アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

バギオ-Baguioとダバオ-Davao

2008-11-26 14:11:50 | フィリピン-ダバオ

 ルソン島北部のバギオ市とミンダナオ島南部のダバオ市…。

 距離的にはずい分離れていますが、実は歴史的なつながりがあります。  

 バギオ市につながる道路の一つに、ベンゲット道路(通称ケノン道路)という曲がりくねった道路があります。

 19世紀末の米西(アメリカとスペイン)戦争後、アメリカ領下となったフィリピンで、バギオを避暑地にしようと、1900年頃バギオに通じるこの道路の建設工事が始まりました。1903年、この難工事に日本人の力と技術が必要だと、千五百人ほどの日本人がバギオ入りしました。そのベンゲット道路は、その二年後に完成しましたが、急で崩れやすい崖など難所を任された日本人従事者の約七百名もが命を落としたとも言われています。

  その道路建設に従事した日本人を支え続けた太田恭三郎という方が、工事終了後、約千人の日本人をミンダナオ島のダバオに送り、アバカと呼ばれるマニラ麻農園の経営に関わらせ、大成功を収めた、という歴史があります。戦前の平和な時代、ダバオには二~三万人の日本人が住んでいたそうです。

 よって、バギオとダバオは、どちらも日本と深いつながりがあり、日系人も多いのです。

 <写真> 2004年8月 ダバオ市 Kadayawan(収穫祭)のパレードとステージ・パーフォーマンスを終えたハイスクールの生徒さんたちと…。