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『頭脳流出』を逆転させるチャンス!>トランプ米政権に不満の研究者を採用へ 独政府に学者ら提言

2025年05月28日 13時03分38秒 | 科学のはなし
 

米国の「研究と学問の自由の世界的な中心地としてのかつての揺るぎない評判に亀裂が生じ始めている」として、「ドイツと欧州は今、『頭脳流出』を逆転させ、世界クラスの研究者を自国の機関に迎えるチャンスがある」と述べた。
 
 
トランプ米政権に不満の研究者を採用へ 独政府に学者ら提言(AFP=時事) - Yahoo!ニュース 
 
 
 
トランプ米政権に不満の研究者を採用へ 独政府に学者ら提言
4/2(水) 9:19配信




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AFP=時事
米ニューヨーク市のコロンビア大学のキャンパスで行進する親パレスチナ派のデモ参加者(2024年10月7日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News


【AFP=時事】ドイツの経済学者たちは1日、同国政府に対し、ドナルド・トランプ大統領の政策に不満を持つ米国在住の研究者を対象とした採用活動を呼び掛けた。欧州の主要経済国であるドイツが「頭脳流入」の恩恵を受けることができるとしている。


【字幕】仏政治家「自由の女神像返せ」 米国はもはや価値観体現せず


著名なキール世界経済研究所のモリッツ・シュラリック所長ら8人が独誌シュピーゲルに寄稿し、現在米国を拠点とする優秀な学者のために独国内で最大100の教授職に資金提供するよう政府に求めた。


学者たちは米政府が学問の自由を損なっていると非難し、コロンビア大学とジョンズ・ホプキンス大学での資金削減や「学生の強制送還の脅威」を指摘した。


米国の「研究と学問の自由の世界的な中心地としてのかつての揺るぎない評判に亀裂が生じ始めている」として、「ドイツと欧州は今、『頭脳流出』を逆転させ、世界クラスの研究者を自国の機関に迎えるチャンスがある」と述べた。


トランプ政権は特に、ガザでのイスラエルとハマスの戦闘に抗議する大規模デモが行われた機関を標的にしており、数百人の学生が親パレスチナのデモに関与したためにビザを取り消された。【翻訳編集】 AFPBB News

 
 
 
 
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おまじない」「迷信」女性が非科学的な物事を信じるのは男性より直感を信頼しているためという研究結果 コロンビア大学

2025年05月28日 06時02分36秒 | 科学のはなし
おまじない」「迷信」女性が非科学的な物事を信じるのは男性より直感を信頼しているためという研究結果 コロンビア大学
 
研究はコロンビア大学のサラ・ウォード氏らによるもので、
 
論文はJournal of Research in Personalityの2020年6月号に掲載されました。
 

合計2545人の被験者を対象にして行われた4つの実験により、

1:女性は男性に比べ、非科学的なものを信じる傾向がある。
2:女性は男性と比べて直感を信頼している傾向があり、認知反射テストのスコアが低い。
3:直感の信頼性を高めると、男性も非科学的なものを信じるようになる。
ということがわかりました。

従来、女性が非科学的なものを信じることについては「思考の合理性が低い」「知性が低い」と理由がつけられることもあったとのことですが、ウォード氏は、推論能力や知能について性別による違いはデータには現れなかったとして、こうした意見を否定。「直感や自分の勘を信じる人は非科学的なものを信じる傾向にある」とまとめました。

一方で、物事を自分の思い通りにしているという「征服感・支配感」があると、人は非科学的なことを信じないこともわかっています。一般に、男性は女性よりも征服感が強い傾向にあるため、女性の方が非科学的なことを信じる傾向にあるという調査結果とも符合します。

しかし、ここでウォード氏は「スポーツとギャンブル」に関して疑問を呈しています。この2つは、非科学的な思考に満ちた領域であるにも関わらず、女性よりも男性が好むものだからです。問題のあるギャンブル的行動の根底には「自分は特別な存在であり、ランダムなことですら支配できる」という非科学的な考え方が存在しています。
 
このように、男性がギャンブル的行動の時だけ非科学的な考え方に走ることについて、ウォード氏は、勝利や金銭的・個人的な利益を得られる状況では、男性も非科学的なものを信じるのではないかと推測。他方、女性は男性に比べてリスク許容度が低いと考えられていて、このことがスポーツやギャンブルをあまり好まない理由なのではないかと考えているとのことです。
 
03032022
 
 
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19世紀のあたりまえ「ノアの洪水の証拠がある」「全生物は神の創造物だ」…じつは科学が示した真実に、賛成したのも反対したのもキリスト教徒だった

2025年05月21日 03時03分15秒 | 科学のはなし
 
 
19世紀のあたりまえ「ノアの洪水の証拠がある」「全生物は神の創造物だ」…じつは科学が示した真実に、賛成したのも反対したのもキリスト教徒だった(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース 
 
 
 
19世紀のあたりまえ「ノアの洪水の証拠がある」「全生物は神の創造物だ」…じつは科学が示した真実に、賛成したのも反対したのもキリスト教徒だった
3/7(木) 6:43配信




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現代ビジネス
科学者と聖職者の対立、じつは「正しくない」
illustration by gettyimages


 欧米でも日本でも、科学とキリスト教は対立してきた、というイメージが強い。そして、ダーウィンが生きていた19世紀のイギリスは、両者が対立していた典型な時代とされることも多い。ところで、そういうイメージは本当に正しいのだろうか。


【画像】まさか「こいつの子孫がクジラにつながる」とは…驚愕のクジラの始祖の姿


 たとえば、「大洪水の地質学的な証拠はノアの洪水を示している」とか、「すべての生物は神の創造物であって進化などしない」とかいった考えは、19世紀のイギリスではありふれたものだった。


 しかし、これらの主張を攻撃したのは科学者で、擁護したのがイングランド国教会の聖職者だった、というイメージは正しくない。実際には、これらの主張を攻撃したのも擁護したのも、イングランド国教会の聖職者だったのである。


ペイリーの『自然神学』
左・ウィリアム ペイリー(National Portrait Gallery)、右・『自然神学:自然界に観察される神の存在と特性についての証拠』のタイトルページ(1802年、アメリカ版、Philadelphia)

 

 ウィリアム・ペイリー(1743~1805)は、イギリスのノーサンプトンシャーで生まれた。父親が校長をしていたグラマースクールで学んだ後、ケンブリッジ大学のクライスツカレッジに入学し、1763年に優等卒業試験の最優秀合格者として卒業した。そして、1765年以降は、イングランド国教会のいくつかの聖職を歴任することになる。


 ペイリーにはいくつかの著作があるが、どれも明瞭でわかりやすいことで知られている。もっとも有名なのは1802年に出版された『自然神学:自然界に観察される神の存在と特性についての証拠』である。


 この本のタイトルになっている自然神学と言う言葉は、時代や場所によって少し意味が変わるのでややこしいが、19世紀のイギリスでは「理性や自然の事実に基づく神学」という定義でよいだろう。このペイリーの著作は、自然神学の標準的な教科書となり、ダーウィンをはじめ多くの著名人に大きな影響を与えたのである。


 この『自然神学』の冒頭には、有名な「時計の比喩」が書かれている。それはだいたい次のような内容である。


この世界は誰がデザインしたのか…造物主としての神
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野原に転がっている石について、どうしてそこに石があるのかと問われたなら、ずっと前から、ただそこにあったのだろうと答えるかもしれない。しかし、野原に時計が落ちているのを見つけたときには、そうは答えないだろう。なぜなら、時計の内部には、精密に作られた歯車やバネがあって、それらが複雑に組み合わされているからだ。時計は、あきらかに時を刻むという目的のためにデザインされている。つまり時計をデザインした者がいたということだ。
(『自然神学:自然界に観察される神の存在と特性についての証拠』William Paley著、筆者要訳)
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 そして、自然に目を向ければ、生物の眼や体の作りなど、特定の目的のためにデザインされたとしか考えられないものがたくさん存在している。しかも、自然界のデザインは測り知れないほど偉大で豊富である。こんなことを成し遂げたデザイナーは神しか考えられない、とペイリーは言うのである。


 もっとも、この「時計の比喩」はペイリーのオリジナルではない。共和制ローマの哲学者、マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前106~紀元前43)や、イギリスの博物学者、ジョン・レイ(1627~1705)や、気体の体積と圧力は反比例するというボイルの法則で有名な化学者、ロバート・ボイル(1627~1691)なども「時計の比喩」を使っている(ただし、キケロの場合の時計は日時計や水時計である)。それでも、「時計の比喩」といえばペイリーが有名なのは、文章がうまくて印象的だったからだろう。


 このような、生物に見られる合目的的なデザインの他に、アイザック・ニュートン(1642~1727)によって示された天体の秩序だった運動なども含めて、造物主としての神の存在を感じる人が、当時のイギリスには多かったのである。
 
 
ノアの洪水伝説と地質学
ウィリアム・バックランド。肖像画かT. フィリップスの肖像画をS. カスンズが銅版画にしたものとされる photo by gettyimages


 19世紀のイギリスでは、地質学が盛んであった。最初はドイツやフランスの地質学に遅れを取っていたものの、1840年ごろからは世界の地質学をリードするようになった。このようなイギリスの地質学の基礎を築いたのが、ウィリアム・バックランド(1784~1856)だった。


 バックランドはイギリスのデヴォンで生まれ、オックスフォード大学のコーパス・クリスティ・カレッジで学んだ。それから、バックランドは同大学で教鞭を取るようになったが、後にはロンドン地質学会の会長も務め、また、ダーウィンの番犬といわれたトマス・ヘンリー・ハクスリー(1825~1895)と論争したことで有名なサミュエル・ウィルバーフォース(1805~1873)の後任としてウエストミンスター寺院の首席司祭にも就任した。


 バックランドは地質学によって神の英知が証明されるという自然神学の立場から講義を行った。オックスフォードの宗教教育に、地質学が役に立つと考えたのである。


 バックランドが重視したのは大洪水であった。彼は地質学的な証拠から、過去に世界的な大洪水があったという仮説を立て、それをノアが箱舟を作ったときの大洪水と解釈した。


 ところが、一つ困ったことがあった。


天地創造の6日間を何百万年の何百万倍も延ばした
イクチオサウルスの化石 photo by gettyimages


 それは大洪水の堆積物の中に、人骨が見つからなかったのである。


 もしも悪い人々を滅ぼすために神が大洪水を起こしたのであれば、その堆積物からたくさんの人骨が見つかるはずだが、いくら探しても見つからなかったのだ。


 そこで、バックランドは仮説を修正せざるを得なかった。彼の発見した世界的な大洪水は、ノアの伝説における大洪水ではなかったと結論し、人間はこの大洪水の後に創造されたと結論したのである。


 一方、バックランドは、中生代に栄えた魚竜のイクチオサウルスや恐竜のメガロサウルスを研究したことでも知られる。つまり、現在では存在しない生物がさまざまな生物が、人類の誕生よりはるか昔に生きていたというわけだ。


 しかし、聖書の『創世記』では、世界は6日間で作られたという。


 これでは、あまりに短いので、バックランドはこの部分の解釈を変えて、長い時間を捻出している。たとえば、「始めに神が天地を創造された」という一つの文が示している時間はとても長く、何百万年の何百万倍もの時間を表している、などと解釈したのだ。


 この解釈はバックランドのオリジナルではないけれど、バックランドの著作によって広く知られるようになったのである。


 19世紀のイギリスの地質学者の多くは自然神学者でもあったので、地質学の知見に矛盾しないように聖書を解釈した。


 しかし、その一方で、聖書を文字通りに解釈する人々もおり、そういう人たちはバックランドの地質学を容認することはできなかった。
 
 
激しさを増す聖職者の対立と、『種の起源』出版
『種の起源』(初版本、1859年 、ケンブリッジ大学セントジョーンズ校)


 もっとも激しくバックランドを攻撃したのは、ヨーク大聖堂の首席司祭ウィリアム・コウバーン(1773~1858)であった。彼はバックランドを名指しで非難するパンフレットを何度も刊行している。


 こういう状況の中で、進化論を主張するダーウィンの『種の起源』が1859年に出版された。



 ダーウィンの『種の起源』には、最初の生物は神が創ったと書かれている。したがって、『種の起源』も自然神学書と考えてよいだろう。


 しかし、ペイリーの『自然神学』とは結論がまったく異なる。


 生物の多様なデザインは、ペイリーは神が創ったと解釈したが、ダーウィンは進化によって作られたと解釈したのだ。


『種の起源』はいかに受け入れられたのか
ハクスリーと進化論争を繰り広げたサミュエル・ウィルバーフォース photo by gettyimages


 この『種の起源』は、大きな反響を呼び起こした。さきほど言及したサミュエル・ウィルバーフォースのように、批判した人もたくさんいた一方で、支持する人も結構いたのである。


 オックスフォード大学の教授で物理学者であったベイデン・パウエル(1796~1860)はデザイン論を否定して、自然の普遍的秩序に基づく自然神学を主張した。そして、イングランド国教会の牙城であるオックスフォード大学の中で、『種の起源』を支持したのである。


 また、イングランド国教会の司祭であり、後にケンブリッジ大学の教授となったチャールズ・キングズリーも『種の起源』を高く評価したことで知られている。


 つまり、『種の起源』を攻撃した人も擁護した人も、その大部分はイングランド国教会の聖職者だったのである。


更科 功(分子古生物学者)


 
 
 
 
 
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東アジアではかなり異質だった礼文島の縄文人、古代DNAで一目瞭然の結果が明らかに

2025年05月14日 11時03分56秒 | 科学のはなし

 

東アジアではかなり異質だった礼文島の縄文人、古代DNAで一目瞭然の結果が明らかに(ナショナル ジオグラフィック日本版) - Yahoo!ニュース

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/d5786378396d4c0e87a976ebbf76188dd587413e

古代日本列島人のDNA研究のトップランナーで、国立科学博物館の特別展「古代DNA」の監修者である神澤秀明さんに、作家で科学ジャーナリストの川端裕人さんが取材した連載の第3回


国立科学博物館の特別展「古代DNA―日本人のきた道―」の船泊23号の展示コーナー。40代の女性で、礼文島の縄文人だ。(写真:ナショナル ジオグラフィック 日本版編集部)

 国立科学博物館の生命史研究部研究主幹、神澤秀明さんは、日本における古代人類のゲノム研究の第一人者だ。古い骨のDNAを読む研究は、まず細胞内に数が多く読みやすいミトコンドリアDNAで1990年代から試みられるようになり、さらに2010年前後には、いわゆる「次世代シークエンサー」による技術革新で、核DNAも対象となった。神澤さんは、いわば「核DNA世代」として、キャリアの初期からこの分野に携わっている。

【関連画像】異質な礼文島の縄文人、一目瞭然の結果

 大学院時代の研究が、そのまま、核DNAを読みゲノムを決定する研究室設備の立ち上げから始まったという点でも、草創期を知る人物だ。

「大学院でDNAのことをやり始めるまでは、新潟大学の理学部生物学科で、アルテミア(水田などでもよく見られるホウネンエビ)というエビの1種の研究をしていたんです。環境が悪いと、長期間乾燥に耐える休眠卵(シスト)を産むんですが、それを水に入れるとまたちゃんと発生が進みます。その原因を知るためにたんぱく質の構造とかを調べていました。修士課程では別の研究をやりたいと思い、いろいろ調べているうちに、現代人のDNA研究についての本を読みました。興味を持って、著者だった国立遺伝学研究所の斎藤成也先生のところに行ったのがきっかけです」

 斎藤成也さんは、多くの一般書の著者としても知られるが、神澤さんが読んだのは『DNAから見た日本人』(ちくま新書)だったという。これは現代人のDNAについて語ったもので、神澤さんのテーマとなる古代人のDNAの話ではなかった。

「古代DNAの研究の提案をされたのは斎藤先生です。遺伝研でもラボを立ち上げたいと言われ、2009年に斎藤先生の研究室に入って、1年かけて設備を整えました。その間、まずインダス文明の遺跡から出てくる牛の骨を分析してうまくいかなかったり、試行錯誤しました。実は、その時点では、まだ次世代シークエンサーが使えなかったんです。だから、最初は核DNAではなく、ミトコンドリアDNAを見ていました。スバンテ・ペーボさんらによるネアンデルタール人のゲノム論文が出たのは、斎藤研に入った翌年で、そんなに古い人類のゲノムが決定できるのかと驚きました。研究室に入ったときには、こんなことになるなんて思っていなかったというのが正直な感想です」

 いわゆる次世代シークエンサーが登場したのは2006年頃で、それを利用した古代DNA研究が実を結び始めたのがその数年後だ。のちにノーベル生理学・医学賞を受賞することになるスバンテ・ペーボさんたちが、ネアンデルタール人のゲノムを決定したと「サイエンス」誌に発表したのが2010年である。ちょうど神澤さんが、自ら研究設備を整えて、研究に乗り出そうとしていた時期に重なる。

 それでは、遺跡から出てきた古い人骨のDNAを抽出して配列を読み、ゲノムを決定するには、具体的にどのような手順を踏むのだろうか。

 神澤さんは、つくば市の国立科学博物館・自然史標本棟に収められている標本を見ながら、手順を説明してくれた。

「古い人骨の一部を削って薬品処理し、核DNAやミトコンドリアDNAを抽出します。骨のどこから試料をとるのかというところから、様々な検討が必要です」

 DNAを抽出するためには、少しだけとはいえ、標本を破壊しなければならない。だから、形態の研究に与える影響が少なく、なおかつ、DNAが充分に抽出できる部位が望ましい。当初は、臼歯や大腿骨の骨幹部をよく使ったそうだ。2014年には、頭蓋骨の内耳がDNAの抽出に向いているという論文が出て、その後は、内耳を使うことも増えた。

「古い人骨から、一部を削って、DNAを抽出する作業は、クリーンルームで行う必要があるんです。コンタミ(コンタミネーション=汚染)を防ぐためです。科博にもクリーンルームがあって、そこを使っています」

 

 ということで、同じ棟の一つ下の階にあるクリーンルームに案内してもらった。前室までは入れてもらい、頭から足の先までを覆うクリーンウェアの着用の仕方も実演してもらえた。露出部分を極力少なくするため、ヘアネット、マスク、ゴーグル、手袋は必須だ。特に手袋は、様々な場所を触れるたびに頻繁に替える必要があるので、替える時に地肌が剥き出しにならないよう、最低でも二重にするそうだ。

 そしてクリーンルームに入ると、コンタミに極力気をつけながら、削り取った試料からDNA抽出キットを使って抽出する。そこに含まれているDNAは微量なので、いわゆる「PCR装置」を使ってDNAを増幅する必要がある。分析にたる充分なDNAを得たら、いよいよ次世代シークエンサーで、塩基配列を読むことになる。

 次世代シークエンサーの装置は、デスクの上に置ける程度の筐体におさめられており、試料をセットすれば、あとは自動で塩基配列を読んでくれる。

 ただ、その配列データを、そのままゲノムデータとするわけにはいかない。というのも、読まれたものは、ヒトだけにかぎらずバクテリアなどのものも含まれ、また、ヒトのものでも古いものほど断片化しているからだ。骨の持ち主のDNA断片を正しくよりわけ、パズルのようにつなげ合わせる作業をしないと、意味のあるものにはならない。

次世代シークエンサーが読んだ塩基配列のデータ。(写真=内海裕之)

 神澤さんは、次世代シークエンサーで得たデータを、ノートパソコンの画面で見せてくれた。DNAを構成する4種類の塩基、アデニン (A) 、グアニン (G) 、チミン (T) 、シトシン (C) が、どんなふうにつながっていたか、画面いっぱいにひたすら表示したものだった。

「こちらが、配列情報なんですけど、たとえば、ここに73塩基という非常に短い配列が示されています。私たちが扱うDNAの断片は、本当に短いものだと、30塩基、40塩基ぐらいの長さしかないんです。100塩基を超えるものはあるにはあるんですけれども、全体からいうとそんなに多くはないです」

 ヒトのゲノムは、32億塩基(対)ほどある。しかし、古代DNAの場合、それが、せいぜい数百塩基(対)、場合によっては数十塩基(対)にまでバラバラになってしまっているというのである。それらが、全体の中でどのあたりのものなのかを知るためには、まるでジグソーパズルに挑むような作業が必要になる。それを人力で行うことは無理なので、コンピュータを使う。ここから先は、生命情報工学(バイオインフォマティクス)的な様々な手法を駆使して、ゲノムに迫ることになる。

 古代DNAの研究は、ぎりぎり残っているDNAを読み取って行う、まさに限界に挑むような作業が必要になる。得られる情報の不完全さにまつわる苦労は絶えない。しかし、それらをうまく制御すると、過去への窓が開かれる。21世紀にいながらにして、縄文時代のヒトのゲノムを垣間見ることができるのだ。

「2、3カ月かけて行ってきた実験の結果として、分析結果が出てきたら、食い入るようにチェックしたり、どう解釈したらいいのかいろいろ考えます。仮説を裏付ける結果が出ても、相反する結果が出ても、どちらも楽しいです。必ず試みる分析の中に、主成分分析というものがあるんですが、それを見るときは、特にわくわくしますね」

 主成分分析は、この連載の中で、日本列島人がどのような由来を持つのか理解するために鍵となるものなので、ここで説明してもらおう。前回、古代DNA研究からわかることを列挙した中で、あえて、これだけは語らずに今回に回した。

「古い人の骨からゲノムが決定できれば、それを様々な地域の現代人や、様々な時代の人と比較できますよね。具体的には、例えば、一塩基多型があるとわかっている場所を数万カ所調べると、数万“次元”のデータが得られるわけです。しかし、私たちには、直接的にそれを理解することはむずかしいので、多次元空間が持つ情報をできるだけ損なわずに低次元にまとめる方法を使います。それが、主成分分析です」

 


ナショナル ジオグラフィック日本版
船泊23号と他の様々な地域の現代人のゲノムを比べた「主成分分析」。Anthropological Science Vol. 127(2), 83–108, 2019の図を一部改変。(画像提供:神澤秀明)

 神澤さんは、たくさんの点がプロットされた図を見せてくれた。これが、主成分分析の結果を表示したものだ。多次元のデータを、二次元にまとめて理解しやすいようにしてあるという。

 具体的には、それぞれの点が、一個人を表し、点と点の距離が、遺伝的な距離を表している。縦軸と横軸は、違いがわかりやすくなるように解析ソフトが選んだものなので、それぞれが何を意味するかというよりは、各点の間の距離や位置関係が、重要な情報ということになる。

 

この図は、船泊23号のゲノムと、他の様々な地域の現代人を比べたものです。船泊23号のゲノムは、大陸の東アジア、本土日本、沖縄本島の現代人から見て、かなり離れたところにあります。でも、その中では、現代のアイヌ集団にまず近くて、沖縄、本土日本の集団というふうに続きます。この結果は、従来の縄文人と本土日本、沖縄、大陸の東アジア人との関係をめぐる説と整合するものだったんです」

 この図を見るだけで、船泊23号が、現代の東アジア人から見るとかなり異質な存在だったことが直感的に理解できる。図にプロットされている大陸アジアの人たちはかなり隔たっており、日本列島の現代人のうち本土や琉球列島の集団はそれよりも近い。そして、地理的に予想される通りアイヌ集団は一番近いものの、少し「ズレ」がある。こういった「距離感」や、ズレ方の違いが一目で見てわかるのが主成分分析の利点だ(一方で、横軸や縦軸が何を意味するかは自明ではない)。

 そして、今や、古代の人骨から得られたゲノムは、船泊23号のものだけではない。神澤さんがキャリアの初期から縄文人のDNAを読んできたけれど、さらに弥生時代や古墳時代についても研究の対象を広げ、その一方で、縄文時代よりも古い旧石器時代の人たちのゲノムを読むことにも挑戦している。それは、ここ数万年、日本列島に住まってきた人たちの歴史の一側面を解き明かす、壮大な研究だ。

 次回からは、縄文時代や弥生時代といった各時代ごとに、ゲノムの知見を織り込んで見るとどんなことが言えるのか、現時点までの「到達点」を教えてもらおう。今回ざっくりと紹介した研究手法を使った、現在進行中の研究であり、すなわち「日本人のきた道(科博の特別展「古代DNA」の副題)」というテーマに肉薄することになる。

 

 

 

 

 

 

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「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した”新理論”に戦慄

2025年05月12日 23時03分01秒 | 科学のはなし

 

 

「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した”新理論”に戦慄(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/da59f489ea9389bbf616fd6fa2229cc76b7c8085

 

「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した”新理論”に戦慄
3/27(木) 7:01配信


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現代ビジネス
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「いつの日かAIは自我を持ち、人類を排除するのではないか―」2024年のノーベル物理学賞を受賞した天才・ヒントンの警告を、物理学者・田口善弘は真っ向から否定する。

【写真】知能とはなにか…意外と知らない人工知能と機械学習の「致命的な違い」

理由は単純だ。人工知能(AI)と人間の知能は本質的に異なるからである。しかし、そもそも「知能」とは何なのだろうか。その謎を解くには、「知能」という概念を再定義し、人間とAIの知能の「違い」を探求しなくてはならない。生成AIをめぐる混沌とした現状を物理学者が鮮やかに読み解く田口氏の著書『知能とはなにか』より、一部抜粋・再編集してお届けする。

『あなたならどう解く?「100個の都市を通過する最短経路を求めよ」…「アリ」をヒントにコンピュータ科学が導き出した「衝撃の答え」』より続く。

本質はハードウェアではなくソフトウェア

 

心が身体と独立に存在するいわゆる心身二元論は、知能のソフトウェアが脳というハードウェアから分離可能であるという考え方の嚆矢であると言えよう。心身二元論を最初に唱えたのは「我思う、ゆえに我在り」と述べたことで有名なフランスの哲学者、ルネ・デカルトだった。

 

デカルトは、ヒトの体は機械であると考えた。体内の機械の部分から神経を通って空気が脳に運ばれ、松果体(=脳の中にある小さな内分泌器)で脳と体が結ばれて心が作られると考えた。この考えが、心と体を別のものとする「心身二元論」の起源になった。

心身二元論、すなわち心というものが体とは別にあって、体に宿ることで知能が発揮されるという考え方がベースにあったとしても、そこからいきなり知能がソフトウェアベースで書けるという古典的記号処理パラダイムにまで一気に進んでしまったのはなぜだろうか?それはおそらくチューリング―ノイマン系列のコンピュータの「本質はハードウェアではなくソフトウェアだ」というアプローチが非常にうまくいってしまったからだろう。

ハードとソフトが分離可能な理由

 

チューリングは実体としての計算機が存在しない時代にチューリングマシーンという仮想的なコンピュータを考えた。このコンピュータは長いテープとテープの上に書かれた記号を読みとって動作し、テープを送ったり戻したりするヘッドからなる仮想的なシステムだったが、すべての計算をこなすことができることが判明した。

チューリングは別にコンピュータというハードを実装するためにチューリングマシーンを考えたわけではないようだが、これが現在のコンピュータの原型となり、後にノイマンが現実のコンピュータのアーキテクチャを構想した。

ノイマンが考えたのは「プログラム内蔵方式」のデジタルコンピュータである。CPUとアドレス付けされた記憶装置とそれらをつなぐバスを要素に構成されている。命令(プログラム)とデータを区別せず記憶装置に記憶するもので、まさにヘッドとテープからなるチューリングマシーンを現実のハードウェアで実現するアーキテクチャになっていた。

現在に至るまでコンピュータは全部この「チューリング―ノイマン系列」だと言っても過言ではない。

まずソフトがあって、それからそれを実現するハードが作られたのだから、ハードとソフトが分離可能なのは当然だったわけだ。

『パソコンと他の機械との「決定的な差」…「じつはあなたも知らずに使っている」“二人の天才”の「革新的技術」』へ続く。

 

パソコンと他の機械との「決定的な差」…「じつはあなたも知らずに使っている」“二人の天才”の「革新的技術」(田口 善弘) | 現代新書 | 講談社

 

パソコンと他の機械との「決定的な差」…「じつはあなたも知らずに使っている」“二人の天才”の「革新的技術」

田口 善弘

中央大学理工学部教授


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「いつの日かAIは自我を持ち、人類を排除するのではないか―」2024年のノーベル物理学賞を受賞した天才・ヒントンの警告を、物理学者・田口善弘は真っ向から否定する。

理由は単純だ。人工知能(AI)と人間の知能は本質的に異なるからである。しかし、そもそも「知能」とは何なのだろうか。その謎を解くには、「知能」という概念を再定義し、人間とAIの知能の「違い」を探求しなくてはならない。生成AIをめぐる混沌とした現状を物理学者が鮮やかに読み解く田口氏の著書『知能とはなにか』より、一部抜粋・再編集してお届けする。

 

 


『「もはやヒトに身体は必要ない?」…コンピューター科学の「行きすぎた成功」が生み出した“新理論”に戦慄』より続く。

設計と製造が分離している機械
しかし、冷静に考えてみると、設計と製造が分離している機械というのは実はまれである。例えば、自動車の設計図を作ることと実際に動作する車を製造することには大きな隔たりがある。

設計図というのは往々にして最低限これだけは満たさなくてはならないという仕様書のようなものに過ぎない。いわば実際に動作する機械を作るための試行錯誤の幅を限定してくれる手引きのようなものだ。設計図に沿ってなにかを作って動かそうとしても温度や湿度の関係でうまく動かなかったり、摩擦が大き過ぎて止まってしまったりすることもある。

 

 

Photo by gettyimages
ところがチューリング―ノイマン系列のコンピュータにはこのような問題がない。プロセスは1個1個順番に進められるので、前のプロセスが終わってからしか次のプロセスは開始されず、お互いに直接関係があるのは前後のプロセスだけである。したがって、ハードウェアが保証しなくてはいけないのは現在のプロセスがあったとき、次のプロセスが実行されることだけであり、局所的な制限だけである。

 

コンピュータは例外的な機械装置
これに対して自動車の場合は、複雑な部品がリアルタイムで相互作用しているため、すべての組み合わせで問題がないことを確認するのは極めて困難である。

このように通常の機械装置とコンピュータというハードウェアは、ハードとソフトの分離可能性という観点で大きく異なっており、むしろコンピュータのほうが例外的な機械装置であると言える。

 


コンピュータは別に「チューリング―ノイマン系列」のものである必要はない。例えばアナログコンピュータといって、微分方程式を解くことしかできないが、その微分方程式と等価な電気回路を構成し、電圧を測定することで解を得る、という形の装置は実在した。また前述のエニグマも、暗号を組み替える場合には、歯車を物理的に組み直す必要があり、その意味ではハードとソフトの分離は完全ではなかった。

歴史に「もしもはない」にせよ、もし、「チューリング―ノイマン系列」のハードとソフトがほぼ分離可能なアーキテクチャではなく、アナログコンピュータやエニグマみたいなハードとソフトの分離が不完全なコンピュータしかなかったのなら、古典的記号処理パラダイムのような誤謬(と言ってしまっていいのかどうかわからないが)が生まれることもなかったのではないかと思えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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