東京・八王子市で15歳の少年が亡くなった事件が注目を集めています。自分の頭を拳銃で撃ち抜き、自殺を図ったとみられています。とりわけ注目を集めているのは「なぜ拳銃自殺だったのか」「その拳銃はどこから手に入れたのか」など拳銃にまつわる事柄です。
しかし、不登校新聞の編集長、石井志昂さんは「しかし彼の命を奪ったのは拳銃ではなく絶望です。少年は絶望したがゆえに拳銃を自分に向けたわけで、注目されるべきは手法ではなく少年の気持ちや背景です」と言います。石井さんは、社会の議論の一助になればと思い、背景の一端として考えられることを記しました。 * * *
■「週3日の登校日」が示すこと 報道によると、少年は高校1年生。今春から私立高校の通信制学級に所属していました。この学級には「週3日」は登校することになっていたそうです。 週3日の登校と聞くと「ふつうの半分程度だな」と思うかもしれませんが、通信制高校としては登校日が多いほうです。「月に1日程度」や「週に1日程度」の通信制高校が多いからです。 週3日の登校を選んだのは、少年が中学2年生の後半から不登校していたことと関係しているでしょう。
ふつうの高校に通うのは自信がない。しかし、月に1日程度という高校生活も特殊すぎて自分が許せない。そう考えて「週3日制」の通信制校を選ぶ子が多いものです。つまり、週3日だけで楽をしたいというより「きちんと学校へ通いたいけど、できそうにないから」と判断する子が、3日制を選ぶ理由として多い印象です。 少年は「ふつうになりたい」と思いながら、それができそうにない自分を意識していたのかもしれません。
■緊張が続いたすえに
報道によると、少年の高校は、新型コロナウイルスの影響で入学式以降、長らく登校日が設定されていませんでした。学校が再開されたのは6月。少年は6月1日に登校するも、その後は欠席。登校日から1週間後の6月8日に自殺を図りました。
中学生で不登校した子どもにとって、新しい高校生活の初日ほど緊張する日はありません。今度の学校では、人間関係がうまくいくのか。ひさしぶりの勉強についていけるのか。考えれば考えるほど不安になるでしょう。
そんな「初日」を迎えるまでの緊張状態が、3カ月以上も少年の場合は続いたはずです。通ったのは1日だけでも、緊張していた疲れが一気に出て学校へ通えなくなったのかもしれません。
そんな事情よりも、少年が気にしていたのは、おそらく「もう自分はふつうになれない」という絶望感だったのでしょう。
少年と同じように中学2年生で不登校をした女性に取材をしたことがあります。彼女が一番苦労したのは、学力でも、社会性でも、人間関係でもなく、「ふつうになれないという思いだった」と語ってくれました。 「ふつうになれない」という劣等感や負い目は、拳銃よりも殺傷力が高いと私は思っています。
■ふつうに戻す力が強く
新型コロナウイルス感染拡大に伴い休校していた学校が次々と再開しています。しかし再開した学校のようすを聞くと非常にピリピリしています。学力を取り戻そうと宿題がたくさん出され、授業もぎっしりと組まれています。感染予防の指示も、事細かなもので、「しゃべるな」「ちかづくな」という教員の大声が飛び交っているそうです。
学校の再開以後、教員や親はこぞって「ふつうの状態に戻すこと」に躍起になっているように感じます。家のなかのゆるい生活を捨てさせ、はやく集団生活に戻そうと厳しすぎる指導が横行しているようにも感じます。これまでの「ふつう」に戻そうと、もっと宿題を出すよう学校に求めている親も多いそうです。
しかし、そんな親や先生たちの思いに応えられずに立ち止まった子は「ふつうになれない」と絶望感を抱えるかもしれません。
どうか、いまは非常事態だと割り切って、子どもに接する大人にはおおらかな対応をお願いしたいと思います。 少年がなぜ亡くなったのか。いま、われわれがその背景を考えていくことは、大事な社会課題と向き合うことであり、少年の心と向き合うことでもあります。 最後になりましたが、少年のご冥福をお祈りいたします
6/17w/2020