入間カイのアントロポゾフィー研究所

シュタイナーの基本的な考え方を伝えたいという思いから、日々の翻訳・研究作業の中で感じたことを書いていきます。

アントロポゾフィー指導原理(5)

2007-09-03 14:39:37 | 霊学って?
5.
人間は、内的平静のために、
霊性における自己認識を必要とする。
人間は、思考、感情、意志のなかに自己を見出す。
しかし、この思考、感情、意志は、
人間本質における「自然性」に依存している。
人間の思考、感情、意志の働きは、
身体の健康、病気、活力や障害の影響を受けざるをえない。
通常の生活経験においては、
人間の精神活動は身体状態に限りなく依存している。
そのため、
こうした通常の生活経験のなかでは
自己認識が失われてしまうのではないか、
という意識が人間のなかに呼び覚まされる。
まず、次のような問いが痛みとともに生じてくる。
「通常の生活経験を超越した自己認識は存在しうるのか、
また真の自己を確実に知ることなどできるのか?」
アントロポゾフィーは、確実な霊性経験を基盤として、
この問いに答えようとする。
その際、アントロポゾフィーを支えるのは
「思いつき」や「信じること」ではなく、
霊性における体験である。
霊性における体験は、その本性ゆえに、
身体における体験と同様に確実なものである。(訳・入間カイ)

5.
Der Mensch braucht zur inneren Ruhe
die Selbst-Erkenntnis im Geiste.
Er findet sich selbst in seinem Denken, Fühlen und Wollen.
Er sieht, wie Denken, Fühlen und Wollen
von dem natürlichen Menschenwesen abhängig sind.
Sie müssen in ihren Entfaltungen
der Gesundheit, Krankheit, Kräftigung und Schädigung des Körpers folgen.
Jeder Schlaf löscht sie aus.
Die gewöhnliche Lebenserfahrung weist
die denkbar größte Abhängigkeit des menschlichen Geist-Erlebens
vom Körper-Dasein auf.
Da erwacht in dem Menschen das Bewußtsein,
daß in dieser gewöhnlichen Lebenserfahrung
die Selbst-Erkenntnis verloren gegangen sein könne.
Es entsteht zunächst die bange Frage:
ob es eine über die gewöhnliche Lebenserfahrung hinausgehende
Selbst-Erkenntnis und damit die Gewißheit über ein wahres Selbst
geben könne?
Anthroposophie will auf der Grundlage sicherer Geist-Erfahrung
die Antwort auf diese Frage geben.
Sie stützt sich dabei nicht auf ein Meinen oder Glauben,
sondern auf ein Erleben im Geiste,
das in seiner Wesenheit so sicher ist wie das Erleben im Körper.
(Rudolf Steiner)


人間の心は移ろいやすいものです。
自分が考えていたこと、感じていたこと、決意していたことが、
他人の些細なひとことや、
身に降りかかってきた出来事によって、
簡単に変ったり、覆ったりする。
身体の調子が悪ければ、気分も暗くなり、
ぐっすり眠れれば、すっきりした気持ちで目覚めることもある。

人間が自分の「自己」として感じられるのは、
そのような移ろいやすい自分の心の状態ではないでしょうか。

このような自分が「自己」であるなら、
私はこのまま生きていくなかで、
いずれ自分自身を見失ってしまうのではないか。
そもそも「本当の自分」なんていうものを
確実に見出すことなんてできるのだろうか。

おそらく人間は誰しも、
「自分」に関してそうした不安な思いを抱えている。
そのような不安な思いに対して
アントロポゾフィーは答えようとします。

ただ、アントロポゾフィーは
いろいろな理論を繰り出したり、
「信じなさい」と言ったりはしない。

自己というものを
日常の揺れ動く心のありように求めるのではなく、
自己を「霊性」のなかに体験する道を指し示そうとします。

ちょうど、
自分の心が身体状態の影響を大きく受けていることが実感できるように、
人間の自己は、霊性においてこそ実感できる。
それは身体体験と同じように、確かな体験だというのです。

僕にとって印象的なのは、
この第5項の一行目で、シュタイナーが
「自己認識のために内的平静が必要だ」とではなく、
「内的平静のために自己認識が必要だ」と言っていることです。

『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』に述べられているように、
神秘修行者は、「内なる静けさ」(innere Ruhe)のなかで、
「非本質的なものから、本質的なものを区別すること」を学ぶように
促されます。

非本質的なもの、というのは、
まやかしや、人々の噂や、自分のこだわりなど、
すべての「移ろいゆくもの」を指していると思います。
そのなかから、本当に大切なもの、
永遠に自分が抱いていくもの、
死と生を超えて関わりつづけるものを見出すこと。

おそらくそれは、
自分の人生の目標や理念を見据えることにつながるのではないか、
と思います。

つまり、本当に自分の人生の主人公として生きるためには、
内的平静が必要であり、
その内的平静を獲得するためには、
自己というものを「霊性」において認識することが必要である。
そのような「霊性における自己認識」への道を
この「アントロポゾフィー指導原理」は描きだしているように
僕には思えます。