ヒルネボウ

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腐った林檎の匂いのする異星人と一緒   2 二番目の私

2020-06-21 14:46:58 | 小説

   腐った林檎の匂いのする異星人と一緒
                2 二番目の私

君は世界で二番目にきれいだよ。
父は何度か私にそう言った。何度もじゃなくて、そう、二、三度。二度。
写真の中でママが笑っている。
君はママに似てくるね。
彼はときどきそう言う、ピアノの上に置いてある写真を見ながら。誰にも弾いてもらえないピアノ。
それはね、二度目にママと海に行ったときのものだよ。
知ってる。
彼は自分のお皿を洗って胸の前に盾のように支え持ち、下半分を布巾で覆って立っている。肩を柱に預けた。片脚を曲げて足首をもう一方の脚の後ろへやり、つんと爪先を床に当て、白い歯を見せる。
自分のお皿は自分で洗うこと。私と彼とのルールだ。話し合って決めたわけではない。いつからか、そう決まっていた。いつから? 思い出せない。思い出すのって、何だか苦手。
君は世界で二番目に分からず屋だな。
私は二杯目のジュースを長すぎるストローでずずっと音を立てて底まで啜ってから、自分のお皿に目をやる。
一番目でもいいよ。
彼は、驚いていることを示すためか、切れのいい息を吐く。
私は、くすくす、笑う。まだ顔は上げない。もうちょっと上げない。
ママの写真は二枚ある。アルバムに貼られていないのは二枚。一枚はピアノの上で、もう一枚は箪笥の中だ。抽斗の二段目。薄いモザイク模様のスカーフに包まれている。その写真の中のママは、私に似ているのだろうか。尋ねてみたい気はするけど、答えは聞きたくない。
彼は窓辺で室内に背を向けて立っている。両手を半ズボンのポケットに突っ込み、少し腰を折る。マネキン人形みたいだ。外を見ているらしい。人形に何も見えるわけがない。何かが見えると思わせたいのだろう。でも、何が見えると思ってやればいいのか。誰かが帰ってくるのを待っているように見えなくもない。でも、そんなはずはない。帰ってくる人など、いない。
異星人ってさ、キスするのかな? 
あっ。聞いてしまった。
うん? 
何でもない。
うん。
あの抽斗には鍵がかかる。だのに、ある日、それが少しだけ出ていた。指の幅一本分ぐらい。中を見てと、抽斗が誘っている。だから、見た。
結ばれていないスカーフを開くと、何通もの手紙が束になっていて、その下に写真が隠れていた。かくれんぼう。見つけられるために隠れる遊び。私は鬼にされた。
異星人とママがキスをしている。どこかの公園らしい。キスじゃなくて、異星人に食べられるところかもしれない。ちらりと見ただけで、すぐに抽斗を閉めた。見てはいけないものを見てしまった。違う。見てはいけないものを見てしまったと私に思わせるために、私を鬼にするために、ママが仕組んだのだ。
君は、まだ海を覚えているかい? 
覚えている。それは砂浜の水溜りだ。海には、二度、行った。でも、一度目の海は覚えていない。二度目の海は、砂に囲まれていた。ただの水溜りとは違う。雨は降っていない。水を汲み出すと、汲み出した分だけ、水が増える。その水がどこからやって来るのか、わからない。海のことで覚えているのは、あと、塩辛いということ。でも、本当は塩辛いという言葉を覚えているだけで、その味を思い出すことはできない。ある雨の日に水溜りを見て、それが海とは違うということを確かめたくて、指を入れ、ちょっと舐めてみた。変な味がした。その瞬間、海の味を忘れた。そのときまで、海と言えば、あの口の中に広がる味、あの味だというふうに思い込んでいたのだけれど、その思いが完全に消えてしまった。人は、こうして体験と言葉を取り換えながら年を取ってゆくのだろう。そして、死ぬ。
ねえ。
うん? 
いつか海に行く? 
君を海辺で見ている人ができればね。私は泳ぐ。その間、誰かが君を見ていなくてはならない。
大丈夫よ。私が見ているもの。私が私を見ている、私が私のお皿を洗うようにね。
彼は声を出して笑った。
そんなことを言っているようじゃ、まだ無理だな。
そうやって何でも話を難しくするんだ。
「あなたもね」と、ママが言った。
(終)


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