goo blog サービス終了のお知らせ 

ニュースなはなし

気になるニュースをとりあげます

神田沙也加が35歳で死去

2021年12月19日 13時47分03秒 | 訃報のこと

神田沙也加が昨日12月18日に亡くなったことを、所属事務所の株式会社ローブが発表した。35歳だった。 


一部報道によると、神田はミュージカル「マイ・フェア・レディ」出演のため訪れていた札幌市内のホテル敷地内で倒れているのを発見され、病院に搬送されたものの死亡が確認されたとのこと。所属事務所は公式サイトにてファンや関係者に対し「このようなご報告を差し上げることは大変残念でなりません。

私共もまだ信じ難く、受け止めることができない状況でございます」とコメントしている。 


神田は2002年に「SAYAKA」名義で歌手デビュー。2006年より現在の名義での活動を開始し、歌手以外にもミュージカル女優や声優としても活躍してきた。2014年には映画「アナと雪の女王」日本語吹替え版でアナ役を好演し、2018年には第43回菊田一夫演劇賞を受賞。2020年には黒崎真音とのユニット・ALICesを結成している。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

声優の八奈見乗児さん死去 『ゲゲゲの鬼太郎』一反木綿や『巨人の星』伴宙太など

2021年12月14日 20時25分49秒 | 訃報のこと
12/14(火) 20:13配信
オリコン
 
 声優でナレーターの八奈見乗児さんが3日午後10時59分死去した。90歳。14日に所属事務所・青二プロダクションが公式サイトを通じて訃報を伝えた。

 サイトでは「弊社所属俳優 八奈見乗児 儀(享年91)令和3年12月3日 午後10時59分 に90歳を以て永眠いたしました」と報告。「尚 葬儀告別式につきましては親族のみにて滞りなく相済ませました。ここに生前の御厚誼に深謝するとともに謹んでご通知申し上げます」と記した。

 八奈見さんは、東京都出身。主な出演作品は、『ゲゲゲの鬼太郎』(一反木綿)、『巨人の星』(伴宙太)、『ヤッターマン』(ボヤッキー)、『DRAGON BALL』(ナレーション)を務めたほか、海外ドラマの吹き替えなど幅広く活動。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『カムイ伝』白土三平さん死去

2021年10月26日 14時45分23秒 | 訃報のこと
『カムイ伝』白土三平さん、89歳で死去 第二部作画の弟・岡本鉄二さんも4日後に亡くなる


『月刊漫画ガロ』の立ち上げに携わり、長編劇画『カムイ伝』などの作品で知られる漫画家・白土三平(しらと・さんぺい/本名・岡本登)さんが、誤嚥(えん)性肺炎のため10月8日に亡くなったことが26日、『ビッグコミック』編集部より発表された。89歳。


また、『カムイ伝 第二部』の作画を手掛けた弟の岡本鉄二さんも4日後の12日、間質性肺炎のため亡くなったことが明かされた。

 【作品カット】力強い筆致で描かれた『カムイ外伝第二部』 



 白土さんは1932年2月15日、東京都生まれ。父は洋画家の岡本唐貴。紙芝居制作から画業をはじめ、1957年『こがらし剣士』で漫画家デビュー。貸本漫画の世界で1959年から大作『忍者武芸帳-影丸伝-』を発表。1964年より雑誌『月刊漫画ガロ』にて『カムイ伝』の連載を開始した。

  また白土さんと長井勝一さんが立ち上げた『月刊漫画ガロ』誌は後進の育成にも大きな役割を果たす。少年漫画の世界でも『サスケ』『カムイ外伝』『ワタリ』など、特に忍者もので数々のヒット作をのこした。1975年「ビッグコミック」にて『神話伝説シリーズ』連載を開始し、1982年より『カムイ外伝』、1988年より『カムイ伝第二部』を同誌で発表。1963年『シートン動物記』『サスケ』にて第4回講談社児童まんが賞受賞。 

 岡本さんは1933年9月2日、東京都生まれ。白土さんの実弟。父・岡本唐貴について洋画家として修練を積むが、1960年頃より白土を手伝うようになり、『カムイ伝』シリーズなど多くの作品で作画を手がけた。 

 『カムイ伝』は江戸時代の階級差別によって苦しむ数多の人々を壮大なスケールで描いた作品。1964年の連載開始から『カムイ伝第一部』『カムイ外伝』『カムイ伝第二部』などを経て50年以上が経過した現在も未完となっている


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢正三ショック…フォークデュオ「風」の相棒・大久保一久さん死去、71歳

2021年09月16日 08時45分56秒 | 訃報のこと

「22才の別れ」などのヒット曲で知られる伝説のフォークデュオ、風のメンバーでミュージシャン、大久保一久(おおくぼ・かずひさ)さんが13日に東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。71歳だった。



1979年の風の活動休止後はソロで歌っていたが、2008年に脳血管障害を発症。その後、脳梗塞を患い、闘病生活を続けていた。


関係者によると、相棒の伊勢正三(69)もショックを受けているという。

 

■デビュー曲「22才の別れ」大ヒット 日本のフォークソングブームを支えたレジェンドが、人生のステージから降りていた。 関係者によると、13日に都内の病院で息を引き取り、この日に親しい関係者に訃報の連絡が入った。死因は明らかにされていないが、近年は脳梗塞を患い、入退院を繰り返す生活を送っていたという。

葬儀はコロナ禍を鑑み、16日に都内の斎場で近親者のみが参加して行う。

 広島・呉市出身。フォークグループ、猫を経て、75年、かぐや姫のメンバーだった伊勢と風を結成。伊勢が作詞作曲したかぐや姫の名曲「22才の別れ」をデビュー曲として発売し、大ヒット。その後も、「あの唄はもう唄わないのですか」「ささやかなこの人生」など名曲を世に放った。

 79年に活動休止し、ソロ活動を展開。83年に再び活動休止後は薬剤師として勤務していたが、90年に行われた南こうせつ(72)のライブイベントで伊勢と共演。07年5月には伊勢のソロ公演に飛び入りで参加し、28年ぶりに風を復活させて往年のファンを喜ばせた

 ■08年に脳血管障害で緊急手術受け 翌08年4月には伊勢のツアーにゲストとして帯同する予定だったが、同1日のリハーサル中に倒れ、病院へ搬送。脳血管障害と診断され、緊急手術を受けた。手術は無事成功し、同7月に退院。その後は広島の実家で療養を続けていた。

 大久保さんの訃報は、ともにメロディーを紡いできた相棒にも届いており、2人を知る関係者は「伊勢さんは大変ショックを受けています」と話している。 伊勢は17年11月に風時代のライブ映像と音源を初めてCD&DVD化した際、夕刊フジの取材に「これは何より大久保君が一番喜んでくれるという確信がありました」と説明。療養中の大久保さんに発売することを電話で連絡したといい、「すごく喜んでくれました。まだまだ体調は優れない感じだけど、早く元気になってほしい」とエールを送っていた。 風のように静かに去ったパートナーに悲しみは尽きない。 

大久保 一久(おおくぼ・かずひさ)  1950(昭和25)年7月22日生まれ、広島・呉市出身。昭和大薬学部卒。学生時代からシンガー・ソングライター、吉田拓郎(75)らによって結成されたアマチュアフォークサークル、広島フォーク村などで活動。73年、猫に加入し、脱退後の75年に風を結成。ソロ活動では「暁に帰る」「君よ」などを発売。2001年に活動を再開し、木下敬とユニット、Mを結成した。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウルトラマン」イデ隊員役の二瓶正也さん誤嚥性肺炎で死去、80歳

2021年08月25日 10時15分56秒 | 訃報のこと


1966年(昭41)にTBS系で放送された、人気特撮ドラマ「ウルトラマン」のイデ隊員で知られる、俳優の二瓶正也(にへい・まさなり)さん(本名二瓶正典=にへい・まさのり)が21日午前0時に誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなっていたことが24日、分かった。80歳だった。関係者によると、既に家族葬を執り行ったという。 

【写真】スパイダーショットを撃つイデ隊員 

二瓶さんは、専大附属高から東宝芸能学校に進み、1960年(昭35)に第15期東宝ニューフェイスとして入社。61年の映画「暗黒街の弾痕」など、岡本喜八監督作品の常連となった。63年には、加山雄三主演の若大将シリーズの「ハワイの若大将」で、運動部のマネジャー江口役を演じた。また加山ら6人で62年に組んだグループサウンズのバンド「ザ・ランチャーズ」の第1期メンバーでもあった。 同年の「妖星ゴラス」で特撮映画に初出演し、66年にTBS系特撮ドラマ「ウルトラQ」に出演したのを足掛かりに、



年の「ウルトラマン」で、科学特捜隊の開発担当として、武器や装備を開発した発明マニアのイデ・ミツヒロ隊員役でレギュラー出演を果たした。 近年も、96年の映画「ウルトラマンゼアス」など、円谷プロダクション作品に出演し、イベントなどにも登壇していた。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする