天下人・徳川家康を、その人質時代から支え、極貧と苛烈な戦いの日々を耐え、生き、勝ち抜いていった、三河武士たち。
中でも、生涯五十数度の合戦にのぞみ、一度もかすり傷さえ負わなかったといわれる猛将・本多平八郎忠勝をはじめとする、後に「四天王」と称された、徳川譜代の漢(おとこ)たちの生き様を、戦国武将評伝に新風を吹き込んだ気鋭が、その独特な文体でダイナミックに、瑞々しく活写する!
これは、久我原さんが購入された本です。以下、久我原さんからのコメントです
こんばんわ。いやあ、チャンピオンズの放送とミステリートレインで盛り上がってますね。
ところで、本多忠勝って実際はどんな人だったんでしょうね。50回以上の戦でかすり傷一つ負わなかった。って本当かな?と思い、本日こんな本を買ってみました。この本は学研M文庫、菅 靖匡著『小説 本多平八郎』です。
他にもPHP文庫で加野 厚志著、「本多平八郎忠勝―家康軍団最強の武将」という本も出てます。本屋で探したけどこちらの本は見つかりませんでした。
歴史物の登場人物って似たような名前が多くてややこしいですよね。
本多平八郎忠勝は徳川四天王ですが、他に本多正信という家康の旗本がいました。
こちらは一揆に加担して家康に反抗したり、松永久秀に仕えたり、流浪して、本願寺とともに信長と闘ったりと問題児です。
忠勝からは 「腰抜けめ、同じ本多でもあいつとわしは無関係じゃ!!」
と、ののしられたようです。
ややこしいことに、家康にはもう一人本多という姓の家来がいます。鬼作左こと作左衛門重次です。
滝田栄が主演のNHK大河ドラマ「徳川家康」では、長門裕之が好演していました。
忠勝は無傷の猛将ですが、鬼作左も負けずに勇猛果敢で剛毅な性格ながらも、こちらは戦傷のため、片目片足で指も何本か欠損していたと言われています。
ずらずらと書いてきましたが、本読み終えたら、また感想文など、、、
あっ、いらない?こりゃ失礼。
ハ行の妻に
「忠勝って本当に無傷で戦に強かったのかな?闘ってないから無傷だったりして。」
と、あまりよろしくない冗談を言ったら、
「それは私とおんなじだ 」
と言いました。???なんのこっちゃ。
「私も運転しないから、免許は無事故無違反のゴールドカード」
おあとがよろしいようで。 チャンチャン
さっそく、本多忠勝で動画を探してみました。この下のスレッドにしました。
動画を探している間に、、、、ビアズリーさん☆ さすが! お目が高い。
久我原さんの感想文は大好評ですからね~(*^_^*)
久我原さんの武者行列のエピソードでわかったこと
来年は殿様になるための準備体操ですか?
殿は50回以上の戦で傷一つ受けなかったということで、激戦には加わらなかったと、勝手に思っていましたが、実は自ら槍をもち、激戦の中に飛び込んで行ったそうです。
あげた敵の首は数知れず、戦の勝敗をきめる手柄も随分と立てたようです。本当に強かったんですね。
その話をハ行の妻にしたところ、
「それは、暴走族の頭が、警察振り切りゴールドカードみたいなものだ。」
と言いました。当たっているような、いないような、、、、
最近、大多喜方面に行く機会もなく、なんとかみんなについていこうと思って、好きなこと書きました。
お褒めいただき恐縮ですが、それで頭に乗るのが僕の悪いところ。
感想文、また調子に乗っちゃいます。
せっかく小松姫も調べたのに。
残念だ~~~~
久我原さんの調子に乗ってね
私達ってアクスコの時から趣味が似ていましたもんねやっぱり喰いつく話題ですよね
久我原さんは今年のお城祭りで「殿はええの~」の連発でしたもんね。
これは、殿になりきるつもりだわ(^_-)-☆
私は小松姫になりたい
武勲は有名ですけれど。
それよりも、大多喜城の夷隅川を堀とした天然の要害の縄張り(お城の設計をそう言います)は古今無双の名城だと思いました。
今年の春、元自衛官の叔父を案内しましたが。絶句するばかりの防御力。
(それだけに、上るの大変です。後の領主は困ったでしょう。)
現在の天守閣(本丸)にばかり目が行くと、千葉城まがいのコンクリ製ですが。
二の丸(現大多喜高校)
三の丸 (駅のあたり)。
この城は、大阪城以上の防御力を持っていたのでは無いかと思う程です。
真田処分の際に
“殿(家康)一戦につかまつりましょうか?”と本多忠勝に言わしめるだけの凶暴な防御力が有ります。その後、本多が他に移転させられたのは、里見が居なくなったからだけでは無いと思います。
上総、下総、安房 合わせて100万石
源頼朝が、裸で流れ着いても天下が取れる、平将門(蓮沼あたりの所領争いが起点です。)が暴れると坂東を席巻出来る。
荒武者と、半島なので全力を前に出せる立地に本多を配置した家康が迂闊でした。