予期せぬ再会をはたしたあれ以来、本棚をちらと見たあと、朝のトレーニングを開始するのだが、そうそうビビッとくるものではない。
「やはりあれはオレを呼んでいたのだ」
そう思っていた数日前、こいつがわたしを呼んだ。
『下流志向ー学ばない子どもたち、働かない若者たち』(内田樹、講談社)。
ブログ内検索をしてみると、2011年1月に読んでいる本だ。
「お、きたね」
ほくそ笑みつつ、またまた超速の飛ばし読みをしていると、わたしにしてはめずらしいことに鉛筆で書きこみをしているページがあった(マーキングをしながら読むのはわたし的常道だが書きこみはめったにしないのです)。
そこには、「青い鳥仕事」と「雪かき仕事」について書かれていた。
「青い鳥仕事」とは、言い換えれば「夢を追う」ということ。
内田先生ご本人の文章から引いてみる。
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「青い鳥」を探して、若い人がどこか遠くへ行ってしまうというのは、昔からよくあったことで、そういうこと自体が悪いというわけではありません。むしろ、そういう「旅立つ人」はどんな共同体にも必要です。
(P.127)
「雪かき仕事」とは「日常的でぱっとしないけれど、誰かがやらないといけない」社会を維持するためには必要不可欠なもの。
(略)
「雪かき仕事」をする人は朝早く起き出して、近所のみんなが知らないうちに、雪をすくって道ばたに寄せておくだけです。起き出した人々がその道を歩いているときには雪かきをした人はもう姿を消している。
(略)
この人が雪かきをしておかなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足をくじいた人がいたかもしれない。そういう仕事をきちんとやる人が社会の要所要所にいないと、世の中はまわってゆかない。
(P.128)
若い人がよく言う「クリエイティブで、やりがいのある仕事」というのは、要するに、やっている当人に大きな達成感と満足感を与える仕事ということです。でも、「雪かき仕事」は、当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるものです。だから、自己利益を基準に採る人たちには、その重要性が理解できない。
(P.129)
自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることをたいせつにする生き方、これはどちらも社会にとっては必要です。
(略)
ただ、仕事について、「自己利益の最大化」を求める生き方がよいのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはあまりアナウンスされない。
(P.129)
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これに対する当時の感想、すなわち「書きこみ」を、そのまま晒すのはさすがに気恥ずかしいので要約してみると、
土木の仕事にも「地図に残る仕事」というフレーズに代表されるように「青い鳥仕事」的なものがあって、これまではそういう華々しい部分だけがクローズアップされてきたけれど、これからは「雪かき仕事」的な役割をアピールすることがたいせつなのではないか、
というようなことがミミズがはうような字で書きこまれていた。
つまり、約10年前も今も、同じくわたしの心を打ったのは、
「当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるもの」
という箇所だ。
約10年後の今回は、それに加え、あとにつづく、
「だから、自己利益を基準に採る人たちには、その重要性が理解できない」
というセンテンスが、前段にも増してズドンとわたしの胸に響いた。
読むと同時に、「雪かき仕事」に携る側の人間がそうなってはいないだろうかという疑念が胸の内に湧きあがってきたからだ。
もちろん、キレイゴトでメシは食えないのだもの、「当人にどんな利益をもたらすか」を考えることは、否定されるべきものではない。しかし、「雪かき仕事」に携る人間が、「周りの人たちの不利益を抑止する」というその特性に自覚的にならずして、「自己利益の最大化」のみをめざしているとしたら、そこはやはりまちがっていると言わざるを得ない。
そのことに大いに自覚的であったとしても、まったく無自覚でその行為をしてたとしても、その場そのときの結果は同じかもしれない。
しかし、その無自覚さが、いずれは自分たちの首を絞め、自分たちを窮地に立たせることとなる。なぜならそれは、自分たちの拠って立つ所以をないがしろにするということであり、その結果、自分たちの拠り所を失ってしまうということになるからだ。
「雪かき仕事」の結果オーライが「周りの人たちの不利益を抑止」したとしたとする。そしてそれをして、「ふつうの暮らしを支える仕事」などと胸をはる。
しかし、それでは、わたし(たち)はわたし(たち)を救えない。
てなことをひとしきり考えたあと、
「ん〜、やはりコレもオレを呼んでいたのだ」
そう思った。