ムネオの厠

後期高齢者の平凡なブログですが、何か…?

§50 友の想い出

2005-06-04 20:04:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨日亡くなった友を偲んで想い出を書いてみた。

昭和49年、オイルショックの最中、入社してきた彼は、
入社式から研修が終わった2ヶ月後、初めて会った。
例年は2週間程度の研修期間で各支店に配属されるが、前年に沢山採ったはいいが、オイルショックの不況の影響で、新入社員を減らそうと2ヶ月間の長きに渡り、現場や工場で研修と称して辞めさせようとしたのである。
しかし、会社側が考えていたほど辞める新入社員はいなかった。
体育会出身の彼が会社ごときのシゴキに負けるワケが無い。

「先輩、初めまして!私、H津と申します。
柔道部のW辺先輩から、先輩のことを色々とお聞きしています。
よろしくお願いしまっす!ウォッス。」

といきなり、体育会丸出しの挨拶だった・・。

もう入社して2年が経っていた私は、体育会の癖は抜けていた・・。
 「あっ、そう・・。ふ~ん、アイツの後輩か・・。
  うん、まぁ、こちらこそよろしく頼むわ・・。」

それから、彼はどこに行くにも私の後を付いて来た。
歳が同じであったことと、同じ大学の体育会出身であったため、
話が良く合うのでいつも一緒に飲みに行ったりもした。

彼は学生時代から同棲中だった彼女と1年目に結婚した。
だから小遣いにはいつも不自由していたから、私に金魚のフンのようにまとわり付いて来た。

ある晩、二人で新宿の居酒屋で大いに飲んだことが想いだされる。
お互いにビールが好きだったので、いつしか競争するように生ビールを注文して飲んだ。
その晩は、生ビールの中ジョッキを13杯、水割り2杯、サワー3杯を一人づつ飲んでいた。
店の主人もビックリして、
「お客さん、ずいぶん飲みましたねぇ・・。w」と・・。

奥さんが出産準備のため実家に帰省している時に、彼は千葉の
北松戸にマンションを購入し、引越しをすることになっていた。
私とM山くんの二人で引越しの手伝いをすることになっていた。
4トントラックをレンタルして、彼のアパートへ行ったのであるが・・、

 彼はまだ寝ていた・・。

引越しの準備どころか、全く何にも手をつけていない。
冷蔵庫には昨日の残りのカレーが鍋ごと入っている状態だった。

若くして新築マンションを購入し、ボロアパートから新居に引っ越すのであるから、普通はテンションが上がってるはずなのに・・・。

土曜日の昼から部屋の中を片づけを始め、トラックに荷物を少しづつ載せては新居へ運び、何度も往復して荷物を新居に運び出しが
完了したのは、既に朝6時であった。

彼の実家は大地主であり裕福な家庭であったが、一人っ子の彼は何故かいつもピーピーしていた。
30代中ごろ、山梨の鳴沢村の工事現場に彼は常駐していた。
家族から離れて生活していると妻の目が行き届かなくなるので、
彼は早速持ち前の浮気症がうずき出した。
地元の女性と不倫交際を始めたのである。

お相手の女性は地元のデパートの若い店員らしかった。
いつしかデート代がかさみ、300万円ほど借金したらしい。
この時ばかりは親に泣きつき、精算したようだった。
私も3万、5万と何度も貸したが、返してもらったのは3年後だった。

40代前半の頃、仙台支店に単身赴任で転勤になった。
彼は仕事も頑張ったが、元請、下請け業者との関係で、超えてはならぬ一線を越えてしまったようだった。
そんなウワサが本社にも届くようになった。
そこで本社の私の上司が、私と彼を本社と仙台支店に入れ替え人事をしようと画策したことがあった。
私も不本意であるが、仙台支店に行く覚悟を決め、送別会まで行ったのである。

がしかし、寸前でトレードはご破算となった。

理由は私が長年、設計部の長であり、いきなり施工管理、積算、下請け業者との取極め、営繕業務などをやらせるのは問題だとなったようである。(本当は得意なんだが・・。w)

人事異動の騒動から、自分のとった行動が誤解され、また周りの人達にも迷惑をかけた事を悟った彼は、十分反省し、真面目に業務に取り組み退社するまで頑張ったのである。
会社の悪い仲間にそそのかされたのが真実のようで、彼はお人好しで豪放磊落な男だったのである。

そんな彼も、体調が徐々に悪くなっているのを自覚してか、
平成11年、2回目の早期退職希望者募集に応募して退職した。
退職した直後から、長女と共に豊橋の実家に戻り、療養生活に入っていたのである。
両親共に病気で亡くなったばかりで、豊橋の実家が空家になってしまうことも理由だった。

酒好きで、オンナ好きで、ゴルフでは300ヤード近くぶっ飛ばしていた彼も、5年前に会った時はその面影は無かった。
OB会で会った時、皆も同じ思いで、彼の体を心配していた・・。

 

 明日、通夜に行くことに決めた・・。

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§49 悲報・・

2005-06-04 17:05:41 | 日記・エッセイ・コラム

今日、昼過ぎに携帯電話が鳴った。
手が離せない状態であったので、電話に出ることが出来なった。

伝言が録音されていたので、再生してみると・・。
大学の後輩で会社の後輩でもあったあの彼が・・・

昨日、急性心不全で亡くなった・・との知らせだった。

お互いに会社を辞めてから、5年前に一度会ったきりだった。
その時感じたのだが、やけに痩せたな、老けたな、と・・・。

腎臓を患って、4年前から人工透析を行っているとは聞いていた。

昨年の暮れ、久し振りに彼と電話で話をした。

来年は愛知万博があるから見学に行くのなら、
ついでに是非家にも寄ってくれと言っていた。

私も彼に会いたくて、6月か7月に行って見るつもりでいた・・。
そんな話を彼を知る友達にも話していた矢先だった・・。

本人もまさか今年死ぬなんて考えてもいなかっただろうに・・。

彼は会社を辞めてから、体調がすぐれないため、
実家の豊橋で療養を続けていたのだった。

「最近はゴルフも再開したんですよ。人工透析は夜だから、
そろそろ仕事も始めようかと思ってる。」とも言っていたのに・・。

彼は大学と会社の後輩ではあるが、歳は一緒の56歳である。
頭も良く、運動神経抜群のスポーツマンでもあった。
技術資格も1級建築士をはじめ、設備、電気、土木、宅建・・・
あらゆる資格を取った努力家でもあった。

さらに、高校、大学と柔道部出身で、柔道3段の猛者でもあるが、
球技も非常に上手で、テニス、野球、ゴルフと社内でもトップクラス
の腕前だった。

それなのに病魔には勝てなかった・・・。

先日、同年代の二子山親方が亡くなったばかり・・。

これで会社を辞めた同年代の同僚が2人亡くなった・・。

 ただただ冥福を祈るしかない・・・。

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