霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

秋穂街道その1

2010年09月11日 | 山口の歩き旅
2010年9月11日(土)

今日は、異常に暑かったこの夏の最後の猛暑日になるだろうとTVでは言っていたが、構わずに出かけた。もちろん、充分な熱中症対策を忘れずに。

JR宇部線で新山口駅へ出て、ここからバスで秋穂へ行こうと思い、朝7時30分発には僅かに間に合わなかったので、次のバスは…と時刻表を見ると、何と9時20分と書いてある!!!。
事前に時刻表をチェックしてこなかったのは大きなチョンボだが、まさか2時間近くも待たされるとは思っていなかった。仕方がないので売店で山口新聞を買って、隅から隅まで読み終えたところで、漸くバスに乗ることができた。

秋穂のバス停で下車し、四月にも訪れた髪解橋を今日の出発点として、秋穂街道(秋穂お上使道)を一路北上し、山口市内の袖解橋を目指してみた。
髪解橋の記事でも書いたが、大内氏時代には舟で秋穂に着いた旅人は、髪解橋でまず髪を解き(整え)、服装はまだ旅姿のままでこの秋穂街道を歩き始め、約5時間ほどの歩き旅で山口の入口である袖解橋に着くと、狩衣や直垂の袖をくくっていた旅装を解いて身づくろいをし、愈々山口の大内氏館へ向かったということらしい。
古の人の、何とも風流で合理的なネーミングには脱帽するしかないが、現代の地名や都市名・駅名などのネーミングにも、こんな知恵が欲しいところだなぁ。
「新ナントカ」や「中央ナントカ」、浅知恵かつ浅薄な「ひらがな・カタカナ混じり」のネーミングには、ほとほと情けなくなるし、先人に申し訳ない気がする。

秋穂街道の道筋そのものは秋穂の街中には余り残っておらず、それらしき道を辿るしかないのだが、正八幡宮を過ぎて仁光寺辺りにかけては、旧街道の趣を感じることができる。
やがて勤務先を左に見ながら県道194号の梅の木垰を越え、不二サッシの先から県道を左に逸れて、JR四辻駅の西側に出る。踏切を渡ると旧山陽道に突き当たり、これを左折して暫くは旧山陽道を西進する。
セブンイレブンが右手に見える交差点で国道2号を横切り、その先の陶小学校角の交差点を右折して山側(北側)に歩を進めるのだが、この道には県道200号(陶湯田線)の標識が建っていた(写真上)のに吃驚。
何故なら、もう少し先にある山口県動物愛護センターから山側にかけては、車の通行が不可なのを知っていたからだ。山口県の県道は全て車両が通行できると思っていたのは、大きな間違いだった。

山口県動物愛護センターの前の道で確かに車は行き止まりになっていて、そのすぐ先には、陶峠下一里塚が見える(写真中)。江戸時代初期になって漸く徳川幕府が全国に一里塚を設置したのだが、その遙か以前に既にこの秋穂街道には4カ所の一里塚が整備されていたのだから、大内氏の政治力や経済力が抜きんでていたのはやはり確かだろうナ。

道はそこそこ急な登り坂となるが、下草がきれいに刈ってありとても歩きやすい。多分、地元の方がこまめに手入れしていただいているのだろうと思うが、心から感謝せずにはいられない。峠の8合目付近までくると、見通しのいい場所では、優美な姿の陶ヶ岳(火の山)連山とその向こうに広がる瀬戸内海の絶景を眺めることができる(写真下)。

その2へ続く


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