天下御免の桜吹雪
遠山金四郎景元こと
名奉行・遠山の金さんは
いすみ市に領地を持っていました
岩熊の法興寺(ほっこうじ)は、飛鳥時代の702(大宝02)年創建。
法華寺は、平安時代の849(嘉祥02)年創建。
江戸時代の岩熊村領主は遠山家で、遠山家5代景晋(かげみち)は、金四郎と称し、長崎奉行所第84代奉行を勤めた。
1997(平成09)年、長崎奉行所の庭園の池の跡から、景晋の名が彫られた石塔が発掘されている。
以後9代迄の5人が金四郎を名乗る。
景晋の息子6代景元(かげもと)が2代目遠山金四郎で、「遠山の金さん」こと北町奉行の遠山金四郎なのです。
末代の景福(かげとみ)は、岩熊の農民から年貢米を取らず、耕作農民に分配した。
農民は「お殿様」の温情に感謝し、明治時代初期に遠山講を創って遠山家先祖代々の供養・礼拝と歓談をしたと云う。
今でも12月22日には、関係農家が集うということです。
*http://www003.upp.so-net.ne.jp/esato_iwakuma/kensyouhi-ura.htm
交通:法興寺は外房線長者駅からタクシーで15分。
いすみ鉄道国吉駅からタクシーで15分。
車の方は、いすみ鉄道国吉駅でお土産を買ってお帰りください
北町奉行 遠山左衛門尉様 御出座ぁ~!
「皆のもの 面(おもて)をあげ~ぃ」
「車利用者も、お土産ひとつ買って
いすみ鉄道の存続に協力して参るのじゃ。」
(by 遠山の金さん )
・・・(*o☆)\バキッ!
ぜひ、出身地で撮影願いましょう!
当時とあまり変わらない風景!
私たちは娘役で・・・・
金さん役はだれかな?
近所の人に教えます。すごいです。
それが何故いすみ市に?
いや~歴史ってのは興味深い…
大多喜の方でしたら、大多喜城とかに文献があるみたいですよ。
いろいろな話題が出てきて驚いてます。
調べる作業も大変ですね。
みなさん、ありがとうございます。
大多喜町民としてお礼を申し上げます。
こっそり修正しました。・・・(*o☆)\バキッ!
「岩熊村の地域を領有する」でした♪
大多喜城にはこんな文献もあるのですか?
今度、学芸員の方に教えていただきましょう。
領主は普段江戸にいて、岩熊村をおさめていたのは、領主の代理となる名主だったようです。
江戸時代は、陣屋と呼ばれる館だったようです。
また、岩熊村は、旗本直轄領のため、大多喜藩に所属しておらず、古文書などは、総南博物館にはない?
大多喜高校で学ばれた方でしょうか?
私は大多喜藩でない場所で生れ育った、大多喜高校卒業生です。
岩熊村の解説ありがとうございます。とても参考になります。心強いです!
いすみ市、大多喜町の歴史などを、コメント欄で教えていただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。