昨年から聞いてはいたが、いざ現実のものとなると、ただただ苦笑いするしかない。
「甲と乙」という建設工事請負契約書の呼称(略称表記)を「発注者と受注者」に変えるという、いや、今となっては「変えた」という、そのことについてである。なぜ変えたのか?どうも、「発注者が受注者に対して優位であるという印象を与えているため」、らしいのだ。
そうだろうか?むしろ「発注者と受注者」のほうが、彼我の強弱をわかりやすくした言葉かもしれないと私は思う。つまり、その地位の大小や強弱を決める呼称が先にあったわけではなく、「現実」の蓄積がその呼称に意味を持たせてきたのだ。
考えてもみてほしい。「発注者」と「受注者」が同等なんてことは、世の中一般、「普通」にはないことなのだ。「発注者」のほうが優位なのは、誰がどう考えても当たり前のことである。それを、「同等である」と主張する誰かがいるとするならば、それは絵空事なのだと私は言いたい。
問題は表記の仕方なんぞにあるのではなく、「甲VS乙」という2項対立の枠組み(発想のしかた)にあると思うからである。
そこに加えなければならないのは、公共建設工事のお客さんであるところの「市民=住民」への視点である。
そして発注者は、納税者の代理としてではなく、設計業者や施工業者と同じプロジェクトに住まいする構成員なのだという意識で仕事をしてもらいたい。もちろん、(市民の代理として)「買う人」か(公共建設工事プロジェクトの構成員として)「つくる人」か、どちらかに決めることなど出来得るはずもなかろうが、「つくる人」にウエイトをおくことは出来るはずである。
だから、表記をどうこうするとかいう前に、
「受注者と発注者が協力して、共通のお客さんである住民のために施工する」というシステムを構築することを考えてほしいのだ。
そもそも「ワンデーレスポンス」という試みは、そのために始まったはずではないか。
もちろん、こんなことを書いたところでどうこうなるものではないぐらいに、ことは私なんぞの手が届かないところで動いているのだから、こんなのは遠吠えにすぎない。
だがしかしだ。
工事目標をしっかりと「すり合わせ」をして
「住民の安心・安全」のために
みんなの知恵を使って「段取り八分」の工程表をつくり
「責任感」を共有し
発注者と施工業者が「チームワーク」で
手遅れになる前に、早めはやめに手を打つ「先手管理」で
「お互いに助け合い」ながら
「良いモノをより早く」つくっていく
(岸良裕司『三方良しの公共事業改革』P.120、中経出版、より)
こんなふうに仕事が出来るなら、私は喜んで下座に位置させてもらう。
そしてそんなふうに考えるのは、(たぶん)私だけではないだろうと、そう思うのだな。