Compass of my heart

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香典とか(喪中につき~その3)

2012年01月03日 | 家族の話
あああ……
年末に発熱し、そのまま年を越してしまった~~
となりの部屋から紅白歌合戦の音声だけが途切れ途切れに聴こえる……

年が明けてすでに3日目、ようやく完全復活状態です。
※あのね~池上さんがテレビで言ってたけどね~
「冷温停止」と「冷温停止状態」は似て非なるものらしいですよ~
「居酒屋貸し切り」と「貸し切り状態だった」は違うでしょ?って解説されてましたよ。


さて、普段ほとんど親類と付き合いのないクリキンディ家では、
滅多にお目にかかれない「身内の死」を通して、
またまたいろいろ学ばせて頂いている最中でございます。

ここで「香典」についてちょっと考えてみたいと思います。

今まで、友人や仕事関係の知り合いの家族の訃報を受け取った場合、
都合がつく限り、通夜か告別式に参列していました。
一緒に行くメンバーと金額を相談しながら…
そして、どうしても都合のつかない場合は、
参列する友人に香典袋を託して、
友人が持ち帰る「香典返し」を受け取る、というパターンばかりでした。
そのことに特に疑問を抱いていなかったんですね。

しかし、いざ遺族側になってみると、
どうもスッキリしないことだらけです。

クリキンディ家では、告別式を行わない、とだいぶ前から決めていましたが、
もし行っていたとしたら、
おそらく参列者のほとんどが「故人の顔も知らない」方ばかりだったと思われます。
クリキンディの職場の仲間には、
「香典も弔電も要りません」とお知らせしてありましたが、
そういうスタイルがどうしてもフィットしないと感じる方もいらっしゃって、
頂戴した方もありました。

また、「せめて焼香だけでも」と申し出てくれる友人もいましたが、
我が家は中心部から電車で30分以上かかる郊外です。
わざわざお線香を上げに来ようという友人を、
線香だけですぐにお帰り頂くなんてことできませんよね。
つまり、線香を上げにきた方があれば、
ご接待の時間を持つのが礼儀だと思いますが、
我が家にはその準備もありませんでしたので、丁重にお断りしてしまいました。

もちろん友人は心からお悔やみの気持ちを伝えたい、
そう思ってくれていることは痛いほどわかるのですが、
遺族にとっては、実は負担になることもあるのだと、はじめて実感したのです。

普段からよく人が訪ねてくる家であれば、負担にはならないかもしれません。
クリキンディ家は、ちょっと特殊な例と思って頂いた方がいいかも?

さて、故人を知らない人についてはそれで済みましたが、
「普段付き合いはないけど年賀状のやりとりはある」方へ欠礼ハガキを出したので、
しばらくしてから、電話と宅配便と郵便書留の嵐が続きました。

何か来るたびに、
「あぁ、今度は誰だろう」
とため息をつきながら電話や玄関に出ていく母があまりに辛そうだったので、
「香典とかお花とか頂くのはもうイヤだね~」と話しかけてみると、
「そんなことないよ、うれしいよ!」と言い張ります。
ここからはクリキンディの勝手な想像ですが、
「亡き夫に対して、いろいろ送って頂くのは、夫が生前よい人であったことの証明のようでうれしい。
けれど、これらのお返しを考えると憂鬱だ。」
という気持ちなのかなぁ?という感じです。


さぁここから本題!
香典ってそもそもなに?
香典返しっていつからはじまったの?
ああ、こんな時にありがたいぐーぐる様。
http://kouden-gaeshi.net/article/38240624.html

この説が正しいとするならば、
「香典返しは頂いた金額の1/3~1/2を目安にしましょう」
とか言って商品を売りたい人が、どこかの時代で絡んで来た、ってことですよ。
バレンタインデーと一緒じゃないですか!
「ホワイトデーは3倍返しが常識です」って宣伝してね。
もっと言えば、
クリスマスプレゼントだって、ものを売りたかったデパートの戦略です。
宗教をうまく取り入れる事で、消費者の財布の紐を緩めました。
そこに「子供のものもついでに買わせたい」と思ったおもちゃやさんが、
後の時代にさらに乗っかってきたわけです。

ちょっと話がズレましたが、
香典返しが欲しい~と思って香典をお渡しする人などいません。
なのに、なぜこの風習がなくならないのかと言えば、
「あの人は常識のある人だ」と思われたい、
そこにたどり着くと思いませんか?

あ~もう今日のクリキンディは、暴言吐いてますよね。
でも、もういいです。
mixi日記にも最近誰もコメントいれてくれないし、
嫌われてるのかもしれないけど、
あああ~もうそれでも言いたい!

「香典これっぽっちしか入れないなんてケチな人と思われたくない。」
「香典返しが安っぽいケチな遺族と思われたくない。」
「葬儀に行けない代わりに香典を託したから私は義理を果たしていると思いたい。」
「せめて電話ぐらいしておかないと冷たい人だと思われるのがイヤ。」
「せっかく葬儀に出てくれた人にはお酒と料理でもてなさないと遺族として恥ずかしい。」
「今後の付き合いを考えて対処しておかないとね。」

とか、まだまだありそうですが、
亡くなった人を偲ぶことよりも、常識を守る事が優先されているように感じてしまったのです。
どうも、こういう「意義に納得できない一般常識」に乗っかるのが苦手なクリキンディ。

年の初めから葬式の話をしていることも常識はずれではありますが…
2012年、これからもどうぞおつき合い頂ければ幸いです。

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喪中につき~その2

2011年12月30日 | 家族の話
一つ前の記事のつづきです。
父の葬儀について、いろいろ疑問だらけなクリキンディですが、
まぁ「儀式」っぽいことについてはよしとしましょう。
なんとなく気持ちのけじめが付けやすいのは確かですから。

ではもうひとつの疑問「喪に服す」ということについて、
これがよくわかりません……

父が息を引き取ったのは、12月のはじめだったので、
急いで欠礼はがきを出しました。

問題は、クリキンディの仕事上、毎年出している年賀状についてです。
個人的におつき合いがある方ではなく、
父のことをお知らせしているわけでもない方に、
年賀状は出すべきなのか、出しちゃいけないものなのか…?
結局、クリキンディは出す事にしたのですが、
これは「喪に服していない」ことになるのでしょうかね?
賀状をもらう側にとって、もしかしたら迷惑なことなんでしょうか?
もし、出さなかったとしたら、欠礼はがきを出すべきなんでしょうか?
でも、例えば、いつも行きつけの美容院の仲良しの美容師さんから、
欠礼はがきが届く、なんてことないですよね?
もらっても困りますよね?

また、喪中には結婚式に出席してはいけないというマナーもあるようです。
どうやら「おめでたい」カンジのことをしちゃいけないっぽいですね。

例えば、親友の結婚式に招かれて「出席します」と返事をして、
例えば「スピーチ」や「余興」を引き受けていた場合、
その後に身内が亡くなったら、結婚式には出ない方がいいのでしょうか?
「遺族として喪に服す」のと、「友人を祝ってあげる」のは厳密には違うことですよね?
それとも、「喪中」の人は穢れているので、祝ってあげることが、
逆にご迷惑になるということなのでしょうか?
もしそうならば、クリキンディの年賀状を受け取った人ごめんなさい~!

ところで、喪中の人は、どういう正月を過ごせばいいんでしょう?
「お節料理」は食べちゃいけないんでしょうか?
「宴会を控える」ならわかります。
ですが、お節料理ってのは、そもそも「保存食」としての文化ですよね。
正月に女性が台所に立たなくていいように、保存のきくものを年末に作っておくもので、
決して「酒の肴」ではありません。

年越しソバは食べてもいいのかしら、
初詣は行ってもいいのかしら、
初日の出は?初売りは?初夢は?お年玉は?

悩みの種は尽きません。

いかに、自分が普段「形式」だけで、理由もわからずに行動しているか、
思い知らされました。

もうちょっとつづくんだけど……w


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喪中につき~その1

2011年12月30日 | 家族の話
まもなく2011年が終わろうとしています。
でもって一夜明ければ2012年です。
その境目は時計を持っていないとよくわかりません。
昔はきっと「日の出」をもって新年のはじまりとしたんだろうなぁ。
ってことは、天気が悪いときは、やっぱりわかりにくいんでしょうね。

ずっと自宅で介護生活を送っていたクリキンディの父が、
12月のはじめに、3次元生活をめでたく卒業いたしました。

高齢であり知り合いもほとんどおらず、親類が400Km圏内にいないこと、
お墓のあるお寺は九州だし、普段付き合いのないお坊さんにお経を読んでもらってもしょうがないし、
ということで、いわゆる葬式は行わず「直葬」という形で、家族のみで見送りました。
もちろん戒名もありません。
皆さん知ってましたか?戒名の本当の意味。
詳しいことを知りたい方は、「葬式は、要らない」 (幻冬舎新書) [島田 裕巳 著]
をぜひ読んでみてくださいね。

直葬とは言っても、すべて自分たちで行うのはとても難しいため、
近所の葬儀社に、簡単な祭壇作り、納棺(おくりびと)、斎場への棺の移動などをお願いしました。
映画「おくりびと」のヒットにより、あのスタイルが定着したのでしょうか、
「わぁ映画と同じだね~」と言いながら拝見させて頂きました。

遺体の胸のあたりに「守り刀」という短刀を置くとか、
手甲、脚半、わらじを履かせるとか、棺の中には杖を入れるとか、
ろうそくと線香は◯本立てるとか、鐘は◯回鳴らすとか、
着物は左前、紐は縦結び、などなど
その都度葬儀社の方に教えて頂きましたが、
なんかね…
「意味がよくわかりません~~」ww

死出の旅なので、手甲、脚半などの旅姿らしいのですが、
なぜに江戸時代のスタイルなんだよ?と思いませんか?
左前、縦結びについては、
「普段と違うことをするんですよ」
と優しく教えて頂いたものの、
普段と違うというだけなら、もっと山ほどスタイルがあってもよくないですか?

葬儀社により、少々の違いはあれど、基本的には仏式らしいんですがね。
そもそも仏教って「よりよく生きる」ために生まれた宗教なんですよね。
死に装束や見送るスタイルのこまごまとしたことを、
仏陀が弟子に言い残したとは思えません。

ここまで言ったらついでに言っちゃいますが、
そもそもたった一晩だけ入るだけの棺、
次の日には、ガスの炎であっという間に灰になってしまうのに、
材木を使うのってもったいなくないですか~~?
普段割り箸一本使うのだって、ためらって生活しているのに、
この棺ひとつで割り箸何本作れるかなぁ…とか考えちゃうクリキンディって、罰当たりなんでしょうか?!

そして…
「喪に服す」ってそもそもどういうことなんでしょうか?
悩めるクリキンディのつぶやきに、もうちょっとおつき合いください。

つづく…


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命令形のない命令文

2011年07月24日 | 家族の話
ゆうべのこと、
寝たきり介護生活が2年になろうとしている父が、
母に向かって言いました。

「もう俺は生きている甲斐がないよ。もう今晩死んだっていいと思ってる。
もういいだろ?」

そう言われた母、
「あなたがそうしたいのならいいですよ」
って答えちゃった。

父は
「そんな言い方ないだろう~。
そんなこと言わずにがんばって長生きして下さいとか言われたら、
もうちょっとがんばろうと思うけど、
そんな風に言われたら、本当に生きてる甲斐がないよ…」
とお拗ねになられまして………

どうやら
「お願いあなた、私を置いて行かないで、私をひとりにするなんてひどいわ」
とか答えてくれることを期待していた模様です。

母は仕方なく、
「それなら、孫がもうすぐ夏休みで帰ってきますから、
せめてそれまでがんばってください」
って言っちゃった……

あ~あ。

この夫婦の探り合いの、根比べのような会話は、
聞いていてほんと疲れるわぁ。


「正しいネガティブのススメ」というブログをご存知でしょうか。
心理セラピストの杉山隆史さんという方が書かれた過去記事に
「命令形のない命令文」
というものがあるのですが、
うちの父親が言っているのがまさにこれです。

ごく簡単に説明すると、
「ああ、もう私死にたい…」
って言う人は、本当に死にたいわけじゃなく、
「何言ってるの!死んじゃだめ、あなたは生きる価値のある人なんだから」
って言って引き止めて欲しい時であるってことですよ。
つまり、うちの父の場合、
「自分は必要とされている」ことを認識したくて、
相手にそう言ってもらえるであろう言葉を発しているわけです。
無意識に「レスポンスの予想できる話題」を振っていると言ったらいいのでしょうか。

これは、いろんなケースがありますよね。
「あ~あ、もう会社やめちゃおうかなぁ」とか言われたら、
「え?やめないでよ、あなたが抜けたらさみしいわ」って言いたくなるし、
「私はほんとに記憶力が悪くてみんなに迷惑かけてばかり」とか言われたら、
「そんなことないよ、この間だって、あなたが覚えていたから助かったのに」
って言っちゃいますよね。


しかし、残念なことに、
うちの母親は、この「命令形のない命令文」にひっかからなかった!
まぁ、厳密に言えば、だめ押しされて、仕方なく、
命令形のない命令文に半分従った、って感じではあるのですが。

こんなすれ違いの会話になる理由は、
父と母の価値観が大きく違うからなのです。
つまり、父が考える「愛の形」とは、
お互いを求め合い、必要だと表現し続けること。
母の考える「愛の形」は、
お互いを尊重し合い、完全に自由であること。

だから、父は、母に嫉妬という形で愛情を表現してもらいたくて浮気し続け、
母は、父への愛情を表現するために、嫉妬せずに許し続けた。

ああ、ほんとにかわいそうな夫婦。
子供が生まれていなければ、とっくに別れていたと思う。
子供って、私じゃん!!
あ~あ、あたしのせいじゃん……

私なんか生まれない方がよかったんですよね、きっと…。


あ…
命令形のない命令文、発動しちゃいましたね~w

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究極のダイエット…かも?

2010年07月18日 | 家族の話
いやぁ、暑いです。
今日は知り合いのお通夜に行ってきましたが、
喪服が絞れるほど汗をかきました。

そんな暑さの中、
クリキンディの父は、元気に(?)寝たきりです。

というのも、食欲がすごいんです。
今年の始め頃、
食欲が落ちて、いよいよか…と家族は覚悟したのですが、
少しずつ食べる量も増えてきて、
今では、クリキンディよりたくさん食べてるんじゃないか?
と思えるほど。

毎日、3食しっかり食べます。
食べている時以外は、完全なる寝たきりで、
ベッドに起き上がることすらできません。

つまり、「食っちゃ~寝~」を繰り返して一日が過ぎていくのです。

それなのに…
腕も足も、本当に枯れ枝のような細さです。
完全に筋肉が落ちていて、
骨と皮しかありません。

こんなに食べるようになれば、
ちょっとは元気になると思うのですが、
まったく、ほぼ変化なしです。

その食物のエネルギーはいったいどこへ行っちゃってるんでしょう?

そして、まったく動かないのに、
なぜ太らないんでしょうね?


も…

もしかして……


親父は、「カオナシ」のような妖怪にとりつかれているのでは…!!?




いいですか、皆さん、
「食っちゃ~寝~」という生活をしていても、
太るとは限らないんです!

栄養を横取りする妖怪にとりついてもらえば、
楽してダイエットできる、かも…?しれませんよっ!




人気ブログランキングへ←食べれば太るってのは、実は幸せなことだったのね…
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赤ちゃんとの縁

2010年05月08日 | 家族の話
GWは段ボールとランデブーだったクリキンディです。
ようやくブログを書く余裕が出てきました。
いろいろネタにしたい!と思うことはあったのに、
メモっておかないものだから、すっかり忘れちゃってます。

さて、今日は、クリキンディの友人が、
この春パパになった話を書いてみようと思います。

「無事に生まれました!まもなく1ヶ月です」
という報告を受けて、
「わぁ!写真見せてよ!」
と言ったのですが、なかなか写真が出てきません。

普通、というか、クリキンディの経験上、
こういう時は、みんな顔がでれ~っとなっちゃって、
うざいくらいに写真を何十枚も見せてくれる、
というパターンが多かったんですが、
どうも、今回の新米パパさんは、
「いやぁ、かわいくてかわいくて…」
という雰囲気ではないんです。

いろいろ話を聞いているうちに、
どうやらその理由がわかってきました。


この新米パパさん、仕事を休んで出産に立ち会っています。
そこで、いつもは、かわいくて優しい奥さんが、
見たこともないような苦しそうな顔をして、
聞いたこともないようなうめき声をあげているのを目の前で見たわけです。

ようやく赤ちゃんが生まれた瞬間、
新米パパさんは、泣きました。

赤ちゃんが生まれたことの感動の涙ではなく、
「奥さんが生きていてよかった…」
という安堵の涙だったのだそうです。

生まれた直後、
赤ちゃんよりも、奥さんの方が心配で、
看護士さんに、赤ちゃんのところに誘導されても、
あまり興味を持てなかったそうです。

聞いてみれば、なるほど、その気持ちもわからなくもないですよね。


クリキンディの話をすると…
切迫早産で3週間ほど入院していたクリキンディを、
ダンナはあまり見舞いに来ませんでした。
仕事が忙しいからだと思っていたのですが、
いざ子供が生まれてみたら、
毎日病院へやってきて、
赤ちゃんのベッドに付きっきりです。

こっちにも話しかけてくれよ~~
とさみしい気持ちでいっぱいだったことを思い出しました。
ちなみに、彼は、私の出産にも、最初から最後まで立ち会っています。



スピ系ブログのつもりなので、
無理矢理そっちに話をまとめてみますが、
夫婦にしても、親子にしても、
なにかしらの「縁」があるわけですよね。

はじめて出会う赤ちゃんに対して、
どんな気持ちを持つのか、
死にそうな様子で出産をした妻に対して、
どのような気持ちを持つのか、
それは、前世からの因縁によるのかもしれないなぁ、
なんてことを思ったのでした。


どちらにしろ、
「家族」という深い縁を持っている関係ですから、
いろんな深い意味と今後の経験があるのでしょうけれど。

新米パパさんの今後の様子を、たまにチェックしてみようっと!v( ̄∇ ̄)ニヤッ



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「もう、なんにもできなくなっちゃったよ…」

2009年11月15日 | 家族の話
今日久しぶりに実家へ行ったら、
父親の車がなくなっていました。

もう平均寿命をとっくに超えているクリキンディの父親は、
まだ免許証を返していません。
80歳を超えて、目も耳も、身体の反応もすべてに鈍くなってしまっている父は、
これまでに何度も小さな事故を起こしており、
その都度「今度こそ運転やめようね」と、
家族に言われながらも、なかなかやめられずにいました。

しかし、一日に2度も車をぶつけた日を境に、
ようやく運転を諦めたのでした。

しかし、それ以来ふさぎこんでしまい、
一歩も外へ出ることもなくなり、
半分寝たきりの状態に突入してしまいました。

それでも、まだ免許証は返さず…。
それから、ようやく2ヶ月経って、車を廃車すると決心したようです。

クリキンディ、車のことには一言も触れなかったのですが、
父がポロッと一言放ったのが、冒頭の言葉でした。

「もう、なんにもできなくなっちゃったよ…」

確かに、運転はできない、もう雨漏りの修理もできない、重いものも持てない、パソコンの操作も携帯のメールも覚えられない、旅行することもできない…

できないことは増えたかもしれないけど、
何にもできないわけじゃないじゃん、
目も見えるし、耳も聞こえる、しゃべれるし、歩けるし、ご飯も食べられるし!
ヘレン・ケラーよりずっとすごいじゃん!

とわざと冗談ぽく言ってみました。

すると、反発するかと思った父が、素直に
「そうだな…なんにもできないわけじゃないな、ありがとう」って言ったんです。

普段の父を考えたら、奇跡とも思える前向き発言でした。
おやじが、なんかいい人になっちゃってる…。

……ということは……
もしかしたら、
次のステージが近いのかもしれない…。

家族はこうして、少しずつ覚悟をさせられていくんですね…。


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おもしろおかしく暮らすこと

2009年10月19日 | 家族の話
こんばんは、ゆうべオリオン座流星群観察のため、空を見上げ過ぎて、首が痛いクリキンディです。
極大は水曜あたりと予測されているのですが、
昨日もちゃんと流れ星見られましたよ~。
願い事は「流れ星と一緒にUFOも見られますように!」です。(笑)

ところで、みなさんの家庭ってどんなですか?
流星群の話題で盛り上がれますか?
「よし空気のキレイな山に見に行ってみるか?」とか
「どうせ、あんたの願い事は、宝くじが当たりますように!でしょ?」
「違う違う!白馬に乗った王子様が迎えに来ますように!だってば。」

な~んて会話があったりするのでしょうか。
クリキンディの友人で、すでに若くはない独身の女性がいます。
ご両親と3人で暮らしていますが、家を出てひとり暮らししようと思ったことはないそうです。

「だって、毎日おもしろおかしく暮らしてて楽しいし」
と言うのです。
いったいどんなネタで両親と会話してるの?と聞くと、
「どんな、って大した話題じゃないよ、甥っ子のこととか、ほんと、くだらないことが多いかな」
だそうです。

クリキンディの両親は、冗談を言いません。
よく考えたら、両親がふたりで大笑いしているところを見たことがないんです。
というか、「笑点」見てても、父は笑いません……。

この間は、借りてきたDVDを見ながらひとりでゲラゲラ笑ってたら、
うるさいって怒られたし。
(※クリキンディの家にはテレビがないため、実家で見てました)

自分が育った環境について、
当たり前だと思って生きてきましたが、
実は、あんまり楽しい家庭とはいえなかったんだなぁ、と今頃になって気付きました。


せっかく3次元に生まれて来たんだから、
心のコンパスに従って、
思い切り「地球の生活」を楽しもう!
最近のクリキンディは、そう思って生きています。

毎日笑って暮らすだけが「楽しい地球生活」だとは思いませんし、
自分で「○○な人生を送るぞ」って決めて生まれてきているのでしょうから、
両親の生き方を否定してもしょうがないんですが、
やっぱりさみしいです…。

だけど、くだらないことで一緒に大笑いしてくれる友達がいてくれるから、
やっぱりクリキンディはしあわせです。

ちゃんとバランスとれてるのかもしれませんね。



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テレパシーで心配なこと

2009年09月16日 | 家族の話
「今日さ~、ガタケに行ってきたよ~。」
「ガタケ行くなら誘ってくれたらいいのにぃ~。オレ、はぶられちゃってる?」

若者の会話は、さっぱり意味がわからないクリキンディです。

息子に聞いたところ、
「ガタケ」というのは、山の名前で、「○○ケ岳」を省略して呼んでいるそうです。
つか、君たち、確かにこのあたりには、そんな名前の山はひとつしかないけど、全国には山ほどあるぞ…。
賤ヶ岳、仙丈ヶ岳、青ヶ岳、長者ヶ岳、天子ヶ岳、久須夜ヶ岳、稲村ケ岳、五老ケ岳、野伏ヶ岳、明神ケ岳、釈迦ケ岳……
もういいっすね。
子供たちの世界は、本当に小さくてかわいいです。

「はぶる」というのは、省略される、省かれる、つまり、仲間はずれにされちゃうことだそうです。

日本語は、確かに昔から長い言葉を省略することの多い言語ですが、
それにしても、最近の若者の省略っぷりにはついていけません。

もしかしたら、スターチャイルドと呼ばれている世代の子供たち、
地球に生まれる前に「テレパシー」で会話していたから、
いちいち言葉にするのが億劫なのかも?!

そうか、
ごめんよ、テレパシーの会話を受け取ってあげられなくて。
こっちは受信機がうまく使えないからさ、
悪いけど、わかりやすい言葉で会話してくれるかな?

ってお願いしてみました。

ぷっ!と吹き出しながら、
「オレだって受信できないっつうの!」
と言ったあとで、息子からこんな疑問が。

「ところでさ、いっぺんにたくさんの人にテレパシーを送ることってできるのかな?」

ん~、母はそんなこと考えたこともありません。
でもきっと、できるのかも。
個人的に送るつもりだったテレパシーを、間違えてメーリングリストみたいな一斉送信で送っちゃったりしてね~!

「あれ?オレなんでそんな心配してるんだろう?テレパシー使えもしないのに。」

ってことは、やっぱりテレパシー使える人生を生きたことがあって、
間違って、必要ない人にテレパシー送っちゃったことがあるんじゃないの~?

今生では、しっかり日本語を学んで欲しいと思う母でした。


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そんなこと考えたって何も変わらん!

2009年07月29日 | 家族の話
ちょっと落ち込み気味のクリキンディです。
またひとつ、自分のトラウマに気付いてしまいました…
その具体的な話は、次の機会に記事にしようと思います。

まぁ、その流れで、家族で会話していた時のこと…。
「地球はこれからどうなっていくんだろうね?どんな地球になったらうれしい?」
と、問いかけてみました。

母は、
「とにかく争いのない世界がいいわね~」
ああ、ごもっともです。

父は
「地球?そんなもん考えたって無駄だろう!そんなこと考えたって、地球は何も変わらんだろうが」




まぁ、わからなくはないけれど…。

クリキンディ、ちょっとムキになって
父親を攻撃しちゃいました。

「俺ひとりぐらい、
ゴミを捨てたって、地球に影響ないだろう、
俺ひとりぐらい、
多めに電気を使ったって、
排気ガスを出したって、
割り箸を使ったって、
地球の未来が変わらないだろう、って、
みんなが思って、実行したらどうなるのよ!
ひとりひとりは小さな行動でも、
ちりも積もれば山になるんだよ~!」

すんません…
偉そうに語ってしまいましたが、
クリキンディだって同罪なんです。

なるべく無駄な包装をしてもらわないようにしているけれど、
まったくゴミが出ないわけではないし、
燃費のいい車に乗るようにしているけれど、
必ず排気ガスは出ます。
マイ箸を持ち歩いてはいるけれど、
たまに割り箸使っちゃうこともあります。

「五十歩百歩」です。

ただね~、
自分が生きることで、地球に影響していることとか、
自分の思考が環境を作ることとか、
そういうことに意識を向けて欲しかったんですね、父に。

私に攻撃された父はと言えば…。
すでに、議論することすらめんどくさいんでしょうね。
「はいはい」
って感じで会話が終わっちゃいました。

なんか、振り上げたこぶしの置き所がなくなっちゃった感じです。


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