楽しかった旅の終わりがちょっと寂しいように、エッセイも最終回は切ないなぁ。
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6.大多喜駅で
約6時間の行軍も、終わってみればあっという間の出来事だった。大多喜町より武装解除の命令が下り、我々行軍は平服へと戻っていくのであった。一緒に旗もちをした人に、
「お疲れさま、またお会いできますよう。」
と声をかけ、小学校を後にした。
ジャンヌさんに連絡をとり、大多喜駅で待ち合わせることに。残念ながらmokaのメンバーはすでに帰ってしまったと、、、今回のやり残しは、、、またmokaだ
駅前でジャンヌさん、tass師匠と出会うことができた。このメンバーが、大多喜にそろうのは3回目だが、それぞれの持ち味で毎度毎度の別行動。でも、これがそれぞれの1日を報告しあって結構楽しい。田舎のじい様も加わり、われら楽しいサポーターズである
駅前でわいわいと楽しんでいると、観光本陣に見覚えのある人が、、さっき別れたばかりの旗もちの同志である 聞くところによると、山梨の信玄公24将に参加したことがあり、その時は騎馬武者になったとのこと。今日は徒歩の旗もちだから、さぞもの足りなかったことだろう。なぜか大多喜では再会を多く経験できる不思議な町だと感じた。この戦友は次の大原行きいすみ鉄道で帰って行った。
その後、大多喜駅で着流しの風流人に出会った。なんと、殿様を演じた、日光からの参加者だ。平服が着流しとはやはりつわものだ。
「殿お疲れ様です。」
と声をかけると、キョトンとした顔をされた。
「旗もちをやったものです。」
と自己紹介したものの、やはり下っ端は印象にうすいのか、、、
その後、日も暮れて、ジャンヌさん一行と光アートを楽しんだ後、一行と別れて大原壱岐の列車で帰途に着く。大多喜駅で列車を待っていると、田舎じい様がやってきた。わざわざ私を見送りに来てくれたようだ。ありがたいことだ。よそ者の私をわざわざ見送ってくれるとは。田舎のじい様にもまた、いつか大多喜で再会できるだろうと確信をもった私を乗せた列車は大多喜駅を出発していった。
帰りの列車は大多喜の高校生がほとんどで、まるでスクールバスに迷い込んだようだ。リラックスした彼らを見ていると、彼らのためにも大切な路線なんだと改めて実感した。
あとがき
先日、大多喜町からお便りをいただきました。城の前で撮った集合写真が同封されていました。雑兵の私は、大勢のなかに目立たずぽつりと映っていましたが、僕の人生史上最高の集合写真です。来年は、最前列をゲットするぞ!!
さて、僕の大多喜訪問はこれで都合6回め。それぞれの旅はそれなりに楽しかったけど、今回は念願の武者行列に参加できて僕的には最高の大多喜訪問だったと思います。なにげに降りた秘境駅久我原の旅からこんなにいろいろな経験ができ、多くの人と知り合うことができたことは、僕の人生にとって最高の1年だったと思います。えっ、まだ年末じゃないって?そうですね、今年はまだまだ続きますけど、僕のいすみ鉄道シリーズはとりあえず最終回。ジャンヌさんにのせられて、人の迷惑顧みず、ずらずらと書き続けてしまいました。飽きもせずにお付き合いいただいた方には、お礼とお詫びを申し上げます。
最終回といいながら、僕のいすみ鉄道の旅はぽつぽつと続く予定ですまた、面白いことがあったら、ひとりごちて見たいと思いますので許してね。
では、また、いすみ鉄道でお会いしましょう
そうなんです!
私も同じことを感じていました。 不思議な町ですよね。
やはり「大多喜」という名前のせいかも
私達応援団も、いすみ鉄道があったからこその出会いで、更にインターネットがあったから絆が深まりました。
いすみ鉄道×インターネット
エッセイは最後まで楽しかったです。
お宝にします
作品『シャオリーの夏休み』は『大人のコラム』へ久我原さんが投稿・採用された作品です。
http://www.otona-column.com/www/index.php?module=User&action=MyNovel&id=820