが落ち着きはじめています。

生まれた土地とはいえ、ほとんどはじめてのようなもので、
毎日がリアル県民ショー。
試行錯誤しながら生きています。

結論から言えば、
体調はとても回復しているし、
あの毒の沼地に戻ることは考えられません。

ただ、そこには何十年も過ごしてきた思い出もあるし、
親しかった仲間も大勢います。
ですが、なんというか、パラレルワールドの分岐を超えてしまったといえばいいのでしょうか、
今は「縁がないんだなぁ」と感じるんです。
もちろんメールも郵便もやり取りできるし、
記憶から消されたわけでもありません。
冷淡だと思われてしまうでしょうけれど、
選んだ道がもう違うんだな、と強く思います。

そして、そこに残った人たちにとっては、
そこは決して毒の沼地などではなく、
暖かい故郷です。

今は縁が遠くなってしまったけれど、
この先また交わる人もいるでしょう。


最後にひとつ、
「勇者ヨシヒコと魔王の城」の話をしようと思います。
深夜枠で放送された山田孝之主演のおふざけドラマですが、
こんなところにもいろいろメッセージは転がっているもので。

まぁドラクエのパクリの実写版ですので、
ストーリーは、世の中にはびこる悪を倒して、世界を平和に導くために、
ひとりの勇者が仲間を見つけて、たくさんの経験をしながら、
最終的に魔王を倒す、というものです。

毎回登場する悪役の盗賊と出会った時のセリフにこんなものがあります。
「金と食い物を置いていけ、さもなくば殺して奪い取る」
「私は世界の平和のために戦う勇者だ、その要求に答えるわけにはいかん」
「こちとら世界の平和より明日の飯なんだよ」

ほぼ100%盗賊の負けなんですけどね…(笑)

これを現在の地球にあてはめてみると、
温暖化や(これはどうやら陰謀のひとつだった模様ですが)異常気象、
放射能や排気ガスなどによる大気汚染、廃棄物による海や川の汚染、
農薬、除草剤などによる土の汚染、
戦争、殺戮、陰謀、利権争い、などなど
とても平和な状態とは言い難いように見えます。

しかし、直接見える形で目の前にモンスターがいるわけじゃないし、
とりあえず明日の飯を確保する方が大事、
(実際には明日だけでなく、老後の心配をして貯め込んでいるわけですが)
誰か勇者的な人が、そういう大きな問題を解決してくれるんでしょ、
と思っている人が圧倒的に多いのだと思います。
ご多分に漏れず私もそのひとりです。

勇者のように生きている人もたくさんいますね。
漫才コンビのおしどりマコ・ケンさん、
らっきーデタラメ放送局のらっきーさん、
カリスマブロガーのきっこさん、
IWJの岩上安身さん、
国会議員の山本太郎さん、
B級アイドルの藤波心さん、
リチャード・コシミズさん、
apバンクの田中優さん、
てんつくマンさん、
まだまだ、私が知らないだけでたくさんいらっしゃると思います。

以前ブログにも書いたのですが、
ロード・オブ・ザ・リングのエンディングシーンに
なんだか違和感を感じた理由がここにあるような気がします。
指輪を葬って世界を平和に導き、
主人公のホビットが生まれ育った村に戻った時、
村にいる人たちは、何が起こったのか知らないままに、
「なに?なんかあったの?ずっと平和だったよ?」みたいな顔をしているんですね。
(実際には被害を被っていますが、最後の方はフロドvsサウロンしか描かれていないので)

ここで本当のゴールをくぐれるのは、勇者だけですよね。

勇者のように生きることを選んだ人、
それを助ける役目を持った人、
敵役、群衆、
いろんな人がいるからこそ回っているんだなぁ。

さて、この「移住しました」シリーズはこれで終わりにしようと思います。
前にも書いたように、
皆さんに「移住すべきだ」と言うつもりはありません。
ただ、移住したいけど迷っている、という人に、
なにかのヒントになればと思って自分の経験を書きました。

この311から始まったカタストロフィをきっかけに、
いろんなことが大きく動かされたなぁと感じます。
自分の気持ちに気付いた人もいれば、
世の中の隠された事実に気付いた人も多いと思います。
今思えば、やはりこれはアセンションのひとつの形だったのでしょうね。

皆さんの人生がしっくりなっとくいい感じにいきますように。
個人的な駄文に最後までお付き合い頂きありがとうございました。


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移住しました その21「ストーリーを進めるためのキーワード」

2014年04月23日 | 移住しました
兄が探してくれた不動産で、無事にアパートを借りる手はずがついたのですが、
物件を案内してくれた方との会話で、ちょっと印象に残る会話がふたつあったので記録しておきます。

不動産やさんでは、窓口で条件を伝えると、
それにあった物件を紹介、その中から気になるものを実際に見にいくわけですが、
たまたまそのお店では、窓口係と外出案内係が違う人でした。
案内係の人が違う現場に外出していてなかなか片付かなかったらしく、
私と兄は窓口でかなりの時間待たされたんです。

窓口担当者の焦りと、兄のイライラが最高潮に達した頃、
ようやくその担当者がやってきましたが、とても若くて頼り無さげに見えました。
クリキンディの息子より少しだけ年上という感じでした。
平身低頭な雰囲気で、
「大変お待たせして申し訳ありませんでした」
と言う彼に、
「忙しいのに急がせてごめんね」
とクリキンディが声をかけた瞬間に、場の空気が一気に変わった気がしました。

それまで散々待たされてイライラしていた兄は、
文句のひとつも言おうと思っていたはずです。
若い担当者も、このお客さんに文句を言われるだろう、と覚悟していたはずです。
でも、状況を考えれば、彼は客を待たせようと思っていたわけではなく、
事務所から何度も「まだ来れないの?」という催促の電話を受け、
大きなストレスを感じながら最大の努力を払って来てくれたわけですよね。
そこで「急がせてごめんね」の言葉を聞いて、
彼の緊張が一気に解けたような、そんな風に見えました。

もちろん彼の本音はわかりませんが、
その後、とても親切にいろいろ案内してくれました。
もし、あの時に「もう遅いよー、何時間待たせるんだよ!」って怒っていたとしたら、
きっとその後の案内業務は気持ち的にギクシャクしたんじゃないかなと思うのです。

咄嗟に出た言葉ではありましたが、
言葉ひとつで場の空気が変わるということを体験した面白い出来事でした。

そして、大変残念なことにこの日はよい物件に巡り会えず、
次の日にもまた案内してもらうことになりました。
不動産仲介業とすれば、一番いいのは「短時間で高額な物件が決まる」ことです。
次の日、なんとか良さげなところを見つけて契約しようとしたところ、
うまく家主との条件が合わず、話が流れてしまいました。
そこでまた一から探し直しになり、この担当者と何時間も一緒に過ごすことになったわけです。

車の中では通り一遍の世間話もネタがなくなり、
なんとか無言の時間を避けたかった彼が、
「最近、口内炎ができてなかなか治らないんですよ」と突然言い出しました。
その瞬間、ああ、この話をするために、この担当者に出会ったわけか…と納得。
なぜなら、森のトトロとの研究の中で、口内炎の原因や対処について、
いろいろ調べていたため、アドバイスできることがいくつかありました。
本当に、こんな形の出会いでも「必然」なんだなぁ、と痛感。
その後、彼に必要と思われる話題が出揃った後、すんなりと借りる部屋も決まりました。

このブログでは「偶然だけど必然」の話をかなりたくさん書いていますが、
クリキンディの中では、
「スムーズに事が運ぶ時はそのまま進んでオッケー」のサイン、
「何かしらの障害があってスムーズに事が運ばない時は、必要条件が満たされていない」サイン、
というように考える習慣がついてきています。

本当に、RPGと一緒だなぁと思います。
レベルが上がらないと行けない場所、
誰かとの会話でキーワードが出ないと進めないストーリー。
ヒントはさりげなく仕込んであるので気付かないことも多くて、
攻略本にすぐ頼ってしまうタイプのクリキンディは、現実世界でも本を読むのが好きです。

どんどん体当たりして力ずくで進む人もいれば、
ストーリーを進めることを忘れてカジノに入り浸っている人もいるし、
この人生の楽しみ方は人ぞれぞれ、それでいいんですよね、きっと。

あ、でも私に必要なキーワードを持っている人が、
カジノから出てきてくれないと困るなぁ…

(その22につづく)

移住しました その20 「被災者はお金持ち?」

2014年04月18日 | 移住しました
2013年の秋、人生の夏休みと言ってもいい時間を過ごし、
そろそろ次のステージへ進むタイミングが来たようです。
ひとまず、必要最小限の荷物だけを持って、アパートにひとりで引越すことにしました。

新しい土地で、いったいどこが便利なのか、相場はどうなのかなど、
まったくわからない状況の中、
「家探しを手伝ってあげる」という人が現れました。

以前にも書いたように、クリキンディは福岡生まれなので、
九州には親類が結構たくさんいます。
ただ、ほとんど付き合いはなく、年賀状のやりとりすらない状態…

ですがやはり血は水より濃いということなんでしょうか、
10年以上音信不通だった兄が、
クリキンディの移住を知り、仕事の合間を縫って不動産めぐりに付き合ってくれることになったんですね。
それはとても心強くありがたいお話でしたのでお願いすることにしました。

しかし、家探しのあれやこれやのやりとりをしているうちに、
なんだか少しずつ話が噛み合わなくなってきました。
なんだろう、この違和感…

いろいろ会話をしているうちに、こんな言葉が兄から飛び出しました。
「放射能がイヤで移住したわけ?被災者はだいぶ国からお金が出たんでしょ?
何百万もらったか知らないけどさ、いい身分だよな。」

え?一銭ももらってませんけど…

確かに、被災の状況によって、いくらか見舞金のようなものをもらった人もいるでしょうけれど、
条件(被災状況を細かく申告する)に合わなければなにも補償はありません。
クリキンディの場合、一時期高速道路が無料になった時期はありがたく使わせて頂いたことと、
職場の組合的なところから、ほんの少し見舞金が出たくらいで、
仕事ができなかった期間の収入減にすらまったく追いついていません。

世界中から莫大な募金が集まったというニュースはたくさん見かけましたが、
それがいったいどこにどのように使われているのか、よくわかりませんよね。
私たち宮城県民は義援金を受け取るどころか、
震災直後から、街角で募金活動が行われていましたが、
私たちって被災者じゃないの?と、とても違和感を感じていました。

参考までに宮城県の義援金の配分はこのように発表されています。
http://www.pref.miyagi.jp/site/ej-earthquake/gienkin-haibun.html

この金額、どう思います?
ちなみに、この金額や条件は自治体によって様々です。
すべてを調べたわけではありませんが、
被害の大小とはまるで比例していない金額のところもたくさんあったようです。

見舞金などもらっていないことを兄に伝えると、
「いや、だってさ、テレビとか新聞とか見てたら、なんか募金額とかすごいし、
被災者にたくさんお金がいくような報道されてるだろ。」

そうですね…
ここにも、報道を鵜呑みにしている生き証人がいました。
もちろん、原発や放射能のことについても同じ事です。
クリキンディのことをいろいろ心配してくれて、こうして時間を割いてくれた兄でしたが、
会話すればするほど、お互いがすれ違ってジレンマが大きくなるばかり…。

「いいか、不動産やに行ったら、放射能のこととか、
自分が被災者でいかに辛い状況か、なんて話すんじゃないぞ。
同情をひこうと思って言っても、向こうには関係ないし疲れさせるだけ。
むしろいい物件を紹介してもらえなくなるからな。
不動産仲介業にとって、借りにくる人は客じゃないんだよ。
不動産を持っている人が金を生んでくれる客なんだ。」

などなど、他にも参考になるアドバイスがいろいろ出てきましたが、
話を聞いているだけで、どんどん希望を奪われる気持ちになります。
「心配」ってなかなかくせ者ですよね。
行き過ぎると「相手を自分のコントロール下に置く」ことが目的になってしまいます。

そんな気持ちをうまく表現できなかったクリキンディ、
「なんかつらい…」としか言えず、
たぶん、怒らせちゃったなぁ。それ以来連絡をくれません…
でも、同じ県民になるのだから、きっとこれから先ゆっくりと、
もつれた糸をほどいていく機会があると信じましょう。

この会話、よくよく考えてみれば、
原発事故以来、私が友人たちにしていたこととよく似ています。
大手のメディアは「大丈夫ですよ」と情報を流すことで、希望を持たせているけど、
それは不動産が事故物件を「とても素敵なお部屋ですよ」と宣伝するのと一緒で、
その裏には「本当のことを知ったら不快になり怒りたくなる」事実が山ほどあります。

本当のことを相手に伝えることは、
相手の希望を奪うことになる場合が多いんですね。

一番わかりやすいのは、恋愛でしょうか。
「あの人、とても親切だからきっと私のこと好きなんだわ」
って思っている時に、
「残念だけど、あなたの顔が好みじゃないんですって」
と言われたら死にたくなりますよね。

放射能の危険性を一生懸命伝えようとがんばっていたクリキンディのまわりから、
友人が離れていった理由はまさにここにありました。

しかし、真実を伝えないまま、中途半端に希望を与え続けるというのは、
相手にとっては、正しい道に辿り着く時間を引き延ばしているだけ、とも言えます。
そして、とても耳が痛い話ですが、
「嘘をついて希望を与えることで、自分が相手に嫌われない」ことが最優先となっていることに気付きます。
つまり、
本当に相手のことが大切な人は、自分が嫌われる覚悟で正しいことを伝えようとします。
自分が一番大切な人は、嫌われないようにするために嘘をつくのです。

むずかしいですね。
誰もが真実だけを語りはじめたら、いったいどんな世界になるんでしょうね。
いろんなことが超速度で進むような気もしますが、
ではそんな世界に住みたいかと言われれば、今は「ノー」です。

さて、クリキンディにとっては、この兄との数日間は、
決して気持ちのいい時間ではありませんでしたが、
いろんなことに気付かせてもらった、とても大切な時間となりました。

この不動産やさんの話、もう少しだけつづきます。

(その21につづく)


移住しました その19 「住みたい場所がひとつ増えたけど…」

2014年04月14日 | 移住しました
お伊勢参りの旅から戻ってすぐに、クリキンディはパスポートを手に成田へ向かいました。
そう、家族全員がなんとなく思いついちゃった「ニュージーランド」へ行くために。
そしてここでもミラクルな出会いが…

仙台空港から成田までの国内線に乗ろうとしたら、
つい2週間前に、クリキンディのことを涙、涙で見送ってくれた生徒がいるじゃないですか!
この便は、国際線の乗り継ぎの人のみが利用できる便なので、
まず知り合いに合う確率が低い便なんですね。
聞けばこれから本人の結婚式でハワイに向かうということで、家族総出の旅行です。
今度は、笑顔、笑顔でお互いに「いってらっしゃい」が言えました。

そして、ニュージーランドで2週間滞在したお宅で同室だった女の子が、
クリキンディと誕生日が一緒だと判明、しかも九州から来てるし!
彼女は一年間のワーホリを予定しているということだったので、今はまだニュージーランドにいるはず。
帰国したらきっと会えるかもね、なんて話をしたのでした。

また、クリキンディの同僚の奥様とお子さんが、放射能疎開のために、
ニュージーランドにいるという話を耳にしていたので、
もしかして知っているかも?とステイ先で聞いてみると、
「ええ、うちにしばらく滞在していらっしゃいましたよ、今は家を借りて近くに住んでますよ。」って。
あはは、やっぱりね。
念のために言っておきますが、ニュージーランドって、日本と同じくらい広いんです。
どの都市に滞在しているのかすら知らなかったんですが、まさか同じところだったとは…。

もともと、移住先候補のひとつとして挙がっていたニュージーランドなので、
いろいろ可能性を探ろうと思っていましたが、
正直言って、ああ住んでもいいかも、と思ったのは確かです。
原発もなく、空気が澄んでいて、人口も少なく、牧場だらけ、牛だらけ、羊だらけ!(笑)
火山や温泉があるにも関わらずあまり地震が多くないし、人もとてもフレンドリー。
食べ物や文化、住宅の雰囲気はイギリス、アメリカと似ていますが、
遺伝子組換え食品を認めておらず、保存料や添加物がアメリカほど多くない印象です。
人口に比例して車もそう多くはないので、街中以外はほとんど信号もなく、ロータリーを採用しています。
日本で暮らしていて、いろいろ窮屈さを感じていたものについて、
ここならストレスを感じなくて済みそうだなぁ…
ただ、生活の糧を得る方法が思いつきません…(苦笑)

ひとまず、九州に受け入れ先があるのだから、
まずはそこへ行こう。
それからその先に、もしかしたらニュージーランドへの移住があるのかもしれないし、
とにかく「住んでみたい」と思える場所がひとつ増えたことは収穫でした。

そしてこの旅でのもうひとつの収穫は、
(実はそんなに楽しい収穫でもなかったんですが…)
今回滞在したお宅では、他にも入れ替わり立ち替わり、ショートステイからロングステイまで、
いろんな人が訪れていました。
私がいる間に出会ったのは5人の日本人の女性。
ですが、メアドを交換できるほど仲良くなれた人がいなかったんですね。

旅の方向性というか、人生の価値観というか、
そういうものを共感できる人に出会えなかったのが、
ここまで流れに乗っていた(はずの)クリキンディとしてはちょっと納得いかない。(笑)
それでも、この時は気付けなかったことを、
帰国して2ヶ月経ってから「は!そういうことか」と納得したことがひとつあったので、
それはそれで大きな収穫だったと思います。

つくづく思ったのは、
やっぱり誰も放射能のことをほとんど知らないということ。
対岸の火事であるがゆえに、興味を持って調べようと思わないことはわかるけど、
新聞やメディアなどの報道のみを信じている人のなんと多い事でしょう。
滞在中に出会った人の中には医療関係者もいましたが、
その方は「放射能ってもう終わったことじゃないの?」という認識でした。

無力だなぁ。

何を語っても
「あの人は気にし過ぎなのよ」
って思われて終わりなんだなぁ。

もうこの頃には、誰かにわかってもらおうという努力を
ほとんどしなくなっていたクリキンディだったのでした。

(その20につづく)

移住しました その18「ミラクル三昧の旅が教えてくれたこと」

2014年03月22日 | 移住しました
2013年秋、今までに積み上げたものを一旦ゼロにして、ついに宮城での仕事を終了させました。
すぐにでもここを離れたい気持ちはありましたが、
次の仕事がはじまる12月までに引越をすることに決めて、クリキンディの「大人の秋休み」が始まりました。

最初の旅は、森のトトロの仲間たちと「お伊勢参り」をメインにした霊場巡りのツァーです。
すでに宮城を離れていた仲間も集合して、4泊5日のレンタカードライブを企画。

もう企画段階から、いろんなミラクルだらけ。
例えば、現地集合のため、それぞれの交通手配もバラバラだったのですが、
うまいこと「残り1席」が予約できちゃったとか、
急遽1名メンバーが増えたことで、予約していた宿がむしろうまいことハマったり、
あらゆることがスムーズに運んでいきます。

そして旅が始まってからも次々にいろんなことが起こります。
あまりにたくさんあったので、もうすっかり忘れちゃってますが、
実はあらかじめ「奇跡が起きるかもね」とみんなが予測していたことがありました。

時を遡ること4年、2009年に人力車で日本一周している青年がいまして、
彼が宮城を訪れた際に、クリキンディが道ばたで声をかけ、
そのまま森のトトロのところに連れて行き、トトロ家に数日滞在したことがあったんです。
その後、彼は旅の続きに出発し、それ以降交流のないままに時は過ぎ去っていましたが、
伊勢神宮の周辺で人力車の仕事をしているらしい、ということはわかっていました。

「連絡とってみる?」
「んー、あえて連絡とらないでみようよ、遷宮の混雑した伊勢で出会えたら本当にすごい奇跡だよねー」

私たちが伊勢を訪ねた日は、ちょうど遷宮関連のお祭りで山車が出ており、
境内はとても混雑していました。
人の波を縫うように歩いていると、人力車の彼が、(境内なので)人力車をひかずに、
目の前からまっすぐ歩いてくるところでした。

すでにミラクル三昧の私たちは、「うん、やっぱりね。会えると思ってたよ。」
と少し驚きつつ、納得の気分だったのでした。

また、もうひとつ、忘れられないミラクルがありました。
4泊5日の旅の行程を決める時に、
遷宮で混んでいる伊勢に宿をとらず、松阪市に予約してあったのですが、
まさにその日、松阪市のライブハウスでクリキンディの親友がライブをしていることが判明。

この親友はもちろん宮城在住で、もう30年以上の付き合いです。
お互いに音楽の道を志し、授業から職場までずっと一緒に過ごしてきたのですが、
ここ数年、なんとなく疎遠になっていて、
放射能のことや移住のことをちゃんと伝えられないままフェイドアウトしてしまったことが、
心の片隅に引っかかっていました。
その友人が、宮城から800kmも離れた場所でライブをするのも滅多にないことですし、
クリキンディはどちらかと言えば旅好きだけれど、
松阪市を訪れることは、おそらく一生に一度しかないだろうと思われます。
その日が一致するなんて、もう必然としか思えません。

森の仲間たちにも付き合ってもらい、
ライブを見に行って親友と話し足りなかったことをいろいろ話すことができました。
この時に親友が語ってくれたもうひとつのミラクルも、それはそれはすごい話で、
人の縁と出会うタイミングは、偶然なんかじゃなく、必然なんだよねと頷き合ったのでした。

「移住しました その11」で、人生はドラクエみたいなものかもね、と書きましたが、
プレイしたことのない方のために軽く説明してみますね。
一作目のドラゴンクエストは主人公ひとりだけで、敵を倒して経験値を稼ぎ、
町の人に話しかけることでいろんなヒントをもらって、謎解きをしてゴールを目指す、
というストーリーでした。
シリーズが増えるごとに、旅の仲間がどんどん増えていき、
終いには敵であるモンスターまでも仲間になっちゃうのですが、
基本的に「プレイヤー」はひとりだけです。

その後、インターネット回線の充実により、ネットワーク上で、
他のプレーヤーとチームを組むことのできるゲームが生まれました。
複数のプレーヤーが同じフィールドで、チャットしながらゴールを目指すなんて、
まるで人生そのものじゃないですか!!

(あ、今思い出した!
ドラクエをはじめてプレイした時に、このゲームについて語り合える友人がひとりだけいました。
それが前述の松阪で再会した親友でした。ああ、もうほんとに人生布石だらけだね。)

というわけでネットゲームの話に戻りますが、
チームを組んだ仲間によって、その後のゲーム展開が大きく左右されます。
クリキンディが今回、お伊勢参りツァーで組んだ森の仲間たちの場合、
キャラクターである三次元の私たちを、コントローラで操作しているプレーヤーたちが、
横の繋がりを持っていたとしか思えないミラクルっぷりでした。

例えば、誰かがお腹が空いたから「柿の葉寿司」食べたい!と言えば、
山の中の国道に突然「柿の葉寿司」のお店が現れるとか、
誰かがトイレに行きたいと言えば、すぐに現れるとか…
また、ちょうど台風が来ていたのですが、ほとんど傘をささずに歩けたり、
むしろそのおかげでゆっくり過ごせたり、
誰かの思いつきで予定外の場所へ行ってみたら、すごく面白いものを見つけたり。

この時間と空間を共有したことで、
「人生の流れに乗る」ことがこんなにも楽しくスムーズであることを、
この時のメンバー全員が感じたと思います。
いろんなことが「必然」であって、どんな小さな出来事にもちゃんと意味があることや、
守護霊と呼ぶのか、ハイヤーセルフと呼ぶのかわからないけれど、
その存在を信頼することで、ちゃんとストーリーは展開すること、
なにより、自分の人生は間違っていなかった、と思えたことは大きな収穫でした。

移住と言う選択をしたことで、人生の大きな岐路に立っていたクリキンディ、
当然のように、様々な不安を抱えていましたが、
この旅のおかげで、いっぺんにいろんな不安が吹き飛んでしまった気がします。

お金もない、仕事もない、黄砂もPM2.5もあるけど、
大丈夫、ちゃんと必要な情報はちょうどいいタイミングでやってくるし、
私が誰かに伝えるべき情報があれば、ちょうどいいタイミングで出会える。
そんな風に自分の人生を信頼できると、なんと心が軽くなることでしょう!

さぁ、このまま流れに乗り続けて、無事に移住まで進めるのでしょうか?

その19につづく

移住しました その17「不思議なひまわり」

2014年03月22日 | 移住しました
2013年夏、どこへ向かってオールを漕ぎ出せばいいのかがようやく決まり、
長い長い迷路から抜け出したクリキンディですが、
精神的に前向きになって少し元気になったものの、体調が回復したわけでもありませんでした。
この頃の植物についても少し記録しておこうと思います。

まずは、2012年秋の街路樹。



銀杏並木のこの道路、
よく見ると、ほとんど葉の落ちてしまった木、
見事に紅葉している木、青々と葉を茂らせている木が混在しています。
悔やまれるのは、2011年以前、この街路樹たちがどんな様子だったのか思い出せないことです。
これは普通のことなんでしょうかね…

次の写真は2013年6月の山並みです。



遠くから見ると、紅葉が始まったのかと思うような風景です。
もちろん、6月といえば、新緑の季節ですから紅葉ではありません。
よくよく見ると、赤く見えるのは立ち枯れしている木です。
郊外を走っていて山を眺めてみると、かなり立ち枯れしている木があることに気がつきます。
じっくり調査したわけではないので、はっきりとは言えませんが、立ち枯れしている木は松の木が多い印象です。
これはやっぱり今までになかったことのように思います。

また、2013年の夏に近所で咲き誇っていたひまわりは
本当に不思議な咲き方をしていました。



このひまわり、二株だけなんです。
つまりふたつの種から芽を出した2本のひまわりですね。
いったいいくつ花がついているのか数えきれません。
花の大きさもバラバラです。大きなものは直径20cm以上ありますし、小さなものはほんの5cmぐらい。

そして幾重にも分かれた枝の根元にもいくつもの花が咲いています。
ちょっとコワイ……



この地域すべてのひまわりを確認したわけではありませんので、
はっきりとは言えませんが、
近所で見かけたひまわりの8割方がこんな咲き方をしていました。

ちなみに、一年前にうちの庭に植えたひまわりも似たような咲き方をして、
たったの一粒も種を残しませんでした。
真ん中の種ができる部分に、種のような形のさやはできたのですが、すべて空っぽだったんです。
普通これくらい咲いていれば、次の年にこぼれた種からいくつか芽を出すものですが、
ひとつも芽を出さなかったことからも明らかです。

ご近所さんのひまわりに種ができたのか、確かめることはできませんでしたので、
皆さんの近所で咲いたひまわりがどうだったのか、教えて頂けたらうれしいです。

他に目立ったところでは、
庭に植えていた百合の花が、やはり通常よりたくさん花を咲かせていたり、
ひょろひょろと丈だけが伸びて、つぼみをつけた段階で倒れてしまったり。




食べるために庭先に植えておいた大葉も、
普通は縦に伸びてあまり葉を付けないので、
なるべく芯芽を摘んで、枝分かれさせるのですが、
芽を摘んでいないにもかかわらず、なぜかどんどん枝分かれして、低く群生しています。



近所の空き地には大量にセイタカアワダチソウが群生してこわいくらいでした。
全体的に「黄色い花が多い」という印象を持ちました。

私たちは普段そんなに詳しく植物を観察することはありませんので、
「それは普通のことですよ」と言われてしまえばそれまでなのですが、
普段から植物や昆虫を観察している人は、何か変化があれば気付いているはずですよね。
「あれ?こんなだったっけ?」と写真をアップしている人はたくさんいますが、
専門的に研究されている方の記事をほとんど見かけないのが不気味です。

はっきりと「これはおかしいです。普通じゃないです」
って専門家が言ってくれたらどんなにスッキリするでしょう。

でも、低線量被曝をし続けた人間の症状も、はっきりわかっていません。
つまり「特有の」症状がないんですね。
老化のようにも見えるし、白血病やガンは、放射能以外の理由でも発症します。
放射能を浴びた人だけが発症するものがあれば、わかりやすかったのにね…。
だからこそ、推進派の人たちは今でも推進しようとしているわけです。

例え、奇形の植物や昆虫の割合が増えたとしても、
なんの証明にもならないんでしょうね…。

あーあ、これが「アセンションに必要な遺伝子の進化です」
とかだったらちょっと楽しいのにな。

(その18につづく)

移住しました その16 「対岸から見えるもの」

2014年03月19日 | 移住しました
移住についての記事が中途半端なまま、
新しい生活が少しずつ進んでいる間に、いろんな記憶が薄れつつあります。
移住してからほぼ3ヶ月経って、体調は大きく変化していますが、
人間、調子がよくなるとあまり自分の体調を記録しなくなるもので…

はっきり言えば、「放射能ってどんなんだっけ?」と言えるほどに回復しています。
同時に、九州に住んでいる人にとって、
福島の出来事は「対岸の火事」であることもわかってきました。

先月、3日ほど宮城に滞在したのですが、
その時に久しぶりに会った友人、知人の誰もが、
クリキンディの移住の理由を知っているにも関わらず、誰も放射能のことを話題にしませんでした。
「九州はどうなの?」
そう聞かれるだろうと思っていたので、拍子抜けした、というより、
この話題が完全に「気持ちの上でタブー」になっているのだと痛感しました。
ものすごく複雑な気持ちです。
諦め切っているような、でも期待しているような…。
確かなことがわからない。
でも怖いからとにかく考えたくない。
そんな感じでした。


対岸に渡った今、私ができることはなんだろう。
東北にいる友人たちに、私ができることはもう何もないのかもしれない。
なんだかもう、よくわからなくなってしまいました。

でも、もしかしたら、まだ移住について迷っている人がいるかもしれない、
それだけを支えにこのシリーズをもう少しだけ続けようと思います。
たったひとりでもいい、誰かの役に立ちますように。


[追記]
今日本のTOPに立っている人について、批判している人々がメディアから排除されようとしている、
という記事を見かけました。
どこにどんなお金を使っているのか、どんな脅しをしているのか、
そもそも本当にやっていることなのか、それはわかりませんが、
「彼を批判すると自分の立場が危うくなる」というイメージを広めることに成功すれば十分でしょう。
そして、これが独裁国家のはじまりとも言えるかもしれません。

私たちは独裁国家についての番組などを見て、
例えば、北朝鮮についての報道を見ると、
なんてひどい、本当にそんな国に生まれなくてよかった…と思うし、
その国で抑圧されている人たちに
「早く逃げればいいのに…」とも思っています。

これこそ「対岸」にいるから言えることであって、
渦中にある人は、自分が逃げられると思っていません。
この状況が、とてもフクシマと似ていることに気付いてしまいました。

そこから逃げ出すのは、
現在の環境に留まるよりもリスクが大きいと思わされているんです。
脱北者が殺されたニュースはあっても、
脱北者がその後幸せになったニュースをあまり見かけないのも、
もしかしたらメディアコントロールなのかもしれませんね。

脱北者か…
脱東北者、なんですね、私。


(その17につづく)

移住しました その15「私がこの人生でやりたかったこと」

2014年02月08日 | 移住しました
さて今まで生きてきた中でもっとも長い、2ヶ月もの休暇ができたのはいいけれど、
私はいったい何をしたいんだろう?
今まで忙し過ぎて、あー10日休みがあればなぁ、とか
1ヶ月休みが欲しいよー、とか言っていたのに、
いざ自由に時間を使えるとなると、なかなか決められないものです。
もしかしたら宝くじが当たった人もこんな気持ちなんでしょうかね?

あらためて、「自分が今本当にやりたいこと」について考えてみます。
こんな時にわかりやすい指針となるのは、
「お金を使ってでも、睡眠時間を削ってでもやりたいこと」
を考えることです。

昔、時間があったらピアノばかり弾いてたなぁ。
RPGを始めた頃は、ストーリーを早く展開させたくて、夜が明けるまでテレビゲームやっていたなぁ。
彼氏にセーターをプレゼントしたくて、電車の中でも編み物してたなぁ。
一眼レフを買って撮影のために旅してたなぁ。
ホームページを作り始めたら夢中になっていくつも作ったなぁ。
キャンプをはじめたら楽しくて道具がどんどん増えて車まで買い替えちゃったなぁ。

ここではクリキンディの趣味についてわかってもらおうとしているわけじゃなく、
皆さん自分が子供の頃から夢中になってやったことを思い出してもらえたらいいんです。
見返りを求めずに労力を惜しまずにやっていたこと、ひとつやふたつありますよね。
これらのことは、時間をとられ、お金がかかるばかりで、直接の収入にはなりませんが、
その後の人生において、いろんなところで役に立っています。
以前読んだ本に書いてあったセリフで(ちょっとうろ覚えですが…)
「あなたが以前それをやったことがあるのなら、それを必ず使う時がくる」
というものがあり、とても腑に落ちました。

あ、ここで「パチンコ」とか思いついた人、
ギャンブルの場合は見返りを求めていることが多く、
本当に自分がやりたいことではない場合がありますのでご注意ください。

いろいろ考えてみると、クリキンディが今一番やりたいと思っていること、
それは「旅」でした。
これからの移住生活のことを考えたら、お金を消費するだけの旅なんかしている場合じゃない、
と自制する気持ちもありましたが、
震災後に多くの被災者に芽生えた感情、
「人間は、いつどうなるかわからない」
という言葉が自分の心のお守りの言葉のようになっていて、
やりたいことは、できるうちにやっておかなくちゃ!という気持ちが強くなっていました。

というわけで、自分探しの旅に時間を使おうと決めました。
まぁそもそも移住先が決まらない時には、放浪しようとしていたわけで、
それが期限付きになった、というだけなんですけどね。

最初に選んだのは、2013年に遷宮した「伊勢神宮」です。
この旅がまた、ミラクルの連続だったんです。

(その16につづく)


☆おまけ

ちょっと前に話題になった「5年もかけて飛行機作っちゃった人」の話。
http://japan.digitaldj-network.com/articles/25671.html

もともとは宿題としてやるはずだったものですが、そんな目的をとっくに超えて、
「作りたいから作る」を極めたらこんなになっちゃうんですね。
完成してよかったねー!


移住しました その14「お金がない、仕事もない、それでも移住したい」

2014年02月01日 | 移住しました
現在の仕事が9月いっぱいで終了し、次の仕事が12月からはじまる。
つまりまるまる2ヶ月無収入ということになります。
うーん、これは不安だ。その間に何か短期でできるアルバイトでも……
と普通は考えますよね。

ちょっと補足しておきましょう。
クリキンディの仕事はいわゆる会社員ではありませんので、
「転勤」という言葉を使いましたが、実際には転勤ではありません。
同じ職種ではありますが、現在の職場から異動先に紹介してもらい、
新しく契約する形になるので、仕事の保証もありませんし、
今までと同等の収入があるとは限りません。
打ち合わせの段階では、おそらく今までの1/3の収入だろうと予測されました。

だいたいこういう話をすると、移住を考えようかなと迷っている人はどん引きします。
放射能は確かにコワいけれど、移住した先で収入がなくなるのはもっとコワい。
ただでさえ慣れ親しんだ環境から離れ、親類や友人と離ればなれになり、
手探りで一から生活を構築していかなくてはならない上に、
収入がないなんて考えられませんよね。
だからこそ、お父さんが残って収入を確保し、
母子のみが疎開するというスタイルが生まれたわけです。

家族全員が移住するためには、住むところだけでなく仕事を確保しなくてはならない。
これはとても大きなブロックです。
それを乗り越えた上で、現地の習慣に慣れる努力をして、新しい人間関係を作って……
それは二の足も三の足も踏みますよね。

しかし、クリキンディの知る限り、震災後に移住した人たちは、
そんな事情を踏まえた上で、やっぱり絶対に移住したいという、
強い意志を持っている人が多いように感じます。
さらに言えば、いろいろなことをいろんな角度から調べています。
みんな悩んで悩んで考えて考えて、この道を選んでいるんですね。

だから、今悩んでいる人がいたら、とことん悩みつくしてください。

クリキンディはどちらかと言えば、石橋を叩いて渡るタイプではなく、
石橋を叩いて叩いて壊してしまうタイプです。(笑)
「ほらやっぱり壊れたでしょ、だから渡らなくてよかったのよ」って。

しかしここまで悩み尽くしてきたクリキンディ、もう悩んでも仕方ありません。
いろんなことが無駄なく、必然の出来事として起こっていて、
その流れを見極めて乗ることで、必ずゴールに向かって導かれる、
ということはかなり信頼できるようになっていましたので、
せっかく2ヶ月の長い休暇をもらったんだから、有効に使おうと決めました。
かといってお金もありません。
ちょっと歩けばゴールデンスライムに出会うという事もありません…(笑)

そこでクリキンディの唯一の財産である車を売ることを最初に考えました。
しかし、放射性物質をたっぷり吸着している可能性のある車を、
九州に持ち込むことはどうなんだろう?という思いもありましたので、
とりあえず、普段からお世話になっている車のディーラーに、
買取価格を聞いたついでに、
「車の放射能値測ったことありますか?」と聞いたら
「測ったことはありませんが、車がちゃんとしているかどうかプロは見ればわかりますから」
ってまくしたてられました。
おそらく、このディーラーさんは、
「原発収束してるんでしょ、放射能の影響なんかあるわけないだろ」
と言いながら、心の片隅で「もしかしたら…」という不安を抱えているのかもしれない、
そんな風に感じたので何も言わずに帰ってきました。

だいたいの買い取り価格はわかったので、いよいよお金がなくなったら売ろうと決めて、
荷造りなどしている時に、生命保険の証書が出てきました。
はっ!これも財産だよね?
契約ではあと4年払込みをすれば一生涯保証がついてくるプランでしたが、
今後4年間払い続ける余裕はありませんでしたし、
ここまでに様々な「社会のしくみ」に気付いた私にはもう必要ないと思えましたので、
こちらを先に解約して少しだけ現金を手に入れました。

移住を考えているけど金銭的なことでためらっている方へ、
クリキンディはこんなしょぼい財産しかありませんでしたが、
財産の断捨離をすることで、少し余裕が出るかもしれません。

しかし、何より一番大きな財産は「人間関係」だと思います。
移住先にひとりでも自分が信頼できる人がいる、それが一番のポイントかもしれません。

(その15につづく)