心のつぶやき

美しいものを一枚の写真に残したい。

その時歴史が動いた

2005-05-25 | つれづれなるままに

NHK番組。
「戦場で傷ついた者は敵味方の区別なく助ける」
赤十字の理念を、日本で初めて実践しようとした佐賀出身の元老院義官・佐野常民のお話。西南戦争で、多数の負傷者が戦場に置き去りされることに心を痛めた彼が、日本初の国際的人道支援をはじめた。彼は、戦場で敵味方なくすべての者を助ける赤十字の存在に感銘を受けていた。
この当時敵味方の隔てなく人命を救うという考えに賛同する人々はあまりいなかった。あの岩倉具視も賊軍の命を救うことなどできないと、その申し出を却下した時代である。政府軍からも薩摩軍からも理解をされず、満足な援護ができなかった。しかし、彼はその後も赤十字設立のために奔走するのである。

最初に事を興すということがいかに大変なことであるのかということを痛感した。しかし、その目的が自らのためではなく、他の人々のためであるということ。また、強い信念を持って挫けずに突き進んでくださったことで、日本のみならず世界にも通じる人道支援の道がひらかれたのだ。今宵は、この方々に深く深く感謝を捧げたいと思う。
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6 コメント

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こんばんは (コスケ)
2005-05-27 00:18:41
mixiから辿って来ました。

佐野常民さんその後、どうなったか気になります(^-^;

『世の中に、素晴らしい足跡を残した方に感謝を捧げる』という行為は素晴らしいですね。感動して言葉がありません。

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コスケさん (iwakagami07)
2005-05-27 22:05:55
コメントありがとうございます♪



佐野常民のその後(佐野常民記念館のHPより)



1886(明治19)年、日本はジュネーブ条約(赤十字条約)に加入。翌年、博愛社は日本赤十字社に改称され、国際赤十字に加盟、常民は日本赤十字社の初代社長に就任しました。日本赤十字社は、その後、磐梯山噴火の災害救護、日清戦争の戦時救護など、さまざまな場で活躍を展開、1899(明治32)年には病院船博愛丸・弘済丸を建造しました。1902(明治35)年10月、日本赤十字社創立25周年式典が盛大に挙行され、常民は最高の栄誉である名誉社員に推薦されました。その2ヵ月後、常民は人生の大舞台の終わりを見届けるかのように、80年の生涯の幕を静かに閉じました。



人は、みな同じ時間を過ごしていますが、様々な人生を送るものですね。
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Unknown (コスケ)
2005-05-31 22:57:22
ありがとうございます(^-^)

同じ24時間、一日なら、少しでも輝きのある一日を過ごしたいと思います。
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コスケさん (iwakagami07)
2005-06-01 22:36:24
六月に入りましたね。

梅雨の季節。

雨は、お好きですか?



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Unknown (コスケ)
2005-06-02 23:46:35
雨は、京都の桜並木など歩いている時に降っていると、詩的で心が洗われるようです。

普段は、あまり好きな方ではありません・・・(^^;)岩鏡さんは、雨はお好きですか?
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雨音 (iwakagami07)
2005-06-04 22:03:50
今こちらでは、大きな音を立てて雷が鳴り響いていますよ。

私が幼い頃、実家は農業を営んでいました。雨になると普段は忙しくめったに家にいない母親が、傘を持って保育園まで迎えに来てくれたのです。夏の間、あまり母と接する時間がなかった私にとっては、その時の嬉しかった思い出は忘れられません。





静かに降る雨音を窓辺で聞くのが、好きです。



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