古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

「智蔵法師」という人物とその時代(5)

2016年10月31日 | 古代史

 ところで、「漢詩集」『懐風藻』に書かれた漢詩群については一般的に「南北朝」時代の「古典的」な部分の影響を強く受けているとされ、「中国六朝時代の古詩の模倣が多く、いかにも黎明期の漢詩」という傾向が見て取れるとされます。その典型的なものが冒頭の「大友皇子」の作品であり、これは通常の漢詩と違い「仄韻」つまり「仄音」で「韻」を踏んでいます。

「五言侍宴一絶/皇明光日月/帝徳載天地/三才竝泰昌/萬國表臣義」

 通常漢詩文は「平音」で「押韻」するものであり、「仄韻」は「破格」とされます。また「大津皇子」の漢詩(以下のもの)においても同様の趣旨の評がされています。

「言春苑言宴 一首/開衿臨靈沼/游目歩金苑/澄清苔水深/晻曖霞峯遠/驚波共絃響/哢鳥與風聞/羣公倒載歸/彭澤宴誰論」

 さらに「葛野王」の漢詩文や「釈智蔵(智蔵法師)」の作においても同様に古詩を模倣したという言い方がされています。
 またこれらの詩文に共通なことは押韻が「呉音」によって行われていることです。
 「大津皇子」の作品では「苑、遠、聞、論」であり、「智蔵」の「秋日言志」詩では「情・聾・驚」と「芳」、さらに「葛野王」の「春日翫鷺梅」詩では「馨・情」と「陽・腸」です。これらはその詩体と共に音韻体系においても「唐」の影響ではなくその前代の「隋」あるいはそれ以前の中国の影響を受けていることを如実に示すものであり、この漢詩が「天智」以降の時期である「六七〇年代以降」に造られたとすると大きく齟齬するものと思われます。なぜならその時点までに「遣唐使」は何次にもわたって送られており、「唐」の文化つまり「漢音」や「唐詩」のルールなどを学ばなかったとするとかなり不審なことと思われるからです。
 
 また「大津皇子」の辞世といわれる詩においては良く似た詩が「南朝」「陳」の最後の皇帝「陳後主」の「臨行詩」(長安に連行される際に詠ったとされる)にあり(ただしこれは別人の偽託によると思われるものの)、これが元々「隋朝」から「唐朝」にかけて仕えた「裴矩(裴世矩)」(五四六~六二七)が記した『開業平陳記』にあったものが伝来したと見られること、それをもたらしたのが「智蔵」であるという考察があります。(※)
(以下「大津皇子」と「陳後主」の詩)

「大津皇子」
「金烏臨西舎/鼓馨催短命/泉路無賓主/此夕誰家向。」(『懐風藻』より)

「陳後主」
「鼓馨推(推)命役(短?)/日光向西斜/黄泉無客主/今夜向誰家。」(釈智光撰『浮名玄論略述』より)

 ここでも「大津皇子」の詩は押韻が「呉音」で行われているようであり(「名」、「向」)これもまた「異例」のものです。(しかもこれも「仄韻」です)それに対し「陳後主」の方は「斜」と「家」であり、これは「漢音」(しかも「平音」)で「押韻」されています。
 またこの二つの詩の類似はどちらかが他方へ影響したものと見られるわけですが、年次からいうと「陳後主」から「大津皇子」へとなります。それは「智蔵」に関する『懐風藻』の記事からも推察されます。それによると「智蔵」は「呉越の間」に留学していたとされ、そのことから「南朝」の皇帝である「陳後主」に関するエピソードについて特に収集可能であった環境があることなどから、彼がもたらしたと見ることができるとされます。
 『旧唐書』の「裴矩伝」によれば彼は「『開業平陳記』十二巻を撰し、代に行わる」とされており(「開業」とは、「隋文帝」の年号である「開皇」と「煬帝」の年号の「大業」を合わせたもの)、この書物が一般に流布していたらしいことが推定できます。
 この『開業平陳記』については『隋書』「経籍志」の史部・旧事類に書名が書かれており、また『旧唐書』では「経籍志・藝文志」の「雑史類」に分類されています。「雑史」に分類されたということはその内容として「平陳時」(「陳」滅亡時)の各種雑多なエピソードが書かれていると思われますが、これを「智蔵」が「倭国」に持ち帰り、その中にあった「陳後主」の作とされる「詩」を改変して「大津皇子」のものとしてその心境を忖度したものではなかったかと推測されるわけです。

 これらのことからいえることは、この『懐風藻』に収められた詩文のうち特に初期のものはその成立時期がかなり早かったという可能性があることです。
 そもそも「智蔵」については、すでに考察したように彼が七世紀半ば以降に留学して帰国したとは考えられないことがあり、そのことと上に見る「詩体」や「押韻」などの実情は重なるものであり、実際には「隋末」から「初唐」にかけての時期が最も考えられるものではないでしょうか。(続く)

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