ヒルネボウ

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夏目漱石を読むという虚栄 5420

2021-11-01 22:32:51 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

5000 一も二もない『三四郎』

5400 「ストレイ シープ」

5420 どっちもどっち

5421 「我が罪は常に我が前にあり」

 

美禰子は、最後まで怪しげな物言いを続ける。

 

<女はややしばらく三四郎を眺めた後、聞兼(ききかね)る程の嘆息(ためいき)をかすかに漏らした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて云った。

「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」

聞き取れない位な(ママ)声であった。それを三四郎は明かに聞き取った。三四郎と美禰子は斯様(かよう)にして分れた。下宿へ(ママ)帰ったら母からの電報が来ていた。開けて見ると、何時立つとある。

(夏目漱石『三四郎』十二)>

 

美禰子が結婚することを知って、三四郎が彼女に聞いた。彼女は肯う。

「女」は美禰子。「聞兼(ききかね)る程」は意味不明。

「手」は〈手首〉か。「加えて」は意味不明。

彼女の最後の言葉は『詩篇』からだが、三四郎はそうとは知らずに彼女の意図のみを察したらしい。奇跡だ。

 

<あなたに背(そむ)いたことをわたしは知(し)っています。

わたしの罪(つみ)は常(つね)にわたしの前(まえ)に置(お)かれています。

あなたに、あなたのみにわたしは罪(つみ)を犯(おか)し

御目(おんめ)に悪事(あくじ)と見(み)られることをしました。

あなたの言(い)われることは正(ただ)しく

あなたの裁(さば)きに誤(あやま)りはありません。

(『詩篇』51)>

 

美禰子の「我が罪」とは、〈二人は恋をしていると三四郎に勘違いさせたこと〉らしい。ただし、動機において彼女は無罪だ。〈美禰子は三四郎を愛する〉という物語は、三四郎の〈自分の物語〉に属するのであり、彼女の〈自分の物語〉に属するのではないからだ。「罪」を犯したのは、実在する彼女ではなく、あくまで〈三四郎の物語〉の「主人公」である三四郎が夢想していた「第三の世界」の住人である美禰子だ。

「聞き取れない位な声」の真相は幻聴だろう。

「斯様(かよう)にして」がどのようにしてか、不明。「分れた」だと男女交際をしていたみたいだが、そんな事実はまったくない。彼女は交際が始まらないことを確認しただけだ。語り手は、〈始まらないこと〉を〈終わったこと〉に偽装している。三四郎は「第三の世界」から排除されたのではない。そこに参入することがかなわなかったのだ。将来もかなうまい。語り手は三四郎の被愛妄想を事実として語ろうとしたが、失敗している。

改行なしで、ラスボスの「母」による攻撃について語られる。「母」はお光と彼の仮祝言をあげさせるつもりかもしれない。

 

 

 

5000 一も二もない『三四郎』

5400 「ストレイ シープ」

5420 どっちもどっち

5422 「迷(ストレイ)羊( シープ)」

 

「ストレイ シープ」の本来の意味は「正道から外れた人」(『オーレックス英和辞典』「sheep」)だ。美禰子がキリスト教徒だとすれば、彼女の犯した「罪」は神に対するものでなければならない。だが、彼女は三四郎に対して〈何か勘違いさせちゃったみたいで、ごめんね〉と謝っているらしい。彼女の真意、あるいは虚偽の暗示の意味は、不明。しかも、三四郎が聞き取ったつもりの意味も不明。作者は何をしているのだろう。

 

<明治を代表する青春小説の一つで、青春を「迷える羊(ストレイ・シープ)」の季節と見る漱石の老成した目が、作品に奥ゆきを添えている。

(『近現代文学事典』「三四郎」)>

 

「明治を代表」は意味不明。「青春」は「季節」か? 美禰子は、〈青春時代は道に迷うものなのよ――「解って?」〉と尋ねたのか? では、彼女は「老成し」ていることになりそうだ。「老成した目」って老眼? 「奥ゆきを添えて」は意味不明。

美禰子は、神に見出されるために神から逃げたのか。あるいは、三四郎を翻弄するために、三四郎を避けていて、『聖書』はそうした真相を隠蔽するためのモザイクか。

広田から「囚(とら)われちゃ駄目だ」(『三四郎』一)釘を刺されていたのに、三四郎は被愛妄想に囚われて美禰子のストーカーになってしまった。彼女は彼から逃げたかったのだが、あからさまに〈あんたなんか、嫌いよ。ツーン〉とやると、後で何をされるか、わからない。逆に、〈ツーン〉をツンデレとツンと取られたら、面倒なことになる。だから、気障な言葉によって自分の嫌悪と恐怖を相手に通じさせようと努力していた。インテリっぽい言葉で三四郎の虚栄心をくすぐっておけば、恨まれずにすむ。

ところが、語り手は〈三四郎は美禰子に囚われた〉という虚偽の暗示を続ける。

 

<迷(ストレイ )羊(シープ)。迷(ストレイ )羊(シープ)。雲が羊の形をしている。

(夏目漱石『三四郎』十二)>

 

これは三四郎の内言。作者は、何をしているのだろう。

三四郎は、ぼけちゃったみたいだ。作者がとぼけているのだろう。

三四郎が「迷羊」の典拠として想像しているのは多岐亡羊の故事かもしれない。

 

<[列氏(説符)](逃げた羊を追ううち、道が幾筋にも分かれていて、羊を見失った故事から)学問の道があまりに多方面に分かれていて真理を得がたいこと。転じて、方針が多すぎてどれを選んでよいか迷うこと。

(『広辞苑』「多岐亡羊」)>

 

この場合、「羊」が迷っているのではない。迷っているのは「羊」を探す人だ。

三四郎は、「三つの世界」に至る三差路の分岐点で動けないままらしい。

 

 

5000 一も二もない『三四郎』

5400 「ストレイ シープ」

5420 どっちもどっち

5423 『東京ラブストーリー』

 

〈美禰子は家族制度や世間の偏見に負けて政略結婚の犠牲になった〉みたいに誤読できる。三四郎も〈「母」の「世界」〉の桎梏から逃れられなかったように想像できる。

しかし、そういう話にはならない。読者は、〈三四郎は「国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問に委(ゆだ)ねる」(『三四郎』四)〉といった結末を予想するはずだ。そうなるのかもしれない。だが、そうなると決まってもいない。「母」は登場しないまま、作品は終わってしまう。『虞美人草』の小野が小夜子を裏切れなかったように、三四郎もお光を裏切れないのかもしれない。だが、そんな結末もない。『東京ラブストーリー』(フジテレビ)が大受けした時代でさえ、日本男児は被愛願望の強すぎる「新しい女」から逃げる。一方、〈美禰子は被愛願望の強すぎる三四郎に失望した〉と誤読できる。そうなると、どっちもどっちだ。勿論、語り手はそんなふうに語っていない。何も表現できていないのだ。

作者は「新しい女」の犠牲者およびその候補者に警告を発したかったのだろう。だが、「新しい女」に惚れられた気になる森田草平のような〈新しい男〉に嫉妬をしていたのでもあろう。読者に自分の嫉妬を悟られたくなくて言葉を弄り回してしまったようだ。

『三四郎』の作者は「三つの世界」の綯い交ぜに失敗した。そのどれ一つをも利用できなかった。三四郎が利用できなかったのではない。『三四郎』の語り手は、作中人物である三四郎の思想の未熟さを皮肉ることによって、作者の技能の未熟さを隠蔽している。

 

Ⅰ 「迷える子」という古い和語が流通する「世界」の「主人公」は、前近代的な考えの古い女である「母」だ。三四郎は、「母」のいる「国」に戻り、教師か役人などになり、「母」のお気入りであるお光を妻にする。ただし、東京の「第二の世界」や「第三の世界」を思いきることはできず、〈上京しようか。離婚しようか〉などと、ずっと悩み続ける。この場合、三四郎は「母」の犠牲者だ。

Ⅱ 「翻訳」という奇妙な作業が必要な「第二の世界」の「主人公」は、インテリ崩れで呪術師の広田だ。彼は三四郎に「なるべく御母さんの言う事を聞かなければ不可ない」(『三四郎』七)と命じた。与次郎に「よし子さんを貰わないか」(『三四郎』九)と斡旋されて、三四郎は彼女と結婚し、郷里の学校の教師になる。生徒に東京の思い出を開化の漢語で語り続ける。広田先生の「記憶を呼び起すごとに」(上一)淡い幸福感を味わう。広田に褒めてもらえそうな著作を試みるが、うまくいかない。焦燥の日々。与次郎は東京で「偉人」(『三四郎』四)になる。三四郎は、広田の犠牲者だ。

Ⅲ 「ストレイ シープ」という意味不明のカタカナ語が流通する「第三の世界」の「主人公」は「新しい女」に憧れているだけのオシャレな美禰子だ。彼女は『青鞜』の同人になりたがるが、「ストレイ シープ」的な自分語を並べるので相手にされない。彼女は、夫のある身でありながら、三四郎を翻弄し続ける。彼は女性不信のまま、広田のような独身で老いる。スキャンダルまみれの美禰子も老いる。町ですれ違うが、互いに気づかない。

 

いつか、「母」は死ぬ。三四郎は後を追うように死に、「母」の墓に入る。彼は、やりたいことが何一つできなかった。自殺さえできなかった。おしまい。

 

(5420終)

 

 


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