答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

だから「我慢」は子供のすること。「我慢」を卒業したら大人といってもいいんじゃないでしょうか?(玄侑宗久)

2018年05月31日 | 読む・聴く・観る

 

まわりみち極楽論 (朝日文庫)
玄侑宗久
朝日新聞出版

 

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 我慢はいけません。これは七慢といわれる増上慢の一つですから、決してしてはいけない。無理無体な現実に直面したとき、心をそれに適応させる努力をしないことを「我慢」というんです。心や意識を変容させることで「我慢」などせずに済むのに、それをサボって怠慢してるのが「我慢」です。だから「我慢」は子供のすること。「我慢」を卒業したら大人といってもいいんじゃないでしょうか?

(kindleの位置No.2256-2261)

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読むなり、ムムム・・とうなり目を白黒させる。

こいつは難しい。難しすぎる。

書いている言葉は平易だが、書いてある内容が難解だ。

何度か読み返してみても理解不能だったため、少し寝かせておき、今朝またトライしてみた。

すると、おぼろげながらに掴めかけてきたが、「わかる」にはほど遠い。

確実に「わかった」のは、その実行がおそろしく困難だということである。

 

無理無体な現実に直面したとき、心をそれに適応させる努力をしないことを「我慢」というんです。心や意識を変容させることで「我慢」などせずに済むのに、それをサボって怠慢してるのが「我慢」です。

 

これほど難解で困難なテーゼには、久しく出会ったことがない。

考えてみるにそれはたぶん、わたしにとって自分自身を肯定的にとらえた言葉が「我慢」だからであろう。自分自身を「我慢の人」として規定することが、「大人」たるわたしの拠り所なのである。

あゝソレナノニそれなのに、


だから「我慢」は子供のすること。「我慢」を卒業したら大人といってもいいんじゃないでしょうか?


とは・・・。

拠って立つところを根底からひっくり返されたような気分だ。

であれば、「そんなことできるわけないじゃねえか」とうっちゃっておけばよさそうなものだが、わたしにとって、そのまま通り過ぎるにはあまりにも魅力的なテーゼでもある。


う~ん・・・

悲しいようなうれしいような・・・

スキンヘッドをボリボリと掻きむしるオジさんなのであった。



 

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コメント (4)
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