『苦しくて切ないすべての人たちへ』(南直哉)のなかに『住職の地獄耳』という一文がある。
晩秋のある夕暮れ、境内を掃き掃除をする直哉師が妙な気配を感じて振り返ると、そこには4、5歳とおぼしき男児が立っており、鋭い視線とともにこう言ったという。
「あの、ぼく、なんでここにいるんですか?」
******言うまでもないが、これは「お母さんが連れてきてくれたんでしょう」などという、阿呆なその場しのぎの答えが通用する代物ではない。彼は、自分がこの世に存在する意味を問うているのだ。私は、この種の問いも、それを言う子供も、絶対に舐めない。そもそも、これを問うなら、その人物は私にとって「子供」ではない。「小さい大人」である。私には、このような問いを何度も舐めた答えで誤魔化されてきた、痛恨の記憶がある。こういう時、大抵の場合、答える方は問う方より、はるかに愚かである。子供を舐める愚かさに、ほとんどの「大人」と称する人物は気がつかない。私は言った。「あのねえ、ボクねえ、ボクの言ったことさあ、和尚さんも、ずうっと考えているんだけど、どうしてもわからないんだ。世界中で偉い人がずうっと考えてきたんだけど、わからないんだよ」彼は両手に拳を固め、微動だにしない。「だからさあ、ボクはこれから頑張って考えて、いつかわかったら、和尚さんに教えてよ」(P.139)
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老師は、1958年生まれだというからぼくよりひとつ年下だ。そして、これが書かれたのは、推察するに今から1~2年前である。六十も半ばとなるじっちゃんが4つ5つの、いわば「ガキ」に対してこの答え。この真摯この謙虚この誠実。さすがとしか言いようがない。心の底から感服したぼくは、しばし清々しい余韻をかみしめたあと、興味本位でじつにくだらない行動に出てしまう。
******みやうちあの、ぼく、なんでここにいるんですか?ChatGPT4oそれは興味深い質問ですね。ここにいる理由は、あなたが知りたい情報や解決したい問題についてお話しするためです。また、知識を共有し、アイデアを交換する場でもあります。具体的に何かお困りのことや知りたいことがあれば教えてください。それに対してお答えします。******
ほう、そう来たか、と笑ったあと、そこで止めておけばよいものを、即座に再質問をした。
******みやうちぼくがこの世に存在する意味を問うているのです。ChatGPT4oなるほど、存在の意味についての哲学的な問いですね。それは多くの人が考え続けている深遠なテーマです。ここではいくつかの視点を紹介します。
個人的な意味:自分自身がどのような価値を感じ、どのような目標を持って生きるかが重要です。これには、家族や友人、仕事、趣味など、自分にとって大切なものが含まれます。 社会的な意味:他者との関わりや社会への貢献も、自分の存在に意味を持たせる一つの方法です。他人を助けたり、コミュニティに貢献したりすることで、自分の存在意義を見出すことができます。 哲学的・宗教的な視点:多くの哲学や宗教は、存在の意味について異なる視点を提供しています。例えば、ある宗教は神との関係や霊的な成長を重要視し、ある哲学は幸福や美徳を追求することを提唱します。 自己探求:人生の意味を見つけるためには、自分自身を深く探求することも重要です。これには瞑想やジャーナリング、カウンセリングなど、自己理解を深めるための方法が役立つかもしれません。最終的に、あなた自身がどのように生きたいか、どのような価値を持ちたいかが、あなたの存在の意味を形作るのです。******
じつにありきたりでくだらない。
だが、その「ありきたり」が生成AIの特徴であり、その「くだらなさ」が生成AIそのものであると言ってもよい。
いや待てよ・・・
そこである疑問がわきあがる。
それをやらせるこのオレはもっとくだらなくはないか?
答えは言うまでもない。
よせばよかった。嗚呼。