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築土構木の思想──土木で日本を建てなおす (犀の教室) |
藤井聡 | |
晶文社 |
さて『築土構木の思想』(藤井聡、晶文社)。
「土木で日本を建てなおす」というサブタイトルを見たからには、
この私が素通りするわけにはいかないのである。
昨夜読んだのは、第3章『公共事業不要論の虚妄』(三橋貴明×藤井聡)、
読後の感想をひと言で表せば、
いやはや痛快。
三橋 (前略)それこそ土木ならば、実際に山をどうする。川をどうする、ということをとことんまで考えるでしょう。そこまで考えなかったら、考えたとは言わないですよね。
藤井 先にも申し上げたように、築土構木の思想はいろいろな解釈ができます。築土構木の「土」とか「木」っていうのは、確実にモノなんです。だから必ずモノとういうものを必ず含む。実際、わたしたちは、モノの上にいて、モノに守られて生きているわけです。そして、システム全体を、自然の中で徐々に形作っていくのが築土構木の思想。いまおっしゃていたような、虚業というか、そういうところでフラフラするということは絶対にない。
三橋 できませんものね。
藤井 仮にそんな架空の論理で橋を架けたとしたら、架けている途中で橋が落ちます。ダムをつくっている途中で崩れてしまいます。だから築土構木の思想というのは常に現場、この実際の社会から一歩も逃げない。この現実世界に永遠にとどまるんだという姿勢を持つと言えるかもしれません。
(P.172~173)
なるほど。
この私が、なんだかんだとエラそうな講釈をたれつづけていられるのは、
土木という仕事の現場に生きているから、
唯一、その所以からなのかもしれない。
「築土構木の思想というのは常に現場、この実際の社会から一歩も逃げない」
他人さまはいざ知らず、
紆余曲折のなかで生きてきた私は、
「実際に山をどうする川をどうすると、とことんまで考える」という営みをつづけてきたからこそ、
「土木のしごと」以外のあらゆることからも、
どうにかこうにか逃げ出さずに、真っ当な人間として生きていけているのだと、
「地べた」を相手にしている仕事に携わってきたことを、ありがたかったなと、
あらためてそう思ったのである。
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