アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

ドリーのその後…

2008-11-18 16:43:00 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』を読んでいただいた方、また金沢滞在中にお世話になった方にも、著書(下巻)の中の最後の専従介護者「ドリー」のその後についてチラッと触れたいと思います。

 去年の4月、ドリーの同行を得、ダバオを引き払って日本に戻り、6月末まで金沢に滞在しました。床ずれが完治した後、彼女の都合に合わせてマニラに戻った後、日本大使館の近くの、やはり家具付きのコンドミニアムに半年近く住みました。その後、前記、ラス・ピニャス市の平屋に移った訳ですが、ドリーはそのラス・ピニャスに引っ越して三か月後の2月末に私との雇用契約を終え、4月にクウェートに渡りました。

 私の人生の一つの節目の時期に、ちょうど一年間私の生活をサポートしてくれました。その間、彼女自身の身に、実に様々な出来事が降りかかり、私もできる限りの精神面でのサポートをしてきたつもりです。

 ビコール州マヨン火山近くの出身で、体はきゃしゃながら気丈なドリーは、マニラに戻ってしばらくして新しいボーイフレンドと出会い、同年末あたりから、叔父のいるクウェートに仕事を求めてエージェンシーに斡旋を申し込んでいたのです。マニラは、彼女にとって心地よくはなかったようです。コンピューターが得意でない彼女からはここしばらく連絡はありませんが、便りのないのは無事な証拠と、クウェートで元気に働いている彼女の姿を想像しています。

  それにしてもたくましきかな、フィリピーナ!!!過去の私の女性専従介護者のうち、フィリピンに留まっているのはわずか二人です。現に今、バギオで関わってくれている3人全員(ドライバーのレオも含めて)が、「一度は海外へ働きに出たい…。」という希望を持っています。フィリピンの人口約8千万人の1割「8百万人」が海外に出ているという現実、今はそれも仕方のないことなのでしょうが…。 ドリーを含め、やむなく慣れない海外で暮らしている以前の介護者たちの健康と無事を祈るのみです。

 <写真> 2007年5月 ドリー in 金沢(金沢カトリック教会前の高山右近像前)

  さて、ちょっとした床ずれでも、初期のケアが大切。私は、もう少しの間だけベッドの上で過ごす必要がありそうです。体位交換で「♪みーぎーを向いてーもー、ひだぁりーを見―てもー…」、我慢、我慢!

 友人が、明後日の夜、バギオカントリークラブのレストランへ「モンゴリアン・バーベキュー」を食べに行こうと誘ってくれました。それまでには…(無理^^;)。モンゴリアン・バーベキュー?バギオは外国人も多くインターナショナルです。