最近とんとご無沙汰だったことに気づき、
久しぶりに内田樹の研究室をのぞいてみる。
いささか古い稿だが、『人々が「立ち去る」職場について』を読む。
人間には「好きにやっていいよ」と言われると「果てしなく手を抜く」アンダーアチーブタイプと、「やりたいことを寝食を忘れてやる」オーバーアチーブタイプに二分される。
このどちらかだけを作り出すということはできない。
そして、ブリリアントな成功を収めた組織というのは、例外なく「『好きにやっていいよ』と言われたので、つい寝食を忘れて働いてしまった人たち」のもたらした利益が、「手を抜いた」人たちのもたらした損失を超えた組織である。
「手を抜く人間」の摘発と処罰に熱中する組織はそれと同時にオーバーアチーブする人間を排除してしまう。
う~ん、これは耳が痛い。
まったく仰るとおりだ。
人間が働くことの基本はオーバーアチーブ。
意識するしないにかかわらず、このことを理解している人間と、そうでない人間では、相当な違いがある。
そして私は、もちろん前者といっしょに仕事をしたい。
であれば、小異を咎め立てして、オーバーアチーブする人間を排除することは、極力避けなければならない。
自戒を込め、あらためて、そう思う私なのである。
「オーバーアチーブ」についての内田さんの(=私は激しく同意する)見解
仕事というのは「額に汗して」するものであり、先般も申し上げたように本質的に「オーバーアチーブメント」なのである。
このことは繰り返し学生諸君にお伝えしなければならない。
賃金と労働が「均衡する」ということは原理的にありえない。
人間はつねに「賃金に対して過剰な労働」をする。
というよりむしろ「ほうっておくと賃金以上に働いてしまう傾向」というのが「人間性」を定義する条件の一つなのである。
動物の世界に「とりあえず必要」とされる以上の財貨やサービスの創出に「義務感」や「達成感」を感じる種は存在しない(たぶん)。
「糸の出がいいから」という理由で自分用以外の巣を張る蜘蛛や、「歯の切れがいい」からという理由で隣の一家のためにダムを作ってあげるビーバーを私たちは想像することができない。
そのような「過剰な労働」は動物の本能にはビルトインされていない。
人間は「とりあえず必要」である以上のものを作り出すことによって他の霊長類と分岐した。
(『内田樹の研究室』2005.5.19『資本主義の黄昏』より)
あ、これでは「オーバーアチーブ」の直接的な説明になっていないか。
が、とりあえずそういうことである。
興味のある人は、検索して調べてほしい。
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