答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『鬼伝説からみる土木技術者の位置づけに関する民俗学的研究』経由『石工の話』

2018年05月01日 | 土木の仕事

中尾聡史、森栗重一、藤井聡の各氏による共著『鬼伝説からみる土木技術者の位置づけに関する民俗学的研究』という論文を読む。

「土木バッシングの深層」には「土木を拒否する日本特有の精神文化」の存在があるのではないかというのがその着想の基らしい。

興味深く読ませてもらった。ここではとりあえず、そのまとめだけを紹介するにとどめておく。

 

こうした鬼伝説は、(略)土木技術者を賎民として蔑み、異人視する日本人の差別意識の存在を改めて暗示しているものと考えられる。土木技術者が果たしてきた地域開発貢献はあらかた記録されることもなく忘却されてきたが、土木技術者に対する 差別意識のみが、日本人の深層意識に隠れており、鬼伝説とともに今なお我々の生活の中に息づいていることが 考えられよう。

 

↓↓ 原文はコチラで読める。

https://policy-practice.com/db/3_173.pdf

ぜひ読んでみてほしい。

論考の途中にこんな文章がある。

 

このように、民俗学において、土木技術者は定着農業民である常民の枠から外れた者であり、特殊職業人、漂泊民、被差別民などの非常民として理解されているのである。

 

このくだりを読み、わたしの脳裏に思い浮かんだのが、宮本常一の『石工の話」である。

わたしの大好きな話ゆえ、ここでもこれまで何度か紹介してきた。

以下、『庶民の発見』より引用する。

 

庶民の発見 (講談社学術文庫)

宮本常一

講談社

 

石工たちは川の中で仕事をしていたが、立って見ていると、仕事をやめて一やすみするために上ってきた。私はそこで石のつみ方やかせぎにあるく範囲などきいてみた。はなしてくれる石工の言葉には、いくつも私の心をうつようなものがあった。
 「金をほしうてやる仕事だが決していい仕事ではない。・・・泣くにも泣けぬつらいことがある。子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい。田舎をあるいていて何でもない見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もいないのに・・・」と。

(P.24~25)

 

 「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような・・・・・。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」。

(P.25)

 

論文を読み進めていくと、その最後、「今後の課題」という項に、この話が引用されている。

なんという偶然・・・・・口を開けて目を丸くした。

いや、偶然という種類のものではないのかもしれない。

著者たちの念頭に『石工の話』があったからこそ、その論を完成させる最後のピースとして『石工の話』が使われた。だとしたら、それを読むわたしが、『石工の話』に想いを馳せながら読んだとしても、なんら不思議はない。

それにしても・・・・・

いやいやその蓋然性はけっこう低い。

「びっくりしたナァ、もう」、なのである。

 

 

 

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