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石原慎太郎さんが遺言状に記した後始末「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」

2022年02月03日 15時01分51秒 | 訃報のこと
022/02/02(水) 14:22:04.

石原慎太郎さんが遺言状に記した後始末「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」

東京都知事を13年半務め、タカ派政治家の代表格として知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日午前、東京・田園調布(大田区)の自宅で死去した。89歳だった。膵臓がんを昨年10月に再発していた。神戸市出身。葬儀・告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を開く。

「死後にあるものはやはり虚無でしかあるまい」。2度の脳梗塞や膵臓がんを患い、闘病生活を送っていた石原さんは晩年、死生観に関する発言が多かった。

2013年に軽い脳梗塞を発症した石原さんは翌年、神奈川・逗子の邸宅を売却。書斎や倉庫にあった約3200冊の本を整理し、地元の逗子市立図書館に寄贈。その“終活”ぶりが話題になった。

芥川賞を受賞した「太陽の季節」の初版や弟・裕次郎さんとのヨット上での写真、そして大江健三郎氏や遠藤周作さん、開高健さんら同年代の作家から贈られた本など、マニア垂ぜんのコレクションで、「石原慎太郎文庫」として展示されている。

また14年に出版した「私の海」(幻冬舎)には“遺言”も記していた。

「ことさらに来世なるものを信じている訳でもないが、次に何に生れ変ってこの世に現われたいかといえば、いつか相模湾の外れの三つ石崎の沖合いの潮目で出会ったような巨きな離れ鯨になりたい気がしている」と鯨になって、自由気ままに世界中の大海原を泳ぐ姿を想像すると「心が弾む」と記していた。

そして、「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したという。

 東京スポーツ2022年02月02日 11時41分 



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トップダウン、都政一変させた石原さん, 都営「環状線」から 「大江戸線」>誕生秘話

2022年02月02日 08時03分10秒 | 訃報のこと

東京から国を変える」と、石原慎太郎さんが都知事に就任した1999年の春、都庁詰の記者たちは面食らった。それまで都官僚の内部組織を通じて練り上げられてきた政策決定のプロセスが一変し、石原さんと、彼が連れてきた数人の特別秘書らが多くを差配し始めたからだ。


【写真特集】芥川賞受賞、映画監督…石原慎太郎さんの歩み

 局長クラスの幹部に裏付けを取り、都が新たな環境政策を準備しているという記事を書いた。すると石原さんの懐刀だった特別秘書の浜渦武生(はまうず・たけお)氏(後に副知事)から「私はこれを認めていない。わび状を書け」と迫られた。突然のトップダウン方式は、日本の「官邸主導」、あるいは米国のトランプ政権を見た今なら、それほど驚かないかもしれない。しかしこのときは、昨日までの常識とルールが全く通用しなくなったことを痛感させられた。

 それならばと、キャップから指示されたのが、トップへのじか当たりである。毎晩、都内の石原邸へ先回りして帰宅を待つ。何度も追い返されたが、石原さんは少しずつヒントをくれるようになった。

 その年の11月のことだ。「だから役人に任せると、ろくなことにならない」となにやら怒っている。建設中だった都営地下鉄12号線の正式名称を決める選考委員会が、一般から募集した案を基に「東京環状線」と決めたことが気に入らないという。12号線はJR山手線のような完全な環状ではなく「6」の字形。「なんでこれが『環状線』なんだ」と語気を強めつつ、石原さんは自分の意中の名前をこっそり教えてくれた。それが今の「大江戸線」である。選考委にはプロ野球セ・リーグの会長や著名な漫画家らが名を連ねていた。一夜で結論をひっくり返され右往左往の職員たちには同情を禁じ得なかった。

 「なにか大きなことをやろうぜ」。機嫌のいいときは応接間に招き入れてくれ、ウイスキーをなめながら、そう言うのが常だった。戦後の日本と日本人への痛烈な批判もこの人ならではで、「骨の髄までアメリカに飼い慣らされ、自立していない」と嘆くこともしばしばだった。いわゆる進歩的文化人や護憲論者、観念的平和論などに対しては特に容赦なかった。

 世間をあっと言わせた銀行税導入、ディーゼル車規制、横田基地の軍民共用化、そして沖縄県・尖閣諸島の買収などの施策も、見方を変えれば、力の強い者や自分たちの立場を脅かすものへの敵がい心の表れであったともいえる。

 これらの政策は必ずしも華々しく実を結んだとは言えないが、石原さんにとっては「国に先んじた」という点が大事だった。知事就任時から、ゆくゆくは「石原新党」を結成し国政に打って出るのではないかといわれ、本人もその気たっぷりだったと思う。しかし2001年4月に小泉純一郎氏が首相になり、政権が急浮上すると、機運はしぼんでいった。

 作家としても時代の申し子だった。56年に芥川賞を受賞した「太陽の季節」は、高度経済成長の扉を開けた。弟の石原裕次郎さんや慕っていた三島由紀夫氏の思い出話をしながら「ライジングサンの時代だったなあ」とよく懐かしんだ。豊かさへの憧れと夏の海のような明るさ。右肩上がりの時代に石原兄弟を重ねた人も多かったはずだ。

 時代はうつり、バブル経済とその崩壊を経験し、やがて日本は自信を喪失した。首都のマッチョなリーダーとして現れた石原さんは、最後まで「日本人よ、このままでいいのか」と挑発し続けた。都知事を退いた後、再び国政に身を転じたのは、自分より早く老いていきそうなこの国の姿に我慢ならなかったからだろう。

 誇りある威勢のいい日本人をむねとし、その自意識が「三国人」発言や女性蔑視発言などを生み、強い批判も浴びた。今や世界の一方の潮流となりつつある権威主義やポピュリズム(大衆迎合主義)の影を石原さんに見ることもできるだろう。それを熱狂的に受け入れた時代と社会の素顔もまた、私たちは記憶せねばならない。【清水忠彦】


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【速報】石原慎太郎元都知事が死去 近年は脳梗塞や膵臓がん患う

2022年02月01日 16時04分48秒 | 訃報のこと
2/1/2022

【速報】石原慎太郎元都知事が死去 近年は脳梗塞や膵臓がん患う


作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが亡くなりました。89歳でした。


 石原さんは1932年神戸市生まれ。一橋大学在学中に、夏の海辺を舞台に享楽的な生活を送る若者たちの姿を描いた小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞しました。小説が映画化された際には、弟の石原裕次郎さんを俳優としてデビューさせ、大スター誕生のきっかけを作りました。

 【画像】亡くなった石原慎太郎さん(写真13枚)

 その後も作家として数々の小説を執筆し、三島由紀夫とも深い親交があったほか、裕次郎さんを題材にした「弟」は、ミリオンセラーになりました。

 政治家としては、1968年に参議院議員に初当選。1972年には衆議院議員に転じました。福田赳夫内閣で環境庁長官を務め、竹下内閣では運輸大臣を務め、1995年に議員を辞職しました。 その後の1999年には東京都知事選に出馬。

166万票を集めて当選し、記者会見での「都庁で会おうぜ」という発言が話題を呼びました。4期13年あまりの都知事在任中は、東京都の財政健全化や排ガス規制などの環境対策に力を入れたほか東京マラソンを国際的なイベントに育てました。 

一方で、自主憲法制定や核武装の持論、中国への批判的な発言などが波紋を呼び、尖閣諸島をめぐっては、都知事在任中に東京都による購入計画を発表。その後の国有化を促す結果になりました。 

石原さんは2012年、都知事を辞職して再び国政に返り咲きましたが、2年ほどで引退し、その後作家として活動を続けていました。 長男の伸晃氏は前衆議院議員、三男の宏高氏は現衆議院議員で、次男の良純氏は、俳優・タレントとして活躍しています。石原さんは近年は脳梗塞や膵臓がんを患うなど体調を崩していましたが、今日までに亡くなっていたことがわかりました。


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【文春】神田沙也加さん、死の直前に交際相手の前山剛久から「死ね」と連呼され「死ねばみんな喜ぶ」などと罵倒されていた

2022年01月08日 20時03分39秒 | 訃報のこと
【文春】神田沙也加さん、死の直前に交際相手の前山剛久から「死ね」と連呼され「死ねばみんな喜ぶ」などと罵倒されていた★


1/5/2022





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冒頭の音声データは、ちょうどその頃のものだ。沙也加に内緒で借りた別のマンション。前山は、そこを1週間で引き払うと主張した。その言葉が信用できないと訴える沙也加に、前山はこう怒鳴り声を上げた。

前山「引き払うって! なんで俺のこと信じないの、そうやって! おい!」

 二人のやり取りは、次のように続く。
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沙也加「怒鳴らないで」
前山「死ねよ、もう。めんどくせぇな」
沙也加「『死ね』って言わないで」
前山「死ねよ」
沙也加「『死ね』って言わないで」
前山「(遮るように)死ねよ」
沙也加「(やや涙声で)何で言うの?」
前山「死ねよ、マジで」

「死ね」という言葉を4回繰り返す前山。沙也加はハッキリと涙声になって、こう問いかけた。

沙也加「死んだらどうなの?」
前山「ん? 別に」
沙也加「何とも思わないの?」
前山「うん」
沙也加「せいせいする?」
前山「うん。お前しつこいんだもん、だって」
すすり泣きながら、沙也加はこう言葉を継いだ。
沙也加「『死ね』って言わないで。叩きなよ、じゃあ。『殺すぞ』とかさあ、『死ね』とか言うんだったら。言うこと聞かせればいいじゃん、それで」
前山「そんなことしないよ。殴ったらだって俺、悪くなるじゃん」
沙也加「そんなこと言ったって、『死ね』って言ったって、『殺すぞ』って言ったって、おんなじだよ」
前山「いいじゃん、もう死ねば。みんな喜ぶんじゃない?」
沙也加「私が死んだら?」
前山「うん」
沙也加「なんでそんなこと言えるの? みんなに嫌われてるってこと?」
前山「うん」
しばらく沈黙が続き、沙也加は声を絞り出す。
沙也加「ねえ? (涙声で)ねえ、そんな酷いこと言わないでお願いだから」
そして、音声データの最後に収められていたのは、
沙也加「『大好きだ』って、『こんなに合う人いない』って言ったから付いてきたんだよ……」
 将来を見据えたはずの恋人に縋(すが)りつく言葉だった。
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2022/01/05(水) 23:01:29.

神田沙也加 急逝直前に恋人から罵倒されていた《音声が存在》

神田沙也加 急逝直前に恋人から罵倒されていた《音声が存在》

https://bunshun.jp/articles/-/51247?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b8f0daeb394124058f354e2d07ee0477e6d9f8d

 昨年12月18日に急逝した女優の神田沙也加(享年35)。亡くなる直前に、交際相手の俳優と激しく口論する音声が存在していることが、「週刊文春」の取材でわかった。中には、「死ね」などと罵倒を受ける場面もあった。

最初から結婚を前提とした交際だった

 沙也加が交際していたのは、主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」でも共演していた俳優・前山剛久(30)。前山も沙也加の急逝を受け、「真剣なお付き合いをしており、将来を見据えたお話もさせていただいておりました」とするコメントを発表した。

 2人は、昨年8月から上演されたミュージカル「王家の紋章」で初共演。交際をスタートさせたのは、9月下旬の千秋楽から間もない10月初旬のことだった。
「沙也加さんが告白する形で交際が始まりました。最初から結婚を前提とした交際だった。精神的に不安定な面がある沙也加さんを、前山は支えていました」(前山の友人)

 当初は順調だった2人の交際。ところが、次第に前山と元カノの関係、将来の結婚などを巡って、口論が絶えなくなる。

前山からの繰り返される厳しい言葉に…

 問題の音声は、同棲生活を始めることを決めていたにもかかわらず、前山が沙也加に無断で契約した別のマンションを巡って、2人が口論する様子を収めたものだ。
 音声には、「死ね」という表現も複数回出てくる。前山からの繰り返される厳しい言葉に、沙也加は涙声で応じていた。

 前山の所属事務所に事実関係の確認を求めたところ、期日までに回答はなかった。
 なぜ前山は、恋人だったはずの沙也加に罵るような言葉を浴びせるようになったのか。沙也加はそれをどう受け止めたのか――。

 1月5日(水)16時配信の「週刊文春 電子版」及び1月6日(木)発売の「週刊文春」では、沙也加と前山が口論する音声データ、沙也加と前山が口論に至った経緯のほか、沙也加と母・松田聖子との紆余曲折、聖子と距離を置いた沙也加が最も信頼する男性の存在、前山の妹が明かす兄が育った環境、沙也加の恩人が語る彼女の素顔などについて報じている。


神田沙也加 恋人の罵倒音声「もう死ねば。みんな喜ぶんじゃない?」【先出し全文】



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神田沙也加さん、死因は外傷性ショック 窓は10数センチしか開かず 除雪作業をして確認したところ、雪に埋もれた状態で発見

2021年12月21日 10時00分30秒 | 訃報のこと
神田沙也加さん、死因は外傷性ショック 窓は10数センチしか開かず 除雪作業をして確認したところ、雪に埋もれた状態で発見


2021/12/21(火) 06:39:39.



神田沙也加さん死因は外傷性ショック 高層階から転落か 窓は10数センチしか開かず


 歌手や声優、ミュージカル女優として活躍した神田沙也加さん(35)の死因について、北海道警察が発表しました。

 神田さんは18日午後1時ごろ、札幌市中央区のホテル14階の屋外スペースで倒れているのが発見されました。

 心肺停止の状態で病院に搬送されましたが、午後9時40分に死亡が確認されました。

 北海道警察は20日、死因が外傷性ショックだったと発表しました。高層階の部屋の窓から転落したとみられています。

 警察によると18日午前11時ごろ、神田さんの関係者から「部屋の鍵がかかっていて、開けて中を確認したがいない」などと110番通報がありました。

 警察官が駆けつけ窓の下を確認すると、14階に屋外スペースがあったため除雪作業をして確認したところ、神田さんが雪に埋もれた状態で発見されたということです。

 屋外スペースには30センチほどの積雪があり、神田さんの上にも雪が積もっていたため、部屋から下をのぞき込んでも神田さんの姿を確認できなかったとみられています。

 部屋の窓は3か所 開くのは10数センチ
部屋には窓が3か所ありましたが、いずれの窓も壊れておらず、10数センチしか開かない状態となっていたということです。

 警察は3か所の窓のいずれかから神田さんが転落したとみています。

  事件性はなく、警察は自殺の可能性が高いとみて当時の状況などを調べています。 



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