夏目漱石を読むという虚栄
5000 一も二もない『三四郎』
5100 「母」と「あの女」
5140 「囚(とら)われちゃ駄目だ」
5141 「ベーコンの二十三頁」
三四郎はハイティーンみたいだが、「二十三年」(『三四郎』一)も生きているのだ。
<三四郎はベーコンの二十三頁を開いた。
(夏目漱石『三四郎』一)>
二十三歳だから、「二十三頁」を開いた。作者の意図は不明。
Ⅰ 三四郎は奇跡的に「二十三頁」を開いた。
Ⅱ 三四郎は自分の性格などを占うために「二十三頁」を開いた。
Ⅲ 作者は奇跡や占いなどを嘲笑している。
三四郎が「読んでも解らないベーコンの論文集」(『三四郎』一)の「二十三頁」を開いて眺めると、広田がエクソシストとして召喚される。だから、作者は、ⅠもⅡもⅢも暗示しているのだろう。不合理なことだ。しかし、作者は自然なことのように考えているのかもしれない。作者は「自然の力に従って始めて自然に勝つ」(『吾輩は猫である』十一)という「ベーコン」の言葉を暗示していて、三四郎は無自覚にそれを実践しているところらしい。
<スコラ哲学に反対し、学問の最高課題は、一切の先入見と謬見すなわち偶像(イドラ)を捨て去り、経験(観察と実験)を知識の唯一の源泉、帰納法を唯一の方法とすることによって自然を正しく認識し、この認識を通じて自然を支配すること(「知は力なり」)であるとした。
(『広辞苑』「ベーコン」)>
「イドラ」は「偶像と訳されることもあるが正しくない」(『日本国語大辞典』「イドラ」)とのこと。
<『ノウム・オルガヌム』で彼はまず、人間の知性の真理への接近を妨げる偏見として、四つのイドラidola(偶像または幻影)をあげる。第一は、自己の偏見にあう事例に心が動かされる、人類に共通の種族の偶像、第二は、いわが洞窟(どうくつ)に閉じ込められた広い世界をみないために個人の性向、役割、偏った教育などから生じる洞窟の偶像、第三は、舞台上の手品・虚構に迷わされるように、伝統的な権威や誤った論証、哲学説に惑わされる場合の劇場の偶像、第四は、市場での不用意な言語のやりとりから生じる市場の偶像である。
(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「ベーコン」杖下隆英)>
三四郎は、いわゆる偶像破壊を企てようとしたらしい。だが、彼はこの四つのイドラのどれ一つとして破壊できない。逆だ。むしろ、より深く偏見に囚われていくことになる。
5000 一も二もない『三四郎』
5100 「母」と「あの女」
5140 「囚(とら)われちゃ駄目だ」
5142 「別の世界の事」
三四郎は旧弊な思想のせいで近代都市の生活になじめないのではない。三四郎は「田舎」にいたときから、「母」や周囲の人々と打ち解けることができなかった。その不安や苦しみや違和感などが、都会に出ることになってからやっと自覚できるようになったのだ。
勿論、語り手がこのように語るわけではない。語り手は嘘つきらしい。作者は語り手を支持している。作者は読者を誑かそうとしている。だから、読者は誑かされてやらなければならない。Nは、自分の苦悩や不安などを文芸化することによって、解決したのではない。解決しようとして失敗したのですらない。憂さ晴らしだ。つまり、作者に成り上がることによって、苦悩や不安などを読者に丸投げし、共感や同情を求めている。拗ね者。
<三四郎は急に気を易(か)えて、別の世界の事を思出した。――これから東京に(ママ)行く。大学に這入る。有名な学者に接触する。趣味品性の具(そなわ)った学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間で(ママ)喝采(かっさい)する。母が嬉しがる。と云(ママ)う様な未来をだらしなく考えて、大いに元気を回復してみると、別に二十三頁の中に顔を埋(うず)めている必要がなくなった。そこでひょいと頭を上げた。すると筋向うにいたさっきの男がまた三四郎の方を見ていた。今度は三四郎の方でもこの男を見返した。
(夏目漱石『三四郎』一)>
「別の世界」は意味不明。元の「世界」は、お花との一夜の体験というか未体験を指すのだが、それを「世界」と呼ぶのは無理だろう。
広田は「有名な学者」ではない。ただの教師だ。
<その道の人なら、西洋人でもみんな野々宮君の名を知っている。
(夏目漱石『三四郎』三)>
三四郎は、「有名な学者」の野々宮と親密にならない。その理由は不明。
与次郎は「趣味品性の具(そなわ)った学生」ではない。だが、遊び上手でもない。くだらない男。
「図書館」に入り浸ることもない。
三四郎は、学究肌ではないから、「著作」はやれまい。当然、「世間」には知られない。
「母が嬉しがる」と、三四郎はきちんと「考えて」いない。だから、「大いに元気を回復して」しまうという話には無理がある。
エクソシスト広田は、「母」と三四郎の間を裂くのではない。
<「うん。そうそう。なるべく御母さんの言う事を聞かなければ不可ない」と云ってにこにこしている。まるで子供に対する様である。三四郎は別に腹も立たなかった。
(夏目漱石『三四郎』七)>
広田は、三四郎の宿親のようだ。作者は「母」の毒気を希釈しようとしている。姑息。
5000 一も二もない『三四郎』
5100 「母」と「あの女」
5140 「囚(とら)われちゃ駄目だ」
5143 「亡(ほろ)びるね」
作者は「母」の話題を避けるために、広田を登場させたのだ。
<「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「亡(ほろ)びるね」と云った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲(な)ぐられる。わるくすると国賊取扱(とりあつかい)にされる。
(夏目漱石『三四郎』一)>
「然し」は無視。「これ」は〈日露戦争の後〉だ。「弁護した」のは三四郎だが、「弁護」は〈自己「弁護」〉の略か。普通に言うなら、〈反論〉だろう。
「かの男」は広田。「すまし」は「きどる」(『広辞苑』「すます」)か。
<1876年(明治9)熊本城外の花岡山で祈祷会を開き、キリスト教奉教趣意書に署名。日本におけるプロテスタントの源流の一つ。
(『広辞苑』「熊本バンド」)>
Nは熊本の第五高等学校講師をやっていたのだから、熊本バンドを知らないはずがない。無視か。だったら、なぜ?
<熊本バンドの一人。同志社中退。1887年(明治20)民友社を設立、「国民之友」「国民新聞」を発行し、平民主義を提唱。日清戦争以後、帝国主義の鼓吹者となる。
(『広辞苑』「徳富蘇峰」)>
『八重の桜』(NHK)参照。
<「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸(ちょっと)切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚(とら)われちゃ駄目だ。いくら日本の為(ため)を思ったって贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。
(夏目漱石『三四郎』一)>
「広い」は意味不明。広田が「広田」なのは、この言葉からか。くだらねえ。
「東京より日本」は無意味。「傾けている」は〈「傾けている」ので〉云々とやるべき。
「頭の中」が一番狭いやね。「広い」は逆説だから、きちんと説明すべきだ。
何に「囚(とら)われちゃ」だろう。「帝国主義」か。「平民主義」か。両方か。あらゆる「主義」か。「囚(とら)われちゃ駄目だ」なんて意味不明の言葉に囚われちゃうと「亡(ほろ)びる」よ。
(5140終)