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夏目漱石を読むという虚栄 2130

2021-03-11 23:54:15 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2130 夏目宗

2131 若者宿

 

「先生」のP的含意は、〈「本当の父」のような「年長者」〉だろう。ただし、このように言い換えてしまうと、価値がなくなるようだ。ちなみに、「第二の親子」(『明暗』二十)も意味不明。「先生」という言葉の価値と、Sという人物の価値は、仕分けできない。

 

<坂本弁護士一家殺害事件の実行犯のひとりである岡崎(現・宮前)一明死刑囚は、「尊師は父であり母であるような人」と語ったことがある。現代社会では家庭機能における「父性」の役割がしばしば問題となる。その欠落を教祖たる麻原が埋めていた側面もまた忘れてはならない。

(有田芳生『文学的想像力の欠如が若者を今もカルトに走らせる』*)>

 

岡崎にとって、「尊師」の含意は「父であり母であるような人」だ。では、麻原と信者たちは、この含意を共有していたろうか。その可能性はなさそうだ。信者たちは、不安を抱えたまま、「尊師尊師」と合唱していたろう。不安な人々は合唱する。彼らは、不安な自分を愛するように不思議な麻原を愛したろう。麻原の罠に落ちたか。

「先生」という言葉のP的含意も「父であり母であるような人」だろう。だが、Sは、「先生」のP的含意をPと共有しようとしなかった。Pを自分に依存させるためだ。馬の前に吊り下げる人参。同じことを、PはQに強いている。読者も、Qのように、Pに依存しなければならない。そうでないと、『こころ』の言葉のおかしさには耐えられない。

 

<私は又軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。寧ろそれとは反対で、不安に揺(うご)かされる度に、もっと前へ進みたくなった。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」四)>

 

オウム真理教のサティアンなるものは、若者宿のようなものだったろう。

 

<若者宿あるいは娘宿として家屋の一部を提供する家の主人。一定年齢に達した若者、娘はその主人と宿親・宿子という儀礼的親子関係を結んで宿入りするところもあり、若者は毎晩宿に泊りに行くことで村人としての訓練を宿親から受け、さらに結婚に際しては宿親が仲人をすることが多かった。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「宿親」)>

 

Pは、S夫妻の宿子のようになる。一種の「貰(もらい)ッ子(こ)」だ。Pは、夫に対して母性的な妻としてふるまえない静に息子として甘えることによって、彼女の母性を目覚めさせる。Sにとっての理想の妻として育った静を、PはSに提供する。その後、S夫妻に「仲人」をやってもらおうとしたか。

Pは、S夫妻の愛しあう様子を観察して、男と女のE関係を学びたかったようだ。自分の両親が不仲だからだ。

 

*『オウム全記録』(「週刊朝日」緊急増刊2012年7月15日発行)所収。

 

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2130 夏目宗

2132 「見付出したのである」

 

Pは、Sと出会う前から、「先生」と呼んでみたい人を探していたはずだ。

 

<私は実に先生をこの雑沓(ざっとう)の間(あいだ)に見付出したのである。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」一)>

 

「私」はPだ。「実に」の被修飾語が不明。

この時点のPは、Sのことをまったく知らない。だから、「見付出した」は不適当。

 

<入りまじっているものの中からある物を見わける。発見する。見出す。「人ごみの中から友人を―・す」

(『広辞苑』「見付け出す」)>

 

「君を見つけた この渚に」(鳥塚繁樹作詞・加瀬邦彦作曲『想い出の渚』)の「見つけた」を、岩谷時子が批判したそうだ。主人公の男子がプレイボーイみたいだからだ。

本文は、〈「見付出した」ような気がした「のである」〉などが適当だろう。語り手Pが混乱していないとしたら、作者が混乱しているのだろう。

「先生」のイメージを、青年PはSを知る前から思い描いていた。この「先生」を中心に、青年たちが円陣を組む。Pは、「先生」の一番弟子となって、その他大勢の弟子たちの上席に坐りたかった。Pは丸尾くん(さくらももこ『ちびまる子ちゃん』)なのだ。Nのファンも丸尾くんに違いない。ズバリでしょう。

ただし、語り手Pは、Sと出会う前の「先生」の像を思い出せない。Sと出会ったせいで、以前のぼんやりとした「先生」の像を具体的なS像が覆ってしまったからだろう。

『こころ』のファンも、『こころ』を読む前から、彼らなりの「先生」の像を思い描いているのだろう。『こころ』を読みながら、徐々に自分の「先生」の像にS像が、そして文豪N像が塗り重ねられていく。そうした体験が心地よいのに違いない。

 

<わたしは、世人の知る歴史を匿名の年代記の下に消滅させて、楽しんでいたのだった。

それは、透明な生活を営んでまったくひとめにつかず、孤独に生きて、世のだれよりも先がけて理(ことわり)を知っているひとたちだ。

(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』)>

 

語り手Pは、この種の真相を聞き手Qに対して隠蔽している。ところが、「見付出したのである」という言葉によって〈隠蔽した真相がある〉という事実を露呈してもいる。Nの文章の基本的なスタイルだ。癖。辟易。

語り手Pは、記憶を失ったのかもしれない。あるいは、嘘つきかもしれない。語り手Pは複数の〈自分の物語〉を往還しているようだ。作者は、語り手Pを嘘つき、あるいは忘れっぽい人として設定しているのだろうか。不明。だから、『こころ』は読みづらい。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2130 夏目宗

2133 最上級の尊称

 

Pが瀕死の父を見捨てて上京することを美談として読むには、〈SはPの父だ〉という物語を重ねて読まねばならない。Sは、Pにとって神秘的な「本当の父」なのだ。二人は、そのことを徐々に認め合うようになっていくらしい。だが、二人とも公言しなかった。語り手Pさえ、彼にとって都合のいいはずの聞き手Qに対して明言しない。この物語は、暗黙の了解によって成立するものだからだ。作者も読者に対して暗示していない。暗示すれば、SもPも妄想家ということになる。明示すれば、『こころ』はファンタジーになる。

 

<筑前苅萱庄(かるかやのしょう)、松浦(まつら)の党総領、加藤左衛門繁氏(しげうじ)の子。13歳のときに、出家していた父の刈萱道心(どうしん)を高野山(こうやさん)に訪ねたが、父はわが子と知りながら名乗らずに別れる。のちに石童丸は母や姉と死別してから高野山に上り、苅萱の弟子となって道念坊と称したが、ついに親子の名乗りはせず、父子ともに同時刻に往生を遂げ、信濃善光寺の親子地蔵として祀(まつ)られる。

(『日本歴史大事典』「石童丸」関山和夫)>

 

青年Pの〈自分の物語〉の原典の一つは『石童丸』だろう。

石童丸は刈萱道心が父であることを知らなかった。だからこそ、「父子ともに同時刻に往生を遂げ」るという奇跡が起きたのだ。Pの〈自分の物語〉において同種の奇跡が起きるためには、「親子の名乗り」をしてはならない。Pが、〈Sは父であってほしかった〉などと思ったら、奇跡は起きないのだ。だが、実際には、思っていたろう。

誰かが「親子地蔵」の因縁を語った。同じように、誰かが〈SとPは神秘的な親子だった〉と語る。その誰かはQだろうか。あるいは、Rだろうか。どちらにせよ、そんなことが起きるとは考えられない。だが、どこかで誰かが〈SとPは親子だった〉と語っているようなのだ。その誰かは、『こころ』の読者だろう。作者にとって都合のいい読者だ。

〈SとPの神秘的な親子の物語〉は、きちんと終わっていない。読者は、これを補填して語り継ぐ義務を負わされている。

Pにとって、「乃木大将の死ぬ前に書き残して行(ママ)ったもの」(下五十六)は、Sの「遺書」と比べて、思想的に貴重ではない。Sは乃木よりも上なのだ。「渡辺崋山(かざん)」(下五十六)に匹敵しよう。Sの死後、PはSの一番弟子として故郷に錦を飾る。「兄」は父の葬儀の喪主だが、Pは「明治の精神」を体現したSの葬儀の喪主を務めたのだから、格が違う。SはPの実父より偉い。だから、Pは「兄」より偉い。

この物語の聞き手は誰だろう。Pの「兄」だ。また、「兄」のような俗物どもだ。作者の何かを「受け入れる事」(下二)ができる読者に擬態したまま、『こころ』の世界から抜けられずに生きている人は、『こころ』について語るとき、偉そうな顔をする。勘違い。滑稽。

死によって、SはKと合体し、そのSとPも合体して「新ら(ママ)しい命」(下二)を形成する。『こころ』の読者は〈P+S+K=N〉という奥義を感得すべきなのだろう。こうした神秘主義を〈夏目宗〉と呼ぶ。『こころ』は夏目宗の聖典だ。夏目宗において、「先生」は、〈尊師〉や〈主(しゅ)〉などに似た最上級の尊称なのだろう。

(2130終)

 

 

 


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