入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

アントロポゾフィー指導原理 (9)

2007-09-22 05:27:38 | 霊学って?
9.
アストラル体の「現実」は、メディテーションを通して見出される。
すなわち、通常の思考は、外界から感覚を通して刺激を受けているが、
そのような思考から、「内的に見ること」へと
歩みを進めるということである。
そのためには、外界の刺激を受けている思考を内的に掌握し、
魂のなかで、その思考がもつ外界への関係を排除して、
思考そのものを集中的に「体験」しなければならない。
そのような思考の掌握と体験において、「魂の強さ」を身につけたとき、
人はこの「魂の強さ」を通して、次のことに気づくにいたる。
すなわち、内的な知覚器官というものが存在する。
動物と人間においては、「意識」が発生するために
物質体とエーテル体が抑制される場所がある。
内的な知覚器官は、物質体とエーテル体が抑制されるその場所に
「霊的なもの」を見るのである。(訳・入間カイ)

9.
Die Wirklichkeit dieses Astralleibes wird gefunden,
wenn man durch die Meditation von dem Denken,
das durch die Sinne von außen angeregt wird,
zu einem innerlichen Anschauen fortschreitet.
Man muß dazu das von außen angeregte Denken innerlich ergreifen
und es in der Seele als solches, ohne seine Beziehung auf die Außenwelt,
intensiv erleben;
und durch die Seelenstärke, die man in solchem Ergreifen und Erleben
sich angeeignet hat, gewahr werden,
daß es innere Wahrnehmungsorgane gibt, die ein Geistiges schauen da,
wo in Tier und Menschen der physische und ätherische Leib
in ihren schranken gehaltenwerden, damit Bewußtsein entstehe.
(Rudolf Steiner)


アントロポゾフィーでは、
眼にみえる肉体のほかに、エーテル体やアストラル体など、
いくつもの「眼にみえない体」について語ります。
エーテル体は、生命をもたらす体(生命体)であり、
アストラル体は、感覚や意識をもたらす体(感覚体)であるといえます。
人間が自分自身を認識するためには、
自分というものが、眼にみえる体だけではなく、
それらの眼にみえない体によって成り立っていることを知る必要があります。

この第9項では、
自分自身に、はたして本当に「アストラル体」なるものが備わっているのか、
それを自分に即して「実感」するための方法が述べられています。
その方法をシュタイナーは「メディテーション」(瞑想)と呼んでいます。

まず、自分の「思考」(考える)という活動に注目します。
私たちは、つねに外からの刺激によって、いろいろなことを考えます。
おいしそうな食べ物を見かければ、夕食に何を食べようかと考え、
人々の苦しみや悲しみに遭遇すれば、人生の意味について考えたりします。
外から何のきっかけも与えられずに、自分で「今からこれを考えよう」と思って、
何かを考え始めることはあまりないでしょう。
それが通常の思考のあり方です。

シュタイナーは、
人間の思考は通常そのようなものであることを認めることから出発します。
私たちの思考は、外からきっかけを与えられなければ動き出さない。
そこで、まず具体的なきっかけを用意します。
ある本の1行とか、1段落とか、
あるいはメディテーションのためのことば(マントラ)とか、
考えの道筋を跡づけられるような「思考」を自分に与えるのです。
そして、それについて考え始めます。
その際、外界からの刺激をできるだけ排除して、
自分の思考そのものに集中するように努めます。
外の物音など、一切の刺激が心に入り込まないように集中するのです。
そうすることで、
普段は、私たちの思考はつねに外界の刺激にさらされていますが、
ここでは思考が外界に対してもっている関係を断ち切るのです。
すると、心のなかでは、思考そのものが活動し始めます。
その努力の繰り返しによって、「魂の強さ」が身につきます。
アストラル体が「現実」であることを実感するために必要なのは、
この「魂の強さ」なのです。
この強さは、物質的現実や生命活動に対する「強さ」です。

前項で述べられていたように、
物質体と生命体だけでは「意識」は発生しません。
意識が発生するためには、生命活動を「抑制」する必要があるのです。
私たちの身体のなかには、眠りこませようとする力、
すべてを無意識のなかにとどめ、
物質体と生命体の活動だけを展開させようとする力が働いています。
この力は、当然、健康を維持するために必要不可欠な力です。
眠ることができなければ、健康はありえません。
しかし、眠り続けることもまた、本当の健康ではありません。
本当の健康は、眠りと目覚め、創造と破壊のバランスのなかにあるといえます。

魂の強さとは、
普通なら、身体の生命状態ゆえに眠り込んでしまったり、
周囲の物質的現実からのさまざまな刺激によって影響されたりするところを、
あえて明瞭な意識を保ち続ける力です。
それは生命活動を押さえ込む力でもあるのです。

そして、この力が、アストラル体の現実として体験されるのです。
ここで重要なのは、
「思考から、内的に見ることへ歩みを進める」というところです。
考えることは、見ることにつながっています。
思考に集中すると、それは視覚的体験につながるのです。

アントロポゾフィーの観点からいえば、
思考そのものは、エーテル体によって担われています。
なぜなら、生命活動は叡智そのものだからです。
植物も、動物も、すべての生物は、無限の叡智によって担われています。
しかし、生命の叡智は、完全に無意識のままにとどまっています。
たとえば、私たちの体内で、肝臓がどれほど高度な知性によって活動しているか、
それを私たちが意識することはありません。
身体機能は無意識の叡智によって支えられているのです。

人間は、もともとは無意識である生命の叡智を、
「考える力」に変容させて使っています。
人間が考えることができるのは、
自分の生命力の一部が、思考の力に変容しているからなのです。
この力を使って、人間は
自分の身体を含む「世界」を観察し、
そこで何が起こっているのかを考えることができます。
そのとき、世界に存在する無意識の叡智は、
一人ひとりの人間の知識として意識化されるのです。

その意味で、
私の魂のなかの思考活動は、変容した生命活動であり、
自分の思考に集中することは、
アストラル体(感覚体)によって
自分自身の変容したエーテル体(生命体)の活動を「見る」ことだといえます。

そのことに気づくことから、
「内的に見ること」の第一歩が始まるのです。
それは内的な知覚器官の芽生えでもあります。